「ん……」
目を開けると、目の前に奏多さんが寝ていた。
そうだ。昨日、私はあのまま寝てしまったんだ。
なんて贅沢な眠り方なんだろう。
ふと、時計を見る。
「やばい!起きてください。奏多さん!遅刻ですー!」
アラームをセットするのを忘れてしまった。
慌てて朝食の準備をする。
ご飯を炊いている余裕はないから、今日はパンにしよう。
スクランブルエッグとソーセージを焼き、ブロッコリーのサラダを作る。 スープは手抜きで、コーンを入れたコンソメスープだ。
デザートは……。
そうだ、昨日残っているケーキがある。
「奏多さん、起きて!」
まだベッドにいる彼を揺さぶる。
「私、遅刻しちゃうので!朝ご飯、机の上にありますから!ケーキは冷蔵庫ですからね?私、先に出ます」
一声かける。
「わかった」
彼が返事をしてくれた。
よし、これで大丈夫。
私は昨日の夜のことなどすっかり忘れて学校に行った。
学校では
「ねえ、昨日の湊の新曲聞いた?やばいよね?」
湊さんの曲の話題で盛り上がっていた。
私も仲間に入って、語りたい。
しかしそんなに仲良くはないため、席に座って聞き耳を立てているだけ。
「私、昔の湊の方が好きだな。なんか最近ブレない?音とか?」
何を言っているんだろう。自分がバカにされるより腹が立つ。
「そっかな。私は好きだけどな」
うんうん、私も好きですと心の中で答える。
「売れてるからって、サボってるんじゃない。ボイトレとか」
そんなわけない。奏多さんがどれだけ帰りが遅いか私は知っている。でもやっぱり、人によって評価は様々なんだろうな。
だから、奏多さんも悩むんだ。
しかも、本人は売上のことや世間の声を嫌でも直接聞かなきゃいけない。
私だったら酷評されたら落ち込んでしまうかも。
やっぱりすごいな、奏多さんって。
そんなことを思い、アルバイト先に向かった。
朝番の人と交代をする。
やはり今日もお客さんは少ない。
店内の掃除、本の整理をする。
集中して取り組んでいたら、あと少しで閉店の時間だ。閉店準備をしようとした。
店内はラジオが流れているのだが
「あっ、湊さんの新曲だ」
リクエストランキング一位らしい。
「やっぱりすごいな、湊さんは」
お客さんもいなかったため、大きめな独り言を呟いた。
「何がすごいんですか?」
「ああ、店長。お疲れ様です。やっぱり湊さんはすごいなって……」
振り返ると、店長の姿をした奏多さんがいた。
「なっ、なんでいるんですか?」
「いちゃ悪いかよ。店長だぞ」
一緒に店を閉め、二人で二階へ上がる。
「なんでいるんですか?」
「んっ?たまたまだよ。たまには、ちゃんと店長しなきゃだろ」
彼はタバコに火をつけた。
奏多さんは、ここの二階ではタバコを吸う癖がある。自宅では吸わないのに。
あっ、今なら言えるチャンスかもしれない、店長の姿をしているし。
「あの。最近、成瀬書店の売り上げが落ちているんです。だから、パートさんが心配をしていて……」
彼はふぅと煙を口から出す。
「そりゃそうだろうな。こんな古本屋。新しい本が入るわけでもないし……」
彼は落ち着いていた。
「大丈夫なんですか?」
「もともと、繁盛したいなんていう気持ちはない。この本屋、じいちゃんのなんだ。もう亡くなったけど。俺、両親に恵まれなくて。じいちゃんが育ての親みたいなものだった。小さい頃から、時間があればこの本屋を手伝ってたよ」
彼はタバコの火を消した。
「俺も音楽が好きだったし、この古本屋をちゃんとした形では継げなかったけど、じいちゃんが集めた本だけは最後の一冊になるまで売ろうと思った。まぁ、現実無理だけどな。俺が「湊」でいる限り、この店は潰れない。潰させない。この店が赤字でも、それを補える収入くらいはある。だから、安心しろ」
そんな思いで店長をしていたんだ。
彼の芯の強さ、私も見習いたい。
「奏多さんって、カッコいいですね」
「湊じゃなくて?」
「どっちもカッコいいです。ていうか、私はどっちの名前で呼んでいいんですか?湊さん?奏多さん?」
彼は少し間を空けた後
「花音のお好きなように?」
選んでいいと言われたら、私はどちらで呼ぶのかもう決めていた。
「わかりました。奏多さん」
彼は驚いた顔をした。
「湊じゃないの?」
「はい。だって奏多さんでしょ?」
彼の顔が赤くなったような気がした。
「わかったよ、帰るぞ?」
「はい」
奏多さんと一緒に成瀬書店から帰宅をする。
なんだか不思議だ。
「今日の飯なに?腹減った……」
「そうですね……。何か食べたいものありますか?」
「甘い物」
「はいはい、わかりました」
こんな会話がずっと続けばいい。
この時私は、心のどこかでそう思っていた気がする。
奏多さんとの同居生活も慣れた頃、ちょっとした事件が起こった。
「なに?今、なんて言った?」
機嫌が悪そうに彼が私に問いかける。
「申し訳ないんですが、一泊二日、家政婦とアルバイトをお休みさせてください」
出来れば穏便に済ませたい。
奏多さんの帰宅後、話があるからとリビングに彼を引き留めている。
お腹が減っているためか、彼の機嫌はいつも以上に悪かった。
「男でもできたのか?」
「できるわけないじゃないですか、合宿ですよ!合宿。専門学校の」
自分がこんな状況で恋愛なんてできるわけない。
毎日、学校、アルバイト、家政婦(奏多さんのお世話)で忙しい。
「一泊二日、どこかで歌を練習したって上手くなんてならない。諦めろ」
「それは……」
CDを出せば常にランキング一位。
有名アーティストの「湊」さんにそれを言われたら何も言い返せない。
「とにかく!一泊二日、お休みをいただきますので。よろしくお願いします」
私は逃げるように、その場から離れ、自分の部屋に戻る。こうやって話していても終着点が見えなさそう。
夕ご飯は、テーブルの上に作ってあるし、お風呂も掃除していつでも入れるようになっているし、家政婦としての仕事はちゃんとやっているつもりだ。
合宿に行けるのは、奏多さんのおかげでもある。
奏多さんと同居することで、アルバイト代が浮いたし、家政婦として雇ってもらい、逆に収入が増えた。
初めて家政婦の給料をもらった時、あまりの金額の多さにびっくりして、半分は返却した。
その時だって、何時間以上も口論したのを覚えている。
「合宿に参加できるのも奏多さんのおかげだから、きちんと認めてもらいたかったけど、無理かな」
自分のベッドに横になりながら呟く。
「合宿に行ったら、甘いお菓子のお土産でも買ってこよう」
それから、一週間後、奏多さんとあまり会話もしないまま合宿の日を迎えた。
同居していても、会話をしなくても生活はできる。それに、奏多さんも忙しいみたいで、帰りも遅かった。私が作るご飯はしっかり食べてくれてあって、嬉しかったけれど。
奏多さんが寝ている寝室にノックをする。
一言「行ってきます」と挨拶をしたかった。
「奏多さん、開けますよ?」
彼はベッドで寝ていた。
彼に聞こえるか聞こえないかの声で
「行ってきます」
と挨拶をして、部屋から出た。
「行ってらっしゃい」
私には聞こえなかったが、彼はそう返事をしてくれていた。
コメント
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毎回思うけど、朝食美味しそう、!! 食べてみたくなる、!!🥰