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第一話
変わり者自分では容姿、
身長、体重以外は
他の人と比べて何も
変わらない極めて
一般的な日本人、
同じ人間で同じ
思考同じ感覚
同じ思いだと
疑わずに長い
年月を過ごして来ました、それが大人になり
30歳を過ぎた頃から
年々他者との意識の
違いと自分の認識に
偽和感を覚え初め
時を重ねる度に年々
比例して症状が
酷くなり、
アレって気付き
始め、自分を疑う目で
捉え始めた30代の
頃より明らかに
自覚を伴った
症状の感覚に
他者との違いを
確信する迄に至った
経緯を自身が自身の
事を変わり者と
考え、この症状は
生まれつき、変わり者
だから仕方ないと
思い込んでしまって
いた自分の心境と
この様な症状で
この様な生き方をした
人がいたと言う
1人の回想録を
記したいと思います。
物心ついてからの家庭環境
両親は私が生まれる前から住んでいた近隣に
借家を借り
そこで自営業を営んでいた両親と別に母方の弟、
叔父さんと近所に
住む顔馴染みの
女性パートさん1人
常時5人でメーカーの
規定サイズでは
一般的に売っていない
金属の部品を
必要としている
業者から注文受けて
希望のサイズに
加工する仕事、
自営業を数名で営んでいた、仕事はいつも
父親が作業の
指示や製品全体の
外観検査や臨機応変
にたち振舞っており、
叔父さんは父親の
補助作業を手伝う
事が多く
近所のパートさんは
母と事務作業に従事
して居た、両親2人供同じ場所で働き夜も自宅と言う建屋で暮らして四六時中
顔を合わせていたせいか、話す会話と言えば
仕事の話しばかり、
まだ普通に仕事の
話しだけなら良いが、
仕事のトラブルや、
お客さんの注文キャンセル、製品受注の
減少等の話しになると
両親共に熱が入り
討論、口喧嘩なら
まだ良い方で
口論から家中
引っ掻き回した様な
大喧嘩に繋がる事も
少なく無かった
口論から、
納得いかず先に手を
挙げるのは決まって
父親だった
一度父親が手を
出し始めたら
簡単には喧嘩は止まらず、
その度に家の中で
台風が発生した
様な散々たる有様になり
両親の大喧嘩が終わって
跡に残るのは室内に散乱している以前の生活品
両親の喧嘩に
巻き込まれて
踏みつけられ、
投げつけら
叩き付けられ、
普段お世話に
なって居る茶碗、お椀、箸、障子、襖、
鏡ガラス扉
両親共に興奮状態で、
普段から大切に使っている物や大事な物、頂き物
や記念品、先祖から
引き継ぐ品や寝床の
布団でさえ
破けて中の棉が
散乱していた事も合った
とにかく室内一面に
色々な物が無秩序に
散乱して足の踏み場も
無く、とりあえず
まだ使える生活必需品も使えなくなった生活必需品も確認もそこそこに室内に散乱している物は縁側の扉を一斉に開けて自宅の1番広い間口から全てホウキで外に放り出して、室内に居住空間を確保してから外に
吐き出したゴミや
生活品の
残骸で使える物
使えない物を
見出し仕分けしていた、
最近強く思うのだが当時幼稚園行く前の記憶3歳〜の記憶が鮮明に残っており、その記憶は断片断片だが鮮明で両親が大喧嘩した時だけ3歳の記憶がある何故3歳位かと断言できるかと言えば親の仕事が忙しく叔母が代理で私の手を握り近隣の幼稚園や保育園見学に行った時の叔母がもう3才なるから、もうすぐ友達沢山居るところで遊べるよと言われ喜んだ記憶から保育園に入園決まり保育園の黄色い斜め掛けバッグを買ってもらい
喜んでいたらその夜両親の大喧嘩で買ってもらった黄色のバッグが裂けてポロポロになってしまった記憶が残って居るので3歳から断片的に両親の喧嘩の時だけ記憶が残って居る事は確かだと確信していますが
両親の大喧嘩の前後の記憶迄鮮明に思い出す事はこの時だけで両親の大喧嘩以外の記憶は5歳位になる迄は余り思いだせません、
その頃は共稼ぎで両親
共に仕事の対応に追われ
自分に対応出来ない
事が多く必然的に
オモチャで1人
遊びする事が多かった
そして必然的に
所有していたオモチャへの
思い入れは人一倍
強かったが別れを
泣いて惜しむ
事なく両親の
大喧嘩の度に
部屋の片隅で怯えながら
小声で泣いていた、
オモチャを隠す事も
庇う事も
自分は成すべき事も
無く気付いたら
壊れた生活用品のゴミの
山の一部になっている
自分の大事な
粉粉になったオモチャ
断片をかき集めても、
又買ってあげるからと
直ぐ元のゴミ山に
捨てられた、
幼少期でも
思い入れの有る
オモチャが全て
粉粉になると
憤りを感じ親に大声で
泣きながら叫び
オモチャいつも
遊んでいた原形
もわからなくなった
オモチャと
訴えたくなるが
喧嘩した後の両親の
普段と違う姿に
どことなく恐怖を覚え
粉粉になり壊れた
オモチャの
代弁者になって
憤りをを訴えるたい
気持ちも
幼かった自分の心の奥に
消え去っていた
家の前は両親の喧嘩の度に
ゴミの山ができていたので
使える生活用品と
生活用品
として壊れて使えない
物と仕分けが終われば
ゴミの山を少し広い
庭先に
移動させて
父親がガソリンを
ゴミ山に巻き焼いていた
両親の大喧嘩と
言っても大抵、
父親が一人で
母を力でねじ伏せて
母親がその場に
倒れ込む迄責め続け
どちらが悪いとか
喧嘩の元は関係無く
父親が手を出すと毎回
母の声が出なくなるまで
責め続け父親の
興奮した気持ちは簡単には落ち着かなかったし、
言葉は通じなかった
目の前で母が倒れ込む姿をなん度も見て居るが、
興奮している父親に
辞めてと悲願する
意識も思いも恐怖の前に
吹き飛び、喧嘩の度に、
ただただ震えて
怯えて泣いていた
母が幼い自分を
抱きしめ、持つものも
持たず家を飛び出し
た事も2度3度ではない、
母は典型的な
日本女性で時に
キツい事は言うが
自分が悪さしなければ
常に優しい母親だった、
父は自画自讃では
無いが父方の生まれた
九州の有る地域では
気の荒い人が多く
父親の子供の頃から
父親が住む
近所では喧嘩は
日常茶飯事
だったそうだ、
その幼少期からか
父親の顔色を
毎日みて気分を
伺いながら暮らしていた、小学校に入り
義務教育が始まると1人で学校に行き1人で
帰宅するのだが、
自宅に帰っても
保護者の両親が
仕事で出て居ないので、
誰も居無い自宅に帰らず、両親が働いていた
町工場にランドセル
背負ったまま帰っていた、学校が終わってから
遊ぶ友達も町工場近くに
住んでいた子が多かった、
だからと言う訳では
無いのですが、
幼少期から大人になる
迄周りの子供達より
友達が少なかったと思う、
町工場の敷地は現在の平均的な戸建3軒分位だったと
思うが結構外に面した入り口が広くその広がっているスペースに物心着いた時から様々な動物を飼っていた事も良く覚えています、うさぎ、鶏、猫、犬、ウナギ、鶯、鳩
経緯も飼う目的も知らずにただ網で囲った中にいる変わる変わるの動物や鶏を手を網の中に入れて触る事なく網の外から直視して、いつまでも見ていた記憶が保育園に行き始めた事から覚えています、中でも印象に残る鶏の飼育は朝早くから泣き始め卵を産むわけでも無くペットとして可愛がる訳でも無く子供ながらも何故飼育して居るのか不思議に思い始めた頃の話です
もう昔の事で
時効と思うし
九州の地域地域による
風習も有るので記述するが、
当時は自分が
生まれた地区でも
珍しい事では
無かったと思うが
家の庭先で鶏を飼い、
卵を産ませる
為でなくその鶏を
生きてる新鮮なうちに
生で食べる為に
飼う家庭も珍しくない
時代と地域が有りました、
魚や牛肉と違い鶏は
死んで数時間経つと
食中毒の確立がぐんと
上がるので、焼いて加熱しなければ
食べられないと大抵の方は
思って居るのですが、
生食欲用に飼育された
養鶏場も現在有ります
し、当時民家で個人で
生きた鶏を生きたまま
庭先で足を縛った
鶏を逆さにして吊るし
首元を切り血抜きして
生き絶え跡に
熱湯をかけ羽を
むしり取り包丁で
捌いて幾いて生で
食べると言う風習に近い
食文化は昭和時代なら
九州にも有りましたが
もう何十年も昔の事で
当時はその地域独特の
風習風土があったのかと
思います
現在は九州でも
生食の専門養鶏場以後は
個人での飼育から自宅で
食用に鶏を飼うと言う
個人宅は無いと思います
義務教育が始まると
様々な動物や鳥は姿を
消して犬を長年飼う様になり、
当時庭先で飼ってる犬は
現在の室内犬に比べれば
基本的に短命だった様な
気がします、実際私が
高校卒業してその他を去るまでに
相当の品種の犬を飼育していた
記憶が有ります、飼っていた
犬が病気か寿命か亡くなっては
父親が何処からか子犬を連れ来て
義務教育が始まり高校卒業する迄の12年間で5匹以上は品種の違う犬をシェパード、ブルドッグ、ドーベルマン、チャウチャウ雑種犬?等飼っていたと覚えています両親は今年90近くになりますが当時から現在迄まだ犬を飼い続けています。
それが自分から見たら愛おしい
可愛い家族の一員と言う感じで無く、
ただ犬小屋を設置して餌と
水を欠かさず与えて散歩に
1日2回必ず
連れて行きたまに声をかけるだけで、
両親共に犬が大好きと言う感じではないんです
だからと言って自分から
親に二人共
高齢だし
犬の世話も
大変だから、
もう犬の飼育は
辞めればとか、
子供の自分が
親に意見しても
話は通じないと
言う事は良く
理解しているので
一言もその事
犬の飼育の件は
冗談でも話しかけませんし
今後も話しませんが、
飼育できないからと
自分に現在飼育している
犬の里親にと
言ってくれば笑顔で
了承はする気持ちは
充分に有りますが…
ひなた主
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13
トド村
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コメント
1件
うわあ……第1話からすごく重い空気が伝わってきたよ……。 幼い頃から両親の激しい喧嘩の中で、大切なおもちゃが壊れても声も上げられずにただ震えてたって描写が胸に刺さった😢 「代弁者になりたい気持ちが心の奥に消え去っていた」って一文が特にリアルで、子どもながらに諦めるしかなかったんだろうなって思うと切なくなる…… 3歳の記憶が喧嘩のときだけ鮮明ってのも、その場面だけは脳に焼き付くほど怖かったんだろうね。 まだ1話だけど、この主人公が大人になってどう自分と向き合っていくのか、続きがすごく気になるよ…!