料理
つぼ浦はぼんやり何を作るか考えながら卵を割った。極度の疲労が原因で脳みそが死んでいた。
酷い一日だった。連続する大型犯罪、絶え間なく続く警察署襲撃、合間の銀行強盗、暴発するロケットランチャー。そういう日の終わりは往々にしてお腹が空くので、つぼ浦は最後の力を振り絞ってボウルの卵を菜箸でチャカチャカ混ぜた。黄身は卵白と斑に混じり、いよいよ何にするかを決めねばならない。
つぼ浦は目を左右に泳がせた。頭上の戸棚が少し空いている。誰かが使ったのかもしれない。
「……言えない、気持ちを、卵とじーにぃ」
歌いながら棚を漁る。使いかけのホットケーキミックスがゴロリと落ちた。透明な袋の封が開いていたから、中の粉がシンクに飛び出て舞い散った。
つぼ浦は赤い外箱を裏返してしばらく眺めたが、疲れすぎて細かい文字が読めなかった。半分眠ったような顔でごみ箱に捨てる。
「カンでいいだろこんなの……」
とにかくもう疲れていたのだ。何でもいいから胃に突っ込んで早く寝たい。
量も図らず、溶き卵に運良く残ったホットケーキミックスを入れた。小麦と砂糖の甘い香りがする。先ほどと同じ菜箸で混ぜるが、粉の塊ができるばかりで一向に生地にならない。
「あー……」
困った顔で呻くが何も解決しない。アイデアは上滑りするばかりで、ハムスターの回し車みたいに同じところをくるくる回っていた。
もう粉のまま食っちまうか、と親指をボウルに押し付ける。これでお腹を壊してもいいや。今日一日中松葉杖が外れなくて仕事にならなかったし。どうせ明日もずっとダウンして役に立たないだろうし。
自暴自棄なつぼ浦の肩を、優しくペンギンがつついた。
「何作ってるんですか、つぼ浦さん」
「カニくん」
「パン?」
「あー、いや」
力二はゴミ箱のパッケージを見て、「あ、パンケーキ」と言った。
「俺も食べたいです、甘いの」
「……おー」
「牛乳足りないんじゃないですかそれ」
「牛乳か」
「はい。前姉が作ってた時は入れてたんで、多分」
「へぇ」
力二は冷蔵庫から牛乳を取り出した。アメリカの牛乳は1ガロンとバケツみたいに大きい。それを勝手に注ぐものだから、どばっとボウルが牛乳でいっぱいになる。
「やべっ、入れすぎた」
慌てる後輩に、なぜだかつぼ浦の気分がよくなってくる。
「卵、もっと入れたらどうにかなるか?」
「かもっすね。あっ、バターとチョコもありますよ。貰っちゃいましょうよコレ」
「誰のだ?」
「さぁ。高そうだから上官?」
「いいな」
「いいっすよね」
「いいと思うぜ」
「マジでいい」
力二も相当疲れていたから、二人で「いいな」「いいでしょ」と何度も言い合った。会話の中身はほとんどなくて、脊髄の反射で会話していた。
ボウルをかき混ぜるつぼ浦の隣で、力二は鍋に牛乳を注いだ。
「なんか作るのか?」
「はい。何かしらはできますね」
「なるほどな。わかった、チャーハンだろ」
「ハイ」
「だよな」
「ハイ。つぼ浦さんこの後すぐ寝ます?」
「おう、もう今にも寝るぜ」
「じゃあコーヒーなしっすね。ホットミルクです」
「あー」
牛乳の脂肪分が温められて、篭もったような甘い乳の匂いがした。なぜだか胸の奥がしびれるほど懐かしい。疲れているなぁ、とつぼ浦は思った。
「小学校の頃とか、カニくん牛乳お代わりしたか?」
「しましたね。もうジャンケン目当てで戦争に参加してました」
「ふっ、ジャンケンの方かよ」
「必勝法見つけて」
「なんだそれ?」
「やります?」
「やるぜ」
「負けた方がパンケーキ焼きましょ」
「いいな」
「いいですよね」
「おう」
つぼ浦は拳を緩く握って構えた。
「あ、つぼ浦さん」
「あ?」
「俺はグーを出しますからね」
「心理戦じゃねえか! チクショウ」
「いきまーす。ジャーンケーン」
「オラァ!」
つぼ浦はグーを出した。力二はチョキを出した。
「勝ったぜ」
「マジで!? なんでここでグー出すんすか!?」
「手を開くのが面倒だった」
「疲労ここに極まれりじゃないですか」
「おう」
「あー、マ、つぼ浦さん今日ずっと走り回ってましたもんね」
「ほとんど死んでたけどな」
「そのせいで最初に復帰して次の事件突っ込んでたじゃないっすか。笑いましたよ、どの事件にも殺人未遂ついてるんですもん。つぼ浦さん殺しで」
「ちゃんと切符切ったか」
「バッチリです」
「よし。それが一番うれしいぜ」
力二はオレンジ色のマグカップに牛乳を注いで、つぼ浦に持たせた。
「飲みながらそこで待っててください。すぐ焼くんで」
「おう」
「砂糖いります?」
「いらねえ」
「はーい」
ホットミルクはコップの縁を反射して暖かい色をしていた。カウンターに腰かけ、つぼ浦は力二の背中をぼんやり見る。チョコとホットケーキの焼ける甘い匂いがいっぱいに広がっていた。
なんだか頭が重い。白いテーブルに吸い込まれるように頬をくっつけて、生地に油がはねる音に耳を澄ませる。銃声も叫び声もここにはない。肩から力が抜けていく。
――明日も頑張ろ。
つぼ浦は目を閉じた。
「つぼ浦さん、出来ましたよー。あっ」
力二が振り返ると、つぼ浦はすっかり寝落ちしていた。飲み終わったホットミルクのコップをギュウと握り穏やかな寝息を立てている。
力二はちょっと笑って、つぼ浦にブランケットをかけた。
「お疲れさま、先輩」
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!