正直、自分でも驚いた。
復讐だけを考えて生きてきたし、人間らしい感情なんてとっくに死んだと思っていた。
ましてや、恋なんて。
俺がごちゃごちゃ考えていると、彼女が申し訳なさそうに言った。
「……私、行くあてもないの。あなたについて行ってもいい?」
「は?」
思わず間抜けな声を上げた。
慌てて言い直す。
「あっ、いや! 違う、ぜんぜんいいんだけど、その、うん、いいよ」
「よかった……。私、もうこのまま死ぬんじゃないかと思って……」
彼女はまた泣き出してしまった。
とりあえず歩きながら、話を聞くことにした。
彼女の名前はアテナ=プロトム。17歳。
母が人族で、父が魔族のハーフだという。
昔、人族と魔族の間に大きな戦争があった。
それが原因でお互いに強い差別意識が生まれたらしい。
ただ、今ではとある人物のおかげで、人族の間ではほとんど差別が残っていないようだ。
だが、このアビシア大陸では事情が異なる。大陸には港や大きな国がないため、他の大陸の情報がほとんど入ってこない。
そのため、魔族への偏見や差別が今も根強く残っているらしい。
アテナもその犠牲者だった。町を追い出され、行き場を失い、あんなことになってしまったのだという。
ふと彼女の方を見ると、涙はすでに止まっていた。
無言のまま歩くのも気まずいので、なんとなく声をかけた。
「あ……あの、もう大丈夫か?」
「ええ、もう大丈夫よ」
小柄で可愛らしい見かけによらず、彼女はとても強いようだ。
後から知ったことだが、魔族は家族や仲間の死に対してあまり後を引かないらしい。
「仲間のために死ねるなら本望」というのが彼女らの考え方だそうだ。
「それにしても、あなた、すごく強いのね!」
アテナはキラキラとした眼差しを向けてくる。
戸惑いながらも、俺は答えた。
「そ、それほどでもないよ」
「私もあんなふうに強くなれるかしら」
「あっ、えっと……が、頑張って鍛えれば、誰だってなれるさ」
正直、楽しかった。
復讐なんて忘れてしまうほどに。
久々に人と話したうえに、それが好きな相手だ。楽しくないわけがない。
ふと、彼女の方を見る。
とても可愛い。ずっと見ていたかった。
彼女と他愛もない話をしながら歩いていると、突如として空から影が急降下してきた。
黒い影が一気に地面に着地する音とともに、衝撃が辺りに響き渡る。次の瞬間、猛烈な爆風が俺と彼女を吹き飛ばした。
「っ……!?」
俺は後方の木にぶつかって辛うじて体を止めたが、彼女は――。
振り返ると、彼女は岩に叩きつけられたように倒れ、頭から血を流している。唇は青ざめ、体は力なくもたれかかっている。
その姿を見た瞬間、理解した。
……死んでしまったのだ。
「あ……アテナ……?」
震える声で名前を呼んだが、彼女からの応答はない。
あまりにもあっけない。
ついさっきまで隣で微笑んでいた彼女が、目の前で無残に倒れている。
土煙が少しずつ晴れていき、目の前の影がはっきりと見えてきた。
そこに立っていたのは、俺が幾度も恨み、そして恐れた――ヘラクレスだった。
彼の姿を目にした途端、胸の奥に沸き上がる怒りが暴発しそうになる。
この男は、いつも俺の大切なものを奪っていく。
俺は震える声で問いかけた。
「なんでだ……?」
口をついて出たのは、純粋な疑問だった。
この男は、なぜ俺をここまで執拗に追い詰めるのか?暇人なのか?
「どうして……っ」
その瞬間、ヘラクレスは何の前触れもなく拳を振り下ろした。反応する間もなく、俺は再び吹き飛ばされ、岩に叩きつけられる。衝撃で体が軋み、骨が砕ける音が頭の中に響く。
――勝てない。
俺の中で、はっきりとその事実が突きつけられた。
それでも、逃げられるわけがない。いや、もう逃げる場所すらない。
嗚呼、俺はここで死ぬんだな。
胸の奥で、諦めとともにそんな言葉が浮かんだ。
ヘラクレスが冷たく俺を見下ろし、手を前に翳す。
「|風切断《ウインドカッター》」
一瞬で膨れ上がった巨大な風の刃が、俺に向かって迫ってくる。
視界がぼやけて、過去の思い出が脳裏を駆け巡る。
父さん……ごめん。そう思った瞬間――
「北辰一刀流《払流》」
澄んだ鋭い声が響き渡り、俺の目の前を覆っていた風の刃が一瞬で霧散した。
驚きに動けない俺の体は、ぼろぼろで、もはや立ち上がる力すら残っていない。
それでも、なんとか必死に視線を上げる。そこには――見覚えのある人物が立っていた。
釣りをしていた時に出会った謎の人物だ。
「え……?なんで……?」
俺の呆然とした声を聞きつけて、その人物は冷静に言葉を返す。
「喋る元気があるなら、さっさと逃げろ」
そう言い放つと同時に、そいつの姿が一瞬で視界から消えた。いや、消えたのではない――とんでもない速さで、ヘラクレスに向かって踏み込んだのだ。
「北辰一刀流《楓舞》」
間一髪のところで、ヘラクレスは身をひねってその一撃をかわした。刃がかすめ、彼の長髪が切れる。
だが、すぐに体勢を整えると、鋭い眼差しで一瞬だけこちらを睨んだ後、ふんと鼻息をついて、後方へ大きく跳び、さらに数メートル後退する。
そして、空高く舞い上がると、そのまま遠くへ飛び去っていく。
俺は、張り詰めていた気が一気に緩み、安堵に体の力が抜けていくのを感じた。心臓がまだ激しく鼓動しているのがわかる。
彼がいなくなったという安堵と、助かったという奇跡に全身の力が抜ける。
視界がふっと暗くなる。力を失い、そのまま地面に崩れ落ち、意識を手放した。
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