テラーノベル
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深夜の医局は、静まり返って死んだように冷たかった。
私は、今にも膝から崩れ落ちそうな冬馬先生の腕を肩に回し、なんとか彼を専用のデスクチェアへと座らせた。
「…先生、お水持ってきますね。それと少し横に……」
離れようとした私の手首を、熱い指先が強く引き留める。
「…行くなと言っただろう」
「でも、先生は……っ」
言いかけた言葉は、彼が私の腰を抱き寄せ
椅子に座ったままの彼の膝の間に閉じ込められたことで遮られた。
至近距離
眼鏡の奥、充血した瞳が私をじっと見つめている。
「……お前は、いつもそうだ。俺のどんな無茶な命令にも食らいついて、挙句、こんなボロボロの俺まで拾い上げる」
「……海老名。お前、自分が何を救っているのか分かっているのか?」
「……私は、先生の事務員ですから。先生が倒れたら、私の仕事がなくなります」
震える声で精一杯の強がりを返すと、先生は力なく、けれど自嘲気味に笑った。
「ふん。相変わらず、可愛げのない……」
そう呟きながら、彼は私の腹部に顔を埋めるようにして、ぐったりと体を預けてきた。
制服のブラウス越しに、彼の荒い吐息と、驚くほど高い体温が伝わってくる。
「……俺は、ずっと一人で戦っていると思っていた。医者は孤独だ。決断の責任はすべて自分の肩にかかり、ミスをすれば地獄に落ちる」
「……だが、今日はお前のタイピングの音が、後ろで守られているような錯覚を起こさせた」
ドクン、と心臓が跳ねる。
ドSで、完璧で、神様のように思っていたこの人が、今、私の腕の中で震えている。
「先生……」
「……少し、このままでいろ。これは命令だ」
そう言う彼の指が、私の背中で震えながらブラウスの生地をぎゅっと掴んだ。
プライドの高い彼が見せた、初めての『甘え』。
窓の外では雨足がさらに強まり、医局の照明が、落雷の予兆か一瞬だけ不安定に明滅した。
彼を抱きしめたい。
でも、事務員の私がそれをしていいのか。
境界線の上で揺れる私の指先が、迷いながらも
彼の乱れた髪にそっと触れようとした、そのとき──
──ガシャン!
外で、何かが激しく割れるような音が響き、医局のドアが勢いよく開かれた。
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