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「亡くなった……」
わたしは思わずつぶやいた。
夏希先輩は神妙な面持ちでイノクチ先生を見つめ、アリスさんは隣で小さく息を吐いた。
イノクチ先生はこくりと頷き、
「――それが始まりだった。椿夫妻と夢で繋がっていた魔法使いたちのもとに、その夢魔が現れ始めたんだ。何人もの魔法使いが魔力を吸われ、次々に命を落としていった。運よく夢から覚めて逃れた魔法使いも、恐ろしくて眠れないと不眠症に罹るものもあった。事態は深刻だった。夢魔を甘く見ていた魔法使いたちも、ようやくその恐ろしさに気づいたんだ」
そこまで喋ってから、イノクチ先生は一旦口を閉じた。
わたしも、夏希先輩も、アリスさんも、しばらく黙りこくって何も言えなかった。
そんな恐ろしいものが存在しているだなんて、わたしは一度も聞いたことがなかった。
――夢魔。なぜか楸先輩の形をした、渦巻く闇。
もしあの時、アリスさんに夢から助け出されなければ、もしかして、わたしも魔力を吸い尽くされて、死んでいたってこと……?
恐ろしかった。怖くて仕方がなかった。
気付くとわたしの身体はわなわなと震えていた。
呼吸が荒くなって、うまく息を吸えなかった。
もう、眠れない。怖くて寝ることなんて、できるはずがない。
「じゃぁ、いったい、どうしたら――」
小さく口にすると、アリスさんがわたしの震える肩に、そっと手を添えてきて。
「大丈夫。昨日も魔法をかけてあげたでしょう? 夢魔が現れないようにするには、夢を見なければいいの」
「夢を……?」
「そう。あれは夢を介してしか現れない。だから、毎日夢を見ないようにおまじないをかけておけば、夢魔が現れることもない」
「ほ、本当に?」
「えぇ、安心して」
にっこりと微笑んだアリスさんの、その表情にわずかながら心が安らぐ。
そんなわたしに、けれどイノクチ先生は、
「だがしかし、それも一時的な対処法でしかない。根本的な解決には至らない。当時も多くの魔法使いがそのおまじないで難を逃れたが、けれど夢魔の存在自体が消え去ったわけではなかった。われわれ全魔協では、如何にして夢魔を消滅させるか、何度も何度も話し合いがなされた。けれど、そもそも夢魔なんて化物がどこから出てきたのか、どうして出てきたのかも判らない以上、どうすることもできなかった。そこで誰かが再び夢に入り、夢魔についてより詳しく調べるという案が出された。それは当然、危険なことだった。一歩間違えば、命を落としてしまうことになる。それでも誰かがやらねばならない。椿夫妻は研究の途中で命を落とした。その研究を引き継ぎ、夢魔をなんとかしなければならないという結論に至ったんだ。そこで名乗り出たのが橘左近と楸勉、楸綾――つまり、楸真帆のご両親だった」
「真帆の、両親?」
夏希先輩が問い返して、イノクチ先生は頷いた。
「そうだ。しかし、我々は夢魔を甘く見ていた。夢魔は当初、ただの渦巻く闇だった。その闇が夢で魔法使いたちの身体を包み込むことによって、魔力を奪っていっていたんだ。だから、油断した」
「油断?」
「夢魔は、お前たちが昨日の夢で見た姿のように、その夢を見ている人間の知人の姿に擬態して現れたんだ」
「――擬態」
「楸夫妻と一緒に夢に入った橘氏に寄れば、そいつは椿夫妻の姿で現れたらしい。彼らは椿夫妻の姿を眼にしたとき、それが夢の登場人物でしかないと思ってしまったそうだ。だから、油断してしまったんだ。それが、夢魔が擬態した姿だとは思わなかった。楸夫妻はその擬態した椿夫妻に近づいて――橘氏の目の前で、渦巻く闇に飲まれてしまった」
「それって、つまり……」
「それが、楸の両親の死因だった」
思わずごくりと唾を飲み込む。
楸先輩のご両親が、あの夢魔に魔力を吸われて死んでいる。
なんて、なんていうこと。
イノクチ先生は話を続けた。
「橘氏は恐れおののき、何とか夢から覚めようとあらがった。しかし、どういうワケか目が覚めない。榎や鐘撞の時と同じだ。恐らく、恐怖のあまり思うようにできなかったんだろう。焦りが魔法の邪魔をした、そんな感じだ。橘氏は死を覚悟した。もう助からない、そう思った。けれど、そこに現れたものがあった。楸真帆だ」
「えっ?」
「真帆が、その場に?」
「あぁ」
とイノクチ先生はまたひとつ頷いて、
「いったいどうやったのか、本能的なものか。楸はわずか二歳にして夢渡りの魔法を使い、ご両親の夢と繋がっていたんだ。夢魔は楸に気が付いた。楸はただ笑っていた。橘氏は恐怖のあまり動けなかった。そんな橘氏の前で、それは起きた。楸夫妻を殺した夢魔が、続けざまに楸に襲い掛かったんだ。もうだめだ、と橘氏は思った。楸もこのまま魔力を吸い上げられて死んでしまうと、固く目をつぶった。楸の次は自分だ。もうおしまいだ、と恐怖に震えた。けれど、いつになっても死は訪れなかった。やがて橘氏は、おそるおそる瞼を開いた」
イノクチ先生はそこで一旦言葉を切って、大きく息を吸ってから、
「――そこにあったのは、闇を貪る、楸真帆の姿だった」