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応接間に、重たい沈黙が落ちたままだった。
連続殺人の犯人が明かされ、
それでもなお、事件は終わっていない。
探偵は、ゆっくりと視線を巡らせる。
主人でも、花音でもない。
執事たち。
壁際に立つ者。
椅子の背に手を添える者。
「——もう一度、夜の話に戻りましょう」
探偵の声が、低く響く。
「朝倉花蓮が亡くなった夜」
「彼は、消灯後に廊下にいました」
誰かが、喉を鳴らした。
「理由は、記録に残っていません」
「“たまたま”“確認のため”」
「——いつもの、曖昧な言葉だけです」
探偵は、視線を落とす。
「ですが」
「この屋敷で、消灯後に“自然に”廊下を歩ける人間は、限られている」
花音の背中に、ぞくりとしたものが走る。
「消灯担当」
「巡回を任される者」
「規則を、規則としてではなく、“手順”として扱える者」
探偵は、指で机を軽く叩いた。
「朝倉花蓮は、消灯担当ではなかった」
「つまり——」
言葉を切る。
「彼が夜を歩いた理由は」
「“誰かにとって都合が良かった”」
空気が、ぴんと張りつめる。
「そして」
探偵は、静かに続ける。
「その“誰か”は」
「夜を恐れていない」
「闇の中で、立ち止まらない」
「足音を、意識しない」
花音は、無意識に拳を握っていた。
思い出す。
夜の廊下。
迷いのない背中。
灯りをつけない理由を、説明しない声。
探偵は、ふっと息を吐いた。
「ここで、霊媒師の話に戻ります」
その言葉に、数名の執事がわずかに身じろぎした。
「彼は、言いましたね」
「“はな”が鍵だ、と」
探偵は、首を傾ける。
「確かに、この屋敷には花が多い」
「赤い花は、象徴的です」
「そして」
視線が、花音に向く。
「“花”という音を持つ名前もある」
花音は、動けなかった。
「だからこそ」
探偵は、ゆっくりと首を振る。
「多くの人が、そこに引きずられた」
探偵は、視線を戻す。
「“はな”と聞いて、真っ先に思い浮かべるもの」
「それは、植物です」
「次に、人の名前」
「ですが」
一拍。
「もう一つ、忘れられがちなものがある」
応接間が、静まり返る。
「言葉の“意味”です」
探偵は、淡々と言った。
「“はな”は、花だけではない」
「音は同じでも、別の字がある」
誰かが、息を呑む。
探偵は、そこで初めて、はっきりと間を取った。
そして、静かに告げる。
「あの霊媒師が言った“はな”」
「それは、赤い花でも、花音さんの名前でもありません」
執事たちの視線が、一斉に探偵へ向く。
「だからこそ、”鍵”なのです。」
「この“はな”は——」
わずかに、声を落とす。
「華やかの“華”です」
その瞬間、
何人かの執事が、はっとしたように息を吸った。
探偵は、資料に目を落とす。
「この屋敷に関わる人間の名前を、すべて調べました」
「過去も、現在も」
「その中で」
探偵は、顔を上げる。
「“華”という字を含む名前は」
「私が確認した限り——一人しかいません」
視線が、ゆっくりと動く。
壁際。
いつも通りの立ち姿。
夜を知っている背中。
探偵は、静かに言った。
「ですよね?」
そして——
「華山 大智(かやま・たいち)さん」
名前が、応接間に落ちた。
すべてが、
ここへ辿り着くための夜だったかのように
――呼ばれた。
その名前が、空気の底に沈んでいくのを、はっきりと感じた。
「華山 大智」
探偵の声は淡々としていて、責める色も、煽る色もない。
だからこそ、逃げ場がなかった。
……ああ。
ついに、ここまで来たか。
胸の奥で、小さく息を整える。
驚いたふりをする必要はない。
この瞬間が来ることは、ずっと前から分かっていた。
いや――
分かっていたのは、「俺」だけかもしれない。
「私、ですか」
口から出た声は、落ち着いていた。
いつも通りの、執事としての声。
自分でも感心するほど、自然だ。
周囲の視線が、一斉に集まる。
花音の気配も、はっきりと背中に刺さっていた。
探偵は、僕の反応を見て、わずかに目を細めた。
「ええ」
「驚かないのですね」
「……名前を呼ばれただけですから」
そう答えながら、
頭の中で、いくつかの声が重なる。
――落ち着け。
――まだ、だ。
――ここで崩れるな。
(“僕”が言う)
――いや、もう十分だろう。
――むしろ、遅すぎたくらいだ。
(“俺”が笑う)
探偵は、一歩だけこちらに近づいた。
「あなたは、この屋敷で長く働いている」
「規則を熟知し、夜の動線も把握している」
「消灯後に灯りをつけない理由も」
「足音を立てない歩き方も」
「すべて、身体に染みついている」
その一つ一つが、
刃物のように正確だった。
「ですが」
探偵は、そこで言葉を切る。
「それだけでは、説明がつかないことがある」
僕は、黙って聞いていた。
否定する理由も、肯定する理由もない。
「朝倉花蓮が殺された夜」
「あなたは、“夜を歩く役割”に就いていなかった」
視線が、真っ直ぐに刺さる。
「それにもかかわらず」
「あなたは、迷わず廊下を歩いていた」
……やはり、そこか。
「それは、規則を破った、という意味ではありません」
「むしろ逆です」
探偵は、低く言った。
「あなたは、その瞬間だけ」
「“規則そのもの”になっていた」
ざわ、と空気が揺れた。
「どういう……意味でしょうか」
今度は、意識して声を抑えた。
“僕”の声だ。
探偵は、答えずに続ける。
「あなたは、場面によって一人称が揺れる」
「“私”“僕”“俺”」
「使い分けている、というより——」
一拍。
「切り替わっている」
その言葉が、胸の奥に落ちた瞬間、
中で何かが、はっきりと笑った。
――やっぱり、気づいてたか。
「……言葉遣いの癖、では?」
そう返しながら、
同時に、別の自分が舌打ちする。
――下手だ。
――誤魔化しきれない。
探偵は、首を振った。
「癖ではありません」
「あなたの場合、それぞれの“語り口”に、役割がある」
「秩序を守る執事の“僕”」
「状況を処理するための“私”」
「そして——」
探偵の視線が、深く潜る。
「衝動を引き受ける“俺”」
応接間が、完全に静まり返った。
「多重人格……と呼ぶかどうかは、専門家の領域です」
「ですが少なくとも」
探偵は、はっきりと言った。
「あなたは、一つの意思だけで、この屋敷に立っていない」
――違う。
――いや、違わない。
否定しようとして、
どの声で否定すればいいのか、分からなかった。
「朝倉花蓮を殺したのは、どの“あなた”ですか」
その問いは、
犯人を追い詰めるためのものではなかった。
確認だ。
……答えは、簡単だった。
「……分かりません」
それは、嘘ではない。
「気づいたときには」
「もう、朝だった」
誰かが、息を呑む音がした。
探偵は、ゆっくりと頷いた。
「でしょうね」
「あなたは、“夜”を担当する人格を」
「自分の中に作った」
「だから、恐怖も、躊躇も、罪悪感も」
「すべて、別の場所に置いてこれた」
探偵は、静かに言う。
「朝になれば、“何も知らないあなた”が残る」
「この屋敷の仕組みと、完全に同じです」
……ああ。
その言葉で、すべてが繋がった。
この屋敷が、俺を作ったのか。
それとも、俺が、この屋敷を完成させたのか。
もう、区別はつかない。
探偵は、最後にこう言った。
「あなたは、怪物ではありません」
「ただ——」
視線が、花音へ向かう。
「最初に夜を越えてしまった人間だ」
その瞬間、
胸の奥で、いくつかの声が、同時に黙った。
……終わりだな。
いや。
終わったのは、“俺”だけかもしれない。
壁際に立ったまま、
僕は、静かに息を吐いた。
この屋敷の夜は、
確かに、ここから始まったのだから。