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なんなんだろうな。
さっき、後藤に視線をそらされたが。
まさか、あいつ、貞弘に気があって。
やましくて、俺と目を合わせられないとか?
きっと、そうだ。
俺と同じくらい、あいつといるから、後藤もあいつを好きになっているに違いない。
七海は仕事のときとは違い、冷静な判断ができなくなっていた。
自分が好ましく思っているから、他の人も好ましく思うだろう、という謎理論により。
七海の中では、後藤は、社長の想い人を好きになるという禁断の恋に溺れていた。
そして、七海の中の後藤の評価は高く。
あんなすごい奴なんだから、あいつに思われたら、貞弘もあっちになびくに違いない、と思っていた。
昼休み。
七海はよく、悠里が出没するという、社屋の外の自動販売機に行ってみた。
悠里はしゃがんで、ぶち猫と遊んでいた。
「おい」
と声をかけると、振り向き、
「あ、社長。
お疲れ様です」
と言う。
猫が鳴くと、
「猫もお疲れ様ですと言ってます」
と適当なことを言う。
側にしゃがんで、二人と一匹で、ゆったりした昼休みを過ごした。
ぽかぽかといい感じの陽気で。
まだ足元は冷える季節だが、ここは白いコンクリートに日差しが反射して、足元から暖かく。
ぽかぽかして眠くなる。
「なんかいいなここ」
と呟くと、
「でしょ?」
と悠里が微笑む。
そのとき、思った。
こいつと結婚したい、と。
いや、今まで思ってなかったんですか、と後藤辺りに突っ込まれそうだったが。
今、ほんとうにそう思った。
なにもない自動販売機の前で、ぼうっとしているだけなのに。
二人と一匹でぼんやりしているだけなのに。
かつてないくらい幸せな気がするっ。
そう思う七海の頭の中では、あのガランとしてちょっと寒々しい部屋に、悠里とこの猫がいて、自分と笑い合っていた。
……いや、この猫は、うちの猫ではないのだが。
そう七海が思ったとき、幸せな時間を破るスマホの着信音がした。
メッセージが入ったようだ。
貞弘は、俺じゃなく、スマホをじっと見つめている。
「……後藤か?」
悠里が顔を上げて言う。
「スーパーからのお知らせです。
週末、ミニ京都物産展があるらしいです」
「そうか。
よかったな」
と言ったとき、また悠里のスマホにメッセージが入った。
俺といるのに、熱心にそっちを読んでいる……。
「……後藤か?」
悠里がまた顔を上げ、言った。
「いや、なんで、後藤さんなんですか。
コンビニのクーポンが届いたんですよ」
「お前の友人はスーパーとコンビニばっかりか」
「他の人も登録してありますよ~。
電話番号の方とかは、わかりやすいように登録も工夫してありますしね~」
と悠里が連絡先一覧をチラと見せてくれる。
『秘書後藤』
「なんかの本のタイトルみたいだな」
と言いながら、その事務的な感じに、ホッとする。
『デキる秘書鞠宮』
「……なんで、鞠宮には、デキる秘書ってついてんだ」
「いや~、仕事で分類、とか思ったんですけど。
よく考えたら、周り、秘書の人ばっかりで」
区別がつくように、いろいろと付け加えてみました、と悠里は言う。
「待て。
鞠宮はデキる秘書で、後藤がただの秘書だと、後藤ができない秘書みたいじゃないか」
「いや、単に特徴がなかったからですよ」
とそれはそれで失礼なことを言いながら、悠里がスクロールさせた先には、
『猫秘書吉崎』
の文字があった。
「いや、吉崎さん、猫の秘書みたいになってるだろうが。
っていうか、この並びに俺も入ってるんだよな?
俺は、なんて書いてあるんだ?
まさか、ササミかっ!?」
「違いますよ~」
と言いながら、悠里は何故かスマホを隠そうとする。
「ササミなんだなっ?」
「違いますよ~。
そもそも、最初に七海をササミって間違ったの、私じゃなくて、スマホですからね」
音声入力が勝手にササミにしてたんですっ、と言う。
「それで暗示にかかって、つい、パソコンでもササミと……」
「スマホに俺の名前、なんで音声入力で入れたんだ?」
七海の頭の中では、悠里は愛を込めて、スマホに、
『七海』
と呼びかけていた。
……いや、社長を『七海』と名字で呼び捨てで呼びかけるの、おかしいだろう。
小学校の同級生か。
すると、悠里は、
「いや、いろいろスマホでメモとってるんで、仕事中も」
と言う。
「『ササミ 何時帰社』とか。
『ササミに書類提出』とか書いてんのか」
そういうわけではないですよ~と言いながら、悠里はスマホを見せない。
「あっ、そういえば、社長は私のこと、なんて名前で登録してるんですか?
名前、そのままですか?
それとも、ユーレイ部屋秘書とか?
あっ、前、私を『派遣秘書2』とか呼んでましたね。
もしかして、そう登録してるんじゃないですか?」
「そ、……そんなわけないだろうっ」
と七海はスマホを隠そうとした。
だが、こういうときだけ素早い悠里は七海のスマホを鳴らした。
今、悠里のスマホの画面を見ればよかったのに、つい、自分のスマホの方を隠してしまう。
『派遣秘書2』のままだったからだ。
……あまりにも愛がなさすぎる、と思う七海は知らなかった。
悠里が自分のことを『しやちゆう』と間違って登録し、そのままにしていることを。
そして、今、
ヤバかった~。
『しやちゆう』のまま直してなかったよ~っ。
あとで直さなくちゃっ、と思いながら、結局、この先も直さないことも知らなかった――。
「おばあちゃんちの近くの白糸の滝で、そうめん流しやってるんですよね」
「ああ、なんか日本全国にあるわよね、白糸の滝って」
秘書室に後藤が戻ってくると、悠里と総務の大林修子が、そんな話をしていた。
人手が足りないときは、総務や人事から人を借りてくるのだが、今日は修子が来ていたようだ。
窓際の長机で、二人は、こちらに背を向けて座り、今度の会議の作業をしているようだった。
「子どものころ、白糸の滝のそうめん流しって聞いて、何故か、そうめんが滝を登ってくるって思ったんですよね。
鯉の滝登りみたいな感じで」
……また、阿呆なことを言っている、と思いながら、後藤は自分の席に腰掛けた。
二人の位置からは見えないので、おしゃべりに夢中になっている二人は気づかないようだった。
いや、無意識のうちに、二人の話を聞こうとして――
正直に言うと、悠里の話を聞こうとして。
あまり音を立てないように座ってしまっていたかもしれない。
「そういえば、あんた、なんで、家飛び出したのよ」
「いや~、親がめんどくさいことを言ってきたもんで」
「何処の家も、親なんて、めんどくさいことしか言わないわよ」
そんな二人の会話を聞きながら、いつの間に親しくなったんだろうな、この二人、と後藤は思う。
悠里が溜息をつき、言った。
「まあ、そうなんですけどね。
確かに、たまに実家が恋しくなりますね~。
目を閉じると思い浮かぶのは……
……パセリ」
何故、パセリ!?
と後藤が思ったとき、
「何故、パセリ!?」
と修子が訊いてくれた。
ありがとう、大林。
俺の心の内を代弁してくれて、と思ったとき、着信音が鳴り、悠里がスマホを見た。
「あ、お父さんから、なんか入ってる」
「いや、あんた、親と喧嘩してるんじゃないのっ?」
大林。
俺の心のツッコミをなにもかも代弁してくれてありがとう。
父親に返信している悠里に大林は、
「で、パセリはなによ」
と訊いていたが。
「パ・セ・リ……」
と呟きながら打った悠里は顔を上げ、
「あーっ。
お父さんに、『週末はパセリ』って打っちゃったじゃないですかーっ」
と叫ぶ。
「あ、ごめんごめん」
と修子は謝り、作業に戻り。
悠里がメッセージを打ち終わったあとには、
「これ、他の人にもチェックしてもらった方がいいよ」
とか二人は真面目な話をはじめたので。
いや、普段なら、真面目にやれよ、というところなのだが。
今回ばかりは、
パセリがどうしたっ!?
訊けっ、大林~っ!
と心の中で叫んでいた。