テラーノベル
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翌日は、朝早くから廃村を訪れた。
何軒もある空き家のうちの一軒の掃除を終えて、葵はほうき片手にふうと息をつく。
外へ出ると、別の空き家の掃除をしていた男も、ちょうど出てきたところだった。
「お疲れ様」
葵は手を振って駆け寄った。
彼はどうやら真面目で細かい性格をしているらしい。彼が掃除をすると、葵が掃除をするよりも圧倒的に家の中が綺麗になる。
「ありがと、すごく助かるよ。けどそんなに動いて大丈夫? 長屋でゆっくりしててくれてもよかったのに」
「いや、動いていたほうが調子がいい」
「そう? ならいいけど」
「それに長屋にいると、あの人が気になって休まらない」
姿を思い浮かべて、男が軽く眉をひそめた。
「あの人って三津さん?」
「それしかないだろ」
「別に普通の人だけど」
「どこがだ」
言い切られて、葵はうーんと首を傾げた。
「まあ、ちょっと普通とは違うかもだけど。でもほんとに怪しい人じゃないよ」
「説得力に欠けるな」
「そうかなぁ」
誰もいない村のあちこちには、昨夜に降り積もった雪が残っていた。
吹く風が冷たくて、葵は上に被った小袖の襟元を引き寄せたが、彼は風が吹こうが雪が降ろうが平然としている。
父もそうだったなと、葵はふと思い出した。
忍者だった父も、いくら暑くても顔色一つ変えず、いくら寒くても体を震わすことなく平然としていた。
今日は市が立つ日なので、村から帰る途中で彼とともに立ち寄った。
物を売る人と買う人とが行き交い賑わう中で、声をかけてきたのは天秤棒をかついだなじみの商人の伍平(ごへい)だった。
「よぉ、葵ちゃん。鮎どうだい? 安くしとくよ」
「ほんと? じゃあ三匹もらおうかな」
「はいよ。まいど」
葵が魚三匹分の銭を差し出すと、それを見た商人が呆れて笑った。
「おいおい、また銭じゃないの出してるぜ? それじゃ売れねえなあ」
「あれ? ほんとだ。ごめん伍平さん」
あははと笑って葵が懐に戻したものを、隣にいた彼は見逃さなかった。
兵糧丸。忍者の携行食だ。
「おい……」
「じゃ、こっちは兄ちゃんに渡しとくな」
三匹の魚を押し付けられた男は、言いかけた言葉を飲み込んで「どうも」とだけ呟いた。
食材の調達を終えた帰り道で、彼はあらためて口を開いた。
「なぜ兵糧丸と銭を間違えるんだ」
「ねー、なんでだろね。同じようなとこに入れてるからかな」
「しかもよく間違えてるみたいだったし」
「そうでもないと思うけどな」
のん気に笑いながら歩く葵に、男は疑わしいと言わんばかりの目を向ける。
「お前、長屋の町人として暮らしたいんじゃなかったのか」
「暮らしたいっていうか、実際そうなんだけど」
「町人があんなものを持ち歩かないだろ」
「だよね。気をつけなきゃ」
のらりくらりとかわす葵に、彼がさらに続ける。
「そもそもなんであんなものを持ち歩いてるんだ」
戦に出るわけでもなく、忍者でもない。町の長屋で暮らしている人間には必要のないものだ。
「うん、まあ一応?」
「なにが一応だ」
「それよりありがとね。荷物持ってくれて」
葵はわかりやすく話を変えた。
彼は、ああ、とだけ答えて、それ以上は追求しなかった。
☆☆☆
夜の庭に出た葵は、渋い顔で手元の木刀を見つめた。
刀術は正直あまり得意じゃない。
けれど、だからこそないがしろにするわけにはいかず、重い気持ちを押し込めて、まずは素振りから始める。
#ダークファンタジー
#和風ファンタジー
#異能
153
「もう少し腰を落とせ」
葵が手を止めて振り返ると、いつの間にか彼が隣の家の縁側に座っていた。
せっかく指摘してもらったので、とりあえず言われたとおりにやってみる。
「こう?」
「まだ少しふらついてる。腹にしっかり力を入れろ」
「こ、こう、かな」
ぐっと腹に力を入れて、何度か素振りを繰り返してみる。
しばらくそれを見ていた男が、おもむろに立ち上がった。
「相手してやろうか」
「えっ」
葵は思わず木刀を振り上げたままで動きを止めた。
「素振りだけじゃあまり身にはならないだろ」
「そうかもだけど……あなた強そうだからちょっとやだなぁ」
軽く笑ってはぐらかそうと、葵は思ったのだが。
「木刀はあるか」
「え、ほんとにやるの?」
「心配しなくても手加減してやる」
男が縁側から立ち上がって庭に下りた。
「いやでも私、ほんと強くないから」
「ないならこれにするか」
男が懐から短刀を出して見せる。
「え、それ本物だよね」
「大丈夫だ。当てたりはしない」
「いやいや、怖すぎるって」
「ならお前は本物の刀を持てばいい。長さ的には不利でも、全く負ける気がしないしな」
本気の勝負をするわけではないはずなのに、彼はなぜか不敵に笑う。
「すぐ木刀持ってくるから! 待ってて!」
葵は慌てて自分の家に戻ると、もう一本の木刀を持って戻ってきた。
二人はそれぞれ木刀を手に、庭の中心で向かい合う。
「手、まだ治らないのか」
「え? あ」
木刀を握る葵の左手首には、相変わらず白い布が巻かれている。
「これは平気。怪我とか、そういうのじゃないから」
答えられないことは、つい、笑ってはぐらかしてしまう。
それに対して、彼もそれ以上は何も言わなかった。
「お前からかかってこい」
そう言って適当に構えた彼は、あまりやる気がないようにすら見えた。
だけど、いざ踏み込もうと思うと、隙がない。
「えーっと、私、攻撃するのって苦手で」
「じゃあ俺から行く」
「え、ちょっ……」
直後、目の前に現れた木刀の切っ先を、葵はとっさに後ろへ下がって避けた。
だが、彼はさらに斬りかかってくる。
なんとか受け流していた葵だったが、一瞬の隙を突かれて彼の振り落とした木刀を、自身の木刀でまともに受けてしまった。直後、彼が振り払った力で葵の手から木刀が離れ、遠く後方へと跳ね飛ばされてしまう。
武器を失った葵に、彼はなおも向かってくる。
避けたところで、再び窮地に立つだけだ。
賭けに出た葵は、振り下ろされた木刀を避けると同時に、彼へ一歩踏み込んだ。そして木刀を握る彼の手首にぐっと掴みかかる。
木刀を奪うか、それができなくても手から離させることができればと思った。しかし。
「お前なんかに取られるか」
声が聞こえたと同時に、ぐるりと景色が反転した。片手でいとも簡単に投げられてしまった葵は、どさっと地面に尻もちをついた。
「いったた……ほんと強いね、あなた」
勝負ではなかったはずなのに、つい真剣になってしまった。
「俺の木刀をあれだけ避けられればたいしたものだ」
「逃げるのと避けるのだけは得意分野なんだよね。それでも全然歯が立たなかったけど」
「それは俺が強すぎるだけだ」
「すごい自信」
だが確かに、彼は動きも表情も、ずっと余裕そうだった。
それが、ちょっと悔しい。
「大体お前は防戦的すぎる」
「それが私の戦い方っていうか、逃げ方っていうか……いてて」
立ち上がろうとしたものの、打ちつけた腰に痛みが走って再度しゃがみ込んだ葵に、男が手を差し出した。
「いいの? 私みたいな知らないやつに手を貸したりなんかして」
「お前が何かしようとしたところで、どうこうないからな」
「そう? じゃあ遠慮なく」
葵が男の手を掴むと、彼は葵を軽々と立ち上がらせた。
こんなに本気で誰かと手合せをしたのは、すごく久しぶりだった。
はー、と長く息を吐いて、葵が自分の家の縁側に座り込むと、男は少し距離を置いて、隣に座った。
空気が冷え切っているほど、夜の空に浮かぶ星は綺麗だった。
誰もが寝静まった静かな夜に、こうして縁側に座ってゆっくりと星を眺めるのは、葵の日々の楽しみの一つだ。
「それほど戦いの経験があるわけじゃないんだな」
「そりゃあね。だって私、忍者でも武士でもないし」
「まだ言うか」
「だってほんとのことだもん」
この長屋で暮らしているだけの、普通の町の人だ。
今も、これからもずっと、そうであり続けたいと心の底から願っている。
「あの夜、なぜあそこにいたんだ」
男がたずねた。
“あの夜”とは気を失っている彼を見つけた夜のことだと、葵はすぐにわかった。
彼が倒れていたのは、北条軍と武田軍の戦が行われていた城の近くにある森の中だった。
普通の女が、あんな場所に来るはずがない。しかも、真夜中に。
「うん。なんで聞かないのかなって思ってた」
「興味がなかったからな」
「そっか。じゃあ今は、ちょっとは興味もってくれたってことなのかな、なんて」
「まあな」
思いがけず素直に答えた男に、葵は少し目を丸くした。
それから少しうつむいて、小さく笑う。
「……私の父上はね、加藤段蔵(かとうだんぞう)様なの」
言ってから男のほうを向くと、彼は驚いた顔をしていた。
「知ってる?」
「当然だ。知らないやつなんかいない」
孤高の最強忍者とうたわれて恐れられた男、加藤段蔵。
敵に回せばこれほど恐ろしいものはいないと称された彼は、長く一人の主に仕えることはなく、主を転々としていた。
「子供がいるという噂は聞いたことがなかったが」
「ほんとの父じゃないからね。段蔵様は、私のことを拾って育ててくれた人だから」
そうか、と、ぽつりとそう返事をして、彼は納得したように頷いた。
「加藤段蔵か。なるほどな」
「会ったことある?」
「姿を見たことがあるだけだ。言葉を交わしたことはない」
その昔、北条家に仕えていた時期もあるとは聞いている。だがその時の彼は子供で、まだ北条家の忍者衆には属していなかった。
「子供を拾って育てるような人だとは思っていなかったな」
「冷酷だとか情がないとか言われてるもんね。私にとっては優しい父だったけど」
「忍者なんて皆、冷酷で非情だ」
彼はそう言い切った。
「戦いの場に出れば、皆そうだ。だから、普段の加藤段蔵を知っているお前が優しいと思ったなら、それが本当の姿なんだろう」
葵は少し驚いた。
まさか、彼が肯定してくれるとは思ってもいなかった。
「ありがとう。父上のこと、いつもいい話は聞かないから嬉しいよ」
「忍者にとって冷酷なのは悪いことじゃないけどな」
「そうなんだろうね」
だけどそれでも、冷たい人間だと決めつける前に、本当の姿も知ってほしかったと、ついそんなことを思ってしまう。
「武田軍を追って、あの森まで来ていたんだな」
確信して、彼が言った。
「加藤段蔵は武田の武士によって暗殺されたと聞いているからな」
「……さすがだね」
段蔵が最後に仕えたのは、武田信玄だった。全てを見ていたわけではないのでわからないが、彼は武田信玄にも他の主にも誠心誠意仕えていたと、葵は今でも信じている。
だがその圧倒的な強さゆえに、信玄から恐れられるようになってしまった。そして、いつか敵に回られることを危惧した信玄が、家来に命じて加藤段蔵を暗殺させた。
全て、三津から聞いた話だった。
事の顛末を話した彼女は、最後に葵にこう言った。段蔵を殺した武士を追うようなことは、決してしてはいけないと。
だけど、あの日。
北条家が守る深沢城に、武田軍が攻めてきているという話を聞いてしまった。
深沢城は、この長屋からそう遠くない距離にある。
追うことはしないと、三津と約束した。だが、もしかしたら段蔵を殺した武士がいるかもしれないと思うと、いてもたってもいられなくて、夜中に飛び出していってしまった。
「仇を討ちに行ったのか」
「どうかな。あのときは、ただじっとしていられなくて……あ、でも何もしてないよ。武田軍の様子をちらっと見ただけで」
「わかってる。何かしていたら今頃大騒ぎだ。お前だって、こんなところでのんびり過ごしてなんかいられなくなっているはずだ」
「……そうだよね」
だから三津は、葵が戦場へ行ったと知って怒ったのだ。
葵が戦場とは無縁の場所で穏やかに暮らしていくことを、一番望んでいたのは段蔵だったから。
「俺は、北条に仕える忍者だった」
突然打ち明けられた葵は、驚いて彼を見た。
「なんだ。多少は予想がついていたんじゃなかったのか」
「うん、まあ……武田か北条の、どっちかの忍者なんだろうなとは思ってたけど」
「武田ならどうするつもりだったんだ」
「別に、どっちだって変わらないよ。だって父上のことと、あなたは関係ないし。それよりいいの? 私にそんなこと話しちゃって」
「お前も父親のことを話してくれただろ。俺もそれに応えただけだ」
「律儀だね。別に言わなくたってよかったのに」
忍者はみんな冷酷で非情だと、彼は言った。だけどそれは、きっと戦いの中にいる忍者の話だ。
普段の彼が、真面目で律儀で優しい人なら――きっとそれが、彼の本当の姿だ。
「聞いてもいい?」
葵がたずねた。
「なんだ」
「言いたくなかったら答えなくていいんだけど」
「だからなんだ」
早く言えと言わんばかりに、彼がうながしてくる。
「なんで、北条には帰れないの?」
帰る場所はないと、はじめて会った日の夜に、彼はそう言っていた。
「北条に仕える忍者衆の、四代目首領が殺されたことは知っているか」
「噂は聞いた。詳しいことは知らないけど」
町で長屋暮らしをしていても、ある程度の情報は耳に入ってくる。
北条家に仕える忍者集団の首領は、代々風魔小太郎(ふうまこたろう)の名で呼ばれている。四代目風魔小太郎が殺されたと聞いたのは、半月ほどまえのことだった。
「殺したのは、五代目風魔小太郎――今の首領だ」
「それは、自分が首領になるために?」
「それもある。だが……四代目は優しい人だったんだ。お前みたいに」
それを聞いた、葵はふと思った。
「じゃあ、この前言ってた“私に似てる人”って」
「本当に、忍者とは思えないほど危なっかしい人だった。何かあるとすぐにへらへらしてごまかすし、いつもお気楽で緊張感はかけらもないし」
「え、私ってそんな風に見えてたの?」
葵の疑問をさらりと聞き流して、彼の話は続く。
「だが、人望も厚かった。仲間を何より大事にする人だったからな。でも一方で、四代目は首領にふさわしくないと反発する一派もあって、忍者集団は半ば分裂状態だった」
「あなたは、四代目の味方だったんだね」
四代目のことを話す彼の表情を見ていれば、それはすぐにわかった。
「俺は、戦で家も家族も失くしたところを、四代目に拾われたからな。父親のような存在でもあったんだ」
「そっか。一緒だね」
葵にとっての、段蔵と。
「今の五代目首領は、四代目に反発する一派の上に立っていた人間だ」
四代目にずっと不満を持っていたその男は、ひと月ほど前、ついに四代目を殺して自分が首領の座についた。
「今は五代目を支持する者たちが、忍者集団を牛耳っている。やつらは仲間にも容赦がないからな。逆らう者は、そこにはいられない」
「だから、あなたも?」
父親のような存在だった四代目を殺した男に、彼が従うはずがない。だが五代目の下につかなければ、北条家の忍者衆にはいられない。
しかし理由はそれだけではなかった。
「俺は四代目から、いずれ首領の座を継いでほしいと言われていた。だから五代目は、俺を追い出すだけでなく始末しようとしたんだ」
五代目首領は恐れたのだ。自分が四代目を殺して首領になったように、いつか彼も、同じ手段で首領の座を奪いに来るのではないかと。そうでなくても、いつか復讐に来るのではないか、と。
「その五代目って、どんな人なの?」
「頭がよく、情もなく、自分に従わない人間には容赦しない……ある意味忍者らしい男だ」
「じゃああなたとは正反対だね」
「俺と? 四代目との間違いだろ」
「それもたしかにそうだけど、でもあなただって優しいじゃない。それこそ忍者だなんて思えないくらいに」
自覚がないのか、彼は納得できないといった顔をした。
そして、夜空を見上げる。
満天の星が穏やかに輝くこの庭には、穏やかな時が流れている。
静かな夜だった。
二人がしゃべらなければ、何も音はない。ただ途方もなくゆっくりと夜が更けていき、そして夜明けへと向かっていく。
「……こういう暮らしも悪くないな」
独り言のように漏らした彼に、葵が笑う。
「でしょ? 楽しいでしょ、長屋暮らし。あなたがよければ、ここに住んでくれても」
「清長だ」
男が言った。
「藤林清長(ふじばやしきよなが)。それが俺の名前だ」
葵は目を丸くして、それからふふっと嬉しそうに笑った。
「清長さんかぁ。じゃあ、清さんね」
呼ばれ慣れない呼び名に、彼は軽く顔をしかめながらも、好きにしろ、と言った。
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