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ゆうき あきや
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第187話:美人営業マンの甘い囁き〜社長の自尊心と、魅惑のVIPソファー〜
「どうぞ、社長様。冷たいお飲み物をご用意いたしました」
案内されたのは、黒いパーテーションで外界と完全に隔離された、展示会場の奥にある商談ブースだった。
ふかふかの黒い革張りソファーに腰を下ろすと、カラン、と涼しげな音を立てるアイスコーヒーが、上品なコースターと共に差し出された。
(す、すげえ……! 無料の展示会に来ただけなのに、完全にVIP待遇じゃないか!)
俺——株式会社インフィニティ・ワン代表取締役社長、秋谷雪(40歳)は、内心の興奮を必死に隠し、あえてゆっくりとコーヒーを口に運んだ。
グラス越しに見えるのは、タイトな黒スーツを着こなした、モデルのように美しい女性営業スタッフのお姉さん。
彼女は俺の対面に座るのではなく、なぜか俺のすぐ隣、太ももが触れ合いそうな絶妙な距離感に、ちょこんと腰を下ろした。
フワリと、理性を溶かすような高級な香水の匂いが漂ってくる。
『社長様。先ほどは、あんなに熱心に作品をご覧いただき、本当にありがとうございました』
「あ、いや。私のような経営者は、常に一流のクリエイティブに触れて、自分自身の『審美眼』を磨いておかなければなりませんからね」
俺が、天才・うめお先生の受け売りをドヤ顔で披露すると、お姉さんはパァッと顔を輝かせた。
『わぁっ……! 審美眼、ですか! お客様、本当に深く芸術をわかっていらっしゃるんですね!』
「ふっ、まあ、それほどでも……」
『私、何千人というお客様をご案内してきましたけど、社長様のようにアートの【本質】を理解されている方とお話しできるなんて、今日は本当にラッキーです!』
彼女の大きな瞳が、上目遣いで俺を真っ直ぐに見つめてくる。
四十年間、誰からもこんなに手放しで肯定されたことのない限界貧困おじさんの脳内に、致死量の快楽物質(ドーパミン)がドバドバと分泌されていく。
(これが……っ! これが『上に立つ男』だけが味わえる、一流の接客ってやつか……!)
俺の自尊心メーターは、すでにレッドゾーンを振り切って爆発寸前だった。
すると、お姉さんがパチンと指を鳴らした。
それに呼応するように、別の黒服スタッフが、一枚の大きな版画を恭しく運んできて、俺たちの目の前のイーゼルにセットした。
パーテーション内の専用スポットライトが、その作品だけを劇的に照らし出す。
「おおっ……! こ、これは……!」
俺は思わず、身を乗り出した。
そこにあったのは、先ほど俺が会場で最も目を奪われた作品。
桜が舞い散る中で、美少女が振り返って微笑んでいる、息を呑むほどに美しい一枚の版画だった。
『社長様、お目が高いですね。実はこちら……ファン〇ジ〇文庫で大ヒット中の某有名ライトノベルの挿絵を手掛ける、あの超人気神絵師先生の作品なんです』
「やっぱり! いやぁ、素晴らしい色彩だ。キャラクターの魅力が、デジタルとは比べ物にならないほど立体的になっている」
『ふふっ。社長様にそう言っていただけて、この作品も喜んでいると思います』
お姉さんは、俺の耳元で甘く囁くように言葉を続けた。
『社長様。御社はVTuberの運営やメディアミックスを手掛けていらっしゃるとお聞きしました。……この神絵師先生の作品、社長様のオフィスのエントランスや、社長室に飾ってみてはいかがでしょうか?』
「……俺の、社長室に?」
俺の脳裏に、現在住んでいる『帯広の築三十年・家賃四万円の四畳半ボロアパート』の光景が一瞬だけよぎる。
壁には謎の雨漏りのシミがあり、床には愛猫ヨモの段ボールハウスと、俺の一日一食の主食である袋麺の空き袋が転がっている、あの悲惨な空間。
だが、極限まで自尊心を満たされた俺の脳は、その現実を【見えないタワマンの最上階オフィス】へと勝手に脳内変換してしまっていた。
『はい! 会社を訪問されたお客様やクリエイターの方が、この版画を見たらどう思うでしょうか? 「あ、この会社の社長は、本物のアートを理解し、クリエイターをリスペクトしている素晴らしい方なんだな」って、絶対に見栄えが良くなりますよ!』
「ク、クリエイターをリスペクト……見栄えが良くなる……」
『それに、一流の経営者の皆様は、会社の【経費】としてこういった美術品をご購入されることが多いんです。税金対策にもなりますし、何より、社長様の箔(はく)が付きますよ!』
【経費】。
そして、【箔が付く】。
月給10万円という底辺の鎖に繋がれながらも、どうにかして「成功した経営者」としての見栄を張りたい俺にとって、これ以上ない殺し文句だった。
「なるほど……。確かに、うちのようなIPビジネスを展開する企業には、こういった本物のアート(象徴)が必要かもしれないな……」
俺は、腕を組みながら、まるで数十億円のM&A(企業買収)を検討する敏腕社長のような顔を作って頷いた。
『わぁっ! 社長様、決断力が凄いです! スティーブ・ジョブズみたいで本当にかっこいい……!』
お姉さんは俺の腕にそっと手を添え、とどめの甘い微笑みを浮かべた。
四十歳の、孤独で、見栄っ張りで、圧倒的に気の弱いオタク社長。
彼女にとって、俺を落とすことなど、赤子の手をひねるよりも簡単だっただろう。
俺は完全に、彼女の引いた【黄金のローン契約】という名のレールの上に、自ら進んで乗ってしまったのである。
地獄の入り口とも知らずに、ニヤニヤとだらしない笑みを浮かべながら。
コメント
1件
いや〜、この回ヤバかった!!笑 社長、完全にあの営業のお姉さんの術中にハマってて「あっ…終わったな」って画面の前でニヤニヤしちゃったわ。 「月収10万なのに脳内タワマン変換」して決断する姿、見てて痛いけど憎めないのが秋谷さんのいいところだよな。 「スティーブ・ジョブズみたいでかっこいい」って囁かれただけで金色のローン契約に乗るって、完全に人間の弱点突かれてるやつや…… 続きどんな地獄が待ってるのか、もう気になって仕方ない🔥