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#一次創作 #奇妙 #金魚
その日は祖母の一周忌だった。
久々に親戚達と顔を合わせて祖母のための念仏を聴いて、皆で割と豪勢な食事をして、そのまま俺は祖父母の家に泊まった。俺が成人した後はほとんど来ていなかったからぼんやりと懐かしさに浸っていたのだが、一つ気になることがあった。
俺の泊まる部屋に、空の金魚鉢が置かれていたことだ。
金魚鉢自体は知っている。かつて祖母が金魚を飼っていたときに使っていた物だ。俺もよく見せてもらっていた。しかし、何を思って空の状態で俺の寝室に設置した。普通に怖い。祖父に問い質してみたところ、俺にとっての祖母との思い出の品だからという優しさから来た行動らしい。祖父の優しさを無下にはできない俺は仕方なくそのまま眠ることにした。ステレオタイプの電気を消して布団に潜り込み、なるべく金魚鉢を見ないように目を閉じた。
我ながら図太い神経だが、あんなに怯えていたくせにどうやらしっかり寝ていたらしい。何かの物音で意識がふと持ち上げられた。祖父の優しさだろうかと思って物音のする方向を向くと、床に置かれた空の金魚鉢の中にごぽごぽと水が湧き出ていた。
「………は」
一気に覚醒して飛び起きる。勢いよく頬を叩いてみる…が、痛い。夢じゃない。
「おい、どうなってんだよ…」
慌ててドアを開こうとするが、どれだけ力を入れてもびくともしない。窓も同様だ。理屈は分からないが、俺は完全にその部屋の中に閉じ込められていた。
俺が呆然としている間にも水は湧き続け、やがて金魚鉢を満たし終えるとそのまま縁の外へと流れ出てきた。じわじわと布団へ近付いてくるその液体から逃げるために、近くにあったタンスの上に咄嗟に飛び乗る。祖母の嫁入り道具らしいタンスは俺が乗っても揺らぎもしなかった。
恐怖と焦りで浅い呼吸を繰り返していると、突然気分が悪くなった。それは不自然な程唐突なもので、目眩やら痙攣やらの類ではない。何かが俺の腹の中をぐるぐると暴れ回り、無理矢理俺の体の外へと出ようとしてくる。紛う事なき吐気だ。
「ゔ…お”えっ」
俺の口から出たのは吐瀉物…などではなく、特に変わった点のないごく一般的な金魚だった。
「ゔぁ…なんだこれ…」
生きている。タンスの上で苦しそうに跳ねている姿から、その事実だけは分かる。しかし、何故俺の口から生きた金魚なんてものが出てきたのか。
あれこれ考えている内にも水は溢れ続ける。俺のもとへ上がってくるのも時間の問題だ。不可解な現象によって錆びついた俺の鈍い頭で、できる限りの最善の選択肢を選び取らなければいけない。 考えて、考えて、考えろ。
焦る俺の視界の端で、金魚が跳ね回る。思考の邪魔だ。目を瞑れば容易にシャットダウンできるが、この状況下で目を閉じるのは…。
「…金魚」
そうだ、金魚。金魚鉢には金魚が入っているものだ。この金魚をあの金魚鉢に入れることができたら、何か状況が変わるかもしれない。
勿論何も変わらない可能性もあれば、悪化する可能性だってある。これはリスキーな賭けだ。しかし、悩んでる暇も、何もしないという選択肢も、俺にはない。
心なしか大人しくなった金魚を掴み、タンスの上から意を決して飛び降りる。片足が床を覆う液体に触れたとき、水に入ったはずの足が無数の金魚となり水中にぶわりと散らばった。
「!」
ぐらりと体が傾くのを感じて、慌てて意識を切り替える。予想外の事態に驚いている暇はない。もう一方の足を伸ばして無理矢理前へ進む。体が徐々に沈んでいく中、まっすぐに金魚鉢を見据えた視界の端に紅いひれがちらちらと映り込んだ。
「…っ、届け…!」
精一杯金魚鉢へ腕を伸ばす。そして金魚をいまだ水の溢れ続ける金魚鉢の中に…
そっと、押し込んだ。
はっと目を覚ますと、そこは変わらず祖父の家の中だった。ぞっとして慌てて周りを見渡すが、水は張っていないし、窓の外も明るい。俺の足も人間の物のままだ。どうやら俺が寝る前までの状態に戻っているらしい。 あれは夢だったのだろうか。そう思いかけたとき、ふと祖母の金魚鉢が目に入った。
金魚鉢の中では一匹の金魚が悠々と泳いでいた。