彼は天使だった。
それだけ、ちゃんと覚えてる。
高校三年の夏。俺のすべてが崩れたあの日。
ただただひたすらに、自分はもう死んでしまうんじゃないかとさえ思った。
そんないろんなことをひっくるめた絶望のどん底にいた俺に、天使は問うた。
「きみ、名前は? どこから来たの?」
どことなく、人間らしさを感じない子だった。
オッドアイなんてそうそう見かけないし、鮮やかな赤髪も物珍しさを感じた。
「……ごめん。俺は赤。よろしく」
「桃」
あんまりに神々しい少年だったので、俺は言うつもりもなかったのに気付いたら名前を教えていた。
その瞬間、赤と名乗った彼は花咲くような笑顔を見せて、ありがとうと声を紡いだ。
天使の声だった。歌えば子守唄のように。
赤は俺と同室だった。
なぜ病院にいるのか、お互いに尋ね合うことはなかった。
俺は治る病気だけれど、赤は違うような気がしたから。
真実に気付いてしまうのが、分かってしまうのが、怖かったから。
朝は顔を合わせて、昼は一緒に過ごして、夜はおやすみを交わす。
そう言う関係性が、俺にとっては初めてのものだった。
天使は言った。
「ここはいいところだよ。友だちはたくさんできるし、苦しいこともあるけど、きっと乗り越えられる」
聖書に乗っていそうな言葉だ。
きっと大丈夫、きっと何とかなる。
大嫌いだったんだ。無責任で、まるで相手のことを考えていないみたいだった。
でも、天使が言うと、言葉に重みが増した。
この子はきっと俺よりも小さなその身体で、俺よりもたくさんのことを知ってきたのだろう。
「じゃあ、赤が俺の友だちってこと?」
「そう言うことにしておいてあげる」
「ふふ、何それ。変なの」
天使の腕は細く白く、いますぐにでも泡になって消えてしまいそうだった。
月光に照らされた薄い彼の影に、俺は目を瞑る。
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