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第138話:2%ルールの崩壊〜FXの魔物と、狂い鳴る自律神経〜
「いいか結愛(ゆあ)。投資において最も重要なのは、テクニカル指標でもファンダメンタルズでもない。『資金管理』だ」
帯広のボロアパート、四畳半。
俺は、三万円のゲーミングチェアの上で、まるでウォール街のカリスマトレーダーのようなドヤ顔を作って語っていた。
現在、株式会社インフィニティ・ワンの法人口座には、ズボラ猫耳VTuber『ヨモ』が海外から稼ぎ出した約十万ドル(一千五百万円相当)がプールされている。
俺はそれを日本円に換金するタイミングを見計らう……という名目で、完全に為替(FX)のデイトレードに手を出していた。
『……ほう。先日、雇用統計の発表で為替差損を抱えて泣き叫んでいた素人社長が、一体どの口で資金管理を語るのでしょうか』
ディスコードの向こうから、我が社の冷徹なる経理担当・結愛の氷点下ボイスが飛んでくるが、今の俺はノーダメージだ。
なぜなら、ネットのFX必勝法ブログを読み漁り、最強の盾を手に入れたからである。
「ふっ。素人は一度の負けでパニックになる。だが俺は違う。プロの投資家が必ず実践している『2%ルール』を導入したからな!」
『2%ルール、ですか』
「そうだ! 一回のトレードで許容する損失額を、総資金の2%以内に収めるという鉄の掟だ! うちの資金が一千五百万円なら、その2%は三十万円!」
俺は画面のチャート(USD/JPY)を指差した。
「つまり、どんなに相場が逆行しても、損失が三十万円に達した時点で機械的に損切り(ストップロス)を行う! これを徹底すれば、理論上、資金がショートすることはないんだよ!!」
俺の完璧なロジックに、結愛は小さく溜息をついた。
『なるほど。頭では理解しているようですね。……では、現在のルシフェル様のポジション(建玉)と、含み損益の状況を確認してみましょうか』
「おう! 見て驚け! 今俺は、レバレッジを効かせて1ドル150円のジャストで全力の『買い(ロング)』を入れている! そろそろ反発して爆益を生むはずだ!」
俺が自信満々に答えた直後。
PCモニターの右下に、AIアシスタントのジェミニ先生から無慈悲なポップアップ通知が表示された。
『ルシフェルさん。現在のUSD/JPYレートは、149.75円です。含み損が、貴方の設定した2%(三十万円)の自動損切りラインに到達間近です』
「…………えっ?」
俺の心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。
画面のチャートを見ると、さっきまで横ばいだった赤と緑のローソク足が、ジワジワと下落トレンドを描き始めている。
『社長。2%ルールに従うのであれば、このまま機械的に損切りを実行させ、三十万円の損失を確定させる必要があります。さあ、鉄の掟を受け入れてください』
結愛の言葉が、四畳半に冷たく響く。
「ま、待て! 待ってくれ! これは一時的なノイズだ! MACDのシグナルはまだ完全に下を向いてないし、RSIも底を這ってる! ここで切るのは素人のやることだ!」
『……先ほど、「損失が三十万円に達した時点で機械的に損切りする」と豪語していたのはどこの誰でしょうか』
「相場は生き物なんだよ!! 機械的に切ったら、その直後に反発(リバウンド)した時、悔しくて夜も眠れなくなるだろ!!」
俺は、震える手でマウスを握りしめ、あらかじめ設定していた『自動損切りライン(ストップロス)』の注文を、こっそりと下にズラした。
『あ。ルシフェルさん、損切りラインを149.00円に変更しましたね。これで損失許容額は100万円に拡大しました』
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레몬인
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そあち♡໒꒱
88
なんたろ
1
ジェミニ先生の無機質な実況が、俺の愚行を暴き立てる。
『ルシフェル様。貴方は今、会社の運転資金、つまり来年の税金を払うための大切な命綱を、己の根拠のないお祈りトレードの担保にしています。2%ルールはどこへ行ったのですか?』
「ルールは状況に応じて柔軟に変えるのが優れた経営者なんだよ!! 戻る! 絶対に戻るから!! 頼むから戻ってくれぇぇぇ!!」
俺は、三万円のゲーミングチェアの上で、両手を組んでモニターに祈りを捧げ始めた。
だが、相場の神様は、ルールを破った愚か者にはとことん冷酷だった。
ズンッ、ズンッ、と。
緑色の陰線が、まるで俺の寿命を削るかのように、さらに下へと伸びていく。
149.70円。
149.60円。
149.50円。
1pip(値幅)動くごとに、俺の含み損が一万円単位で膨れ上がっていく。
「あ……あぁ……っ。い、胃が……胃が痛ぇ……っ」
俺は無意識に腹を押さえていた。
かつて、コールセンターでハードクレーマーの怒鳴り声を浴び続けていた時と同じ、いや、それ以上の激痛。
数字が動くたびに、脳髄を直接ヤスリで削られているかのような感覚に陥る。
「吐き気が……。結愛、俺、心臓がバクバクして、変な汗が止まらねえ……。これ、自律神経がぶっ壊れるやつの前兆だ……っ」
『当然です。本来ならミニマリストとして一日一食の玄米で質素に暮らしている四十歳が、ミリオン単位で乱高下する為替のプレッシャーに耐えられるはずがありません』
結愛の言葉は容赦がない。
『投資のプロたちは、感情を殺す訓練を受けています。しかし、ルシフェル様はただのインボイスに怯えるおっさんです。失ってはいけないお金(税金用資金)でギャンブルをしている時点で、精神が崩壊するのは必然です』
「ギャンブルじゃない! 投資だ! これは会社を守るための……あばばばばっ!! また下がった!! 一気に十万減ったぞ!!」
『SuperChat: $50.00 (Why is the boss looking like he’s going to throw up?)(スパチャ50ドル:なんでボス吐きそうな顔してんの?)』
『SuperChat: $100.00 (He is fighting the Yen! The Super Bottom is losing!)(スパチャ100ドル:彼は円と戦ってる! スーパーボトムが負けそうだ!)』
別窓で開いていたヨモの配信枠から、俺の阿鼻叫喚を察知した海外リスナーたちが面白がってスパチャを投げてくる。
だが、もうそのスパチャの額すら、為替の変動で吹き飛ぶ含み損のスピードには全く追いついていなかった。
「だめだ……! もう限界だ! 切る! 俺は切るぞ!! 損切りだァァァ!!」
俺は半狂乱になりながら、決済ボタンを連打した。
『チャリン』という無慈悲な確定音と共に、俺の口座から数十万円という大金が、完全に電子の海へと消滅した。
「はぁ……はぁ……。お、終わった……。俺の、俺の金が……」
俺が真っ白な灰になってゲーミングチェアに沈み込んだ、数分後。
『ルシフェルさん。USD/JPYのレートが急速に反発し、先ほどの建値(150円)を突破して上昇トレンドに入りました』
ジェミニ先生の報告が、四畳半に響き渡った。
「あ、あああ……っ!! 持ってれば……持ってれば助かってたのに!! なんで俺が切った瞬間に上がるんだよォォォォ!!」
『FXあるあるですね。市場は、ルシフェル様のような素人の損切りを燃料にして上昇するのです』
結愛の冷たい声が、トドメを刺す。
「ルール……。ルールなんて嘘じゃねえか……。相場は、為替は悪魔だ!! インボイスより恐ろしい、血も涙もない悪魔だァァァ!!」
俺は、胃袋の激痛と、ぶっ壊れた自律神経の不快感に悶えながら、四畳半の畳に転げ回った。
資金管理の2%ルールは、人間の強欲と恐怖の前に、いともたやすく崩れ去る。
外貨を獲得したはずの株式会社インフィニティ・ワンの社長は、為替という名の底なし沼で、己の精神と会社の命綱をすり減らしていくのであった。
コメント
1件
うわ…胃がキリキリする…(笑) さっきまで「2%ルール!鉄の掟!」ってドヤってたのにな、含み損の数字が動くたびにルールがふにゃふにゃになってく感じ、痛いほど伝わった。損切りした直後に反発するの、マジであの世界の悪魔の仕業だよね。 結愛の容赦ないツッコミも、逆にルシフェルの情けなさが際立ってグッときた。 自律神経を削るFX沼、作者さんの人間の弱さの描き方がリアルすぎて、笑いながらも共感しちゃう🥀