テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#オリジナルキャラクター有り
警視庁捜査一課のオフィスに、場違いなほど軽快で、それでいてひどく傲慢な溜息が響き渡った。
「嫌だよ。誘拐事件なんて、僕の管轄外だ。あいにく、行方不明の子供を探すための超能力は持ち合わせていないんでね」
グレーのコートを椅子の背にかけ、柊さんはデスクに足を投げ出してスマートフォンを弄っていた。本来、誘拐事件は捜査一課の管轄ではないため、強行犯係の私たちにお呼びがかかることは滅多にない。
「柊さん、わがままを言わないでください。上層部からの指名なんです」
小宮さんが、いつになく困り果てた顔で彼を説得していた。今回の事件は、あるIT企業の社長令息が連れ去られたというもので、犯人からの身代金要求も届いている。一刻を争う事態に、上層部はなりふり構わず、柊さんの「嘘を見抜く目」を求めたのだ。
「指名? 光栄だね。でも断る。……あ、でも、条件次第では考えてもいいよ」
柊さんはスマートフォンの画面を消すと、不敵な笑みを浮かべてこちらを見た。
「南さんが一緒じゃないと、仕事はしない。僕のボディーガードがいないと、怖くて現場なんて歩けないからね」
「……はぁ!? 何言ってるんですか、私は一課の報告書が山積みで……!」
思わず叫んだ私の抗議を、小宮さんの重い視線が遮った。
「……南。すまんが、行ってくれ。あいつを動かせるのはお前だけだ」
「小宮さんまで……。わかりましたよ、行けばいいんでしょ!」
私は吐き捨てるように言い、乱暴にコートを掴んだ。背後で
「お見事。なかなかのキレだね」
と楽しげに笑う柊さんの声に、こめかみがピクリと震えるのを感じた。
たどり着いたのは、成城の閑静な住宅街にある、美術館のような大邸宅だった。
門をくぐると、制服警官や無線を手にした私服刑事たちが慌ただしく行き交っている。だが、その中心にあるはずの静寂は、重く、粘りつくような嫌な予感を孕んでいた。
「……南さん、深呼吸。肩に力が入りすぎて、また柔道技をかけられそうだ」
「……誰のせいだと思ってるんですか」
軽口を叩きながらも、柊さんの瞳はいつもより鋭く、周囲の景色をスキャンしていた。
リビングに入ると、そこには一人の女性が立っていた。洗練された紺色のワンピースを纏い、上品な出立ちではあるが、その顔は絶望に青ざめ、今にも崩れ落ちそうに震えている。
「……あ、あの……警察の方ですか? 息子は……息子は無事なんでしょうか……」
縋るような声を上げた女性の顔を見た瞬間、柊さんの歩みがピタリと止まった。
「……っ」
隣にいた私にまで伝わるほどの、微かな動揺。
いつも飄々として、どんな凄惨な現場でも眉一つ動かさないあの男が、目を見開き、一歩後退りした。
「……ヤバいな」
柊さんの喉から、絞り出すような低い声が漏れた。その顔には、隠しきれない焦りが浮かんでいる。
「柊さん? どうしたんですか、急に……。知り合いですか?」
私が小声で尋ねると、柊さんは顔を伏せ、顔を押さえた。
「……南さん。今すぐ帰ってもいいかな。……あの女性は、僕の昔の顧客だ」
「顧客? ……まさか」
「ああ、その『まさか』だよ。僕が詐欺師時代に、たっぷりとお金を巻き上げた被害者だ。……あの人は、どうやら昔から犯罪被害によく巻き込まれる星の下に生まれているらしい。……最悪の再会だ」
柊さんの瞳に宿ったのは、いつもの冷徹な好奇心ではなく、過去の自分の影に追い詰められた、一人の男としての当惑だった。
誘拐された子供。
かつて自分が騙した母親。
止まっていた柊さんの時計が、皮肉な巡り合わせによって、再び重い不協和音を奏で始めようとしていた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!