リエは頭のおかしい子供であった。
二人の姉とは殆ど(ほとんど)口も利かず、同年輩の近所の子供たちと遊びに興じる事もない、何とも不思議な子供であったのだ。
小学校に上がってもそれは変わることは無く、碌(ロク)に挨拶もしないリエに教師たちは厳しく指導を繰り返したが、いつも上目遣いで下唇を突き出したまま黙りこくる姿が酷く不気味で、暫くすると誰も注意をしなくなったのである。
放課後も同級生の誘いを平気で無視しては、一人山の中で過ごすことが日課となっていたようであった。
その日も、一人山の中へと踏み入ったリエはいつも通り、そこらに繁茂している草や木の実、キノコや木の皮等を食べながら探検を楽しんでいた。
手にしっかりと握られた散歩用のリードを握りしめながら、道なき道を進んで行くリエ……
因みにリードの先には犬用の首輪がズルズル引き摺られている、当然犬はいない。
いつもなら二、三時間山中を徘徊したら満足して家に帰り、腹を下して夕食は食べず、呻きながら床(とこ)に就くのが普通であったが、この日は少々事情が違っていたのであった。
理由は翌日に迫った『私立茶っ葉小学校』恒例のマラソン大会であった。
当然コユキもリョウコも参加するのだが、二人はノーストレスの風情であった。
リョウコはゆったりおっとりの性格に似合わずスポーツに関しては万能である、反してコユキはオベンキョ特化と決め込んでいるので最初からゆっくり歩いて終える気満々であり、横綱の奉納土俵入り気分で余裕であった。
だがしかし、一見難しい子、気持ちが悪い得体が知れない子と周囲に思われていたリエは、実の所メチャクチャ負けん気だけは強い子であったのである。
反して生まれつきの物であろうか、はたまた幼児期から適当な気分で口にしてきた植物や菌類、昆虫や水生生物のせいだろうか、体は弱く二人の姉に比べてやせ細った体躯(たいく)は頼りなく、長距離走で活躍する事など望むべくもなかったのである。
しかし、負けたくはない……
なんとか周囲に決してバレない不正な手段でも思いつかない物か……
そんな邪悪なことを考えていたリエは、慣れ親しんでいた筈(はず)の山の中だと言うのに、あろう事か前後不覚、所謂(いわゆる)迷子になってしまったのである。
いつもの様に下唇を突き出して、顎を引き額を前に傾けて思い通りにいかない人生の不条理を嘆くリエ、満六歳は、辿り着いた沢にゴロゴロしていた石を掴み、手持無沙汰を胡麻化すように積み上げたのである、言う所の現実逃避だったのだろう。
積み上げた石の高さがリエの身長を越えた瞬間、周囲に光の粒子を撒き散らせて現れたのが、三十年前の当時まだ野良だった、先代クシティガルバから二代目地蔵を譲られたばかりのスカンダ、アレクサンドロス三世であったのだ。
顕現したスカンダは目の前で上目遣いでこちらを凝視して、下唇を突き出している少しおかしな少女に対して、ここ何百年かの間クシティガルバから教え込まれて来た定型文を口にするのであった。
「六道(りくどう)で迷い彷徨う(さまよう)亡者よ、私はそなた等を導く為に存在する者です、
さあ、正しき道へとあなたを誘いましょう!」
セリフは完璧だった、噛んでもいない、だと言うのに目の前の幼女は気持ち悪い表情を崩す事無く、ジッとスカンダを見つめたままだったそうだ。
いつまでたっても動かない幼女の頑固な姿に業を煮やしたスカンダは、ため息を吐いて座っていた幼女の隣に腰を降ろすのだった。
辺りは夕焼けの赤色が、徐々に逢魔時(おうまがどき)の青に染められ、夜の始まりが迫る頃、リエは漸く(ようやく)言葉を発したのである。
「アタシね…… 足遅いんだ……」
スカンダは驚いた表情を無理やり消して、さも平常心ですよ、そう聞こえるように答えたのであった。
「へえ、そうなんだ」
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