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まるで、誰か優秀な脚本家が書き上げた
完璧な悲恋映画の台詞を読み聞かされているような心地だった。
「……そう。素敵な思い出ね」
私が力なく微笑むと、ジェルは慈しむように目を細め、私の額へ熱を帯びた口づけを落とした。
その唇の感触さえ、私にとってはどこか遠い世界の出来事のようだった。
「さて、少し気分転換に歩こうか。侍医も、適度な運動は精神の安定に必要だと言っていたからね」
ようやく得られた、部屋の外への外出許可。
けれど、それは決して「自由」を意味しなかった。
重厚な扉の先、王宮の長い廊下を歩く私の数歩後ろには、影のようにジェルが控えている。
カツン、カツンと一定のリズムで響く彼の軍靴の音は、まるで見えない鎖が冷たい石畳を叩き
私を繋ぎ止めている音のようだった。
広い廊下ですれ違う侍女たちが
私の姿を認めるなり一斉に足を止め、壁際に寄って深く頭を下げる。
その時だった。
一人の若い侍女が、震える手で持っていた真っ白なリネンを床に落とした。
「……申し訳ございません!」
彼女が慌てて膝をついた瞬間、私は思わず足を止めた。
「大丈夫?」
そう声をかけ、彼女の顔を覗き込もうとした瞬間、私は息を呑んだ。
顔を上げた彼女の瞳に浮かんでいたのは、王女への敬意でも、ましてや同情でもなかった。
───それは、剥き出しの「恐怖」だった。
彼女の怯えきった視線は
目の前の私を通り越し、その背後に立つジェルへと向けられている。
冬の嵐に晒された小動物のような、救いのない絶望感。
私が一歩近づこうとすると
彼女は目に見えて肩を激しく震わせ、リネンを掴み直すと逃げるようにその場を走り去っていった。
(どうして……?私は、この国の王女なんじゃないの?)
愛され、敬われるべき存在であるはずの王女に対し
なぜ末端の奉公人までもがあんなにも怯えるのか。
あの視線は、まるで「見てはいけない怪物」を見ているかのようだった。
不意に、背後からジェルの冷ややかな声が降ってきた。
それは先ほどまでの甘い声とは、全く別の生き物が発しているかのような温度感だった。
「……不愉快だね。教育が行き届いていない。あんな無作法な者は、二度と君の視界に入らないよう、早急に手配しておこう」
「待って、ジェル!彼女はただ、緊張していただけだわ……」
慌てて庇おうと振り返り、私は言葉を失った。
私を見下ろすジェルの瞳は
先ほどまで私に注いでいた甘い熱を完全に消し去り、底知れない闇のような暗緑色に沈んでいた。
「シェリー、君は何も心配しなくていい。君の目に映るものは、僕が認めた美しく正しいものだけでいいんだ。……それ以外の雑音は、僕がすべて排除する」
ジェルの大きな手が、私の腰に回される。
グイ、と強引に引き寄せられたその腕の力強さは
もはやエスコートの域を超え、獲物を逃さないための拘束だった。
完璧な婚約者、完璧な世話。
そして、継ぎ目の見当たらない違和感
この美しい王宮の隅々に漂う、死の匂いのような、ひんやりとした違和感。
それがとても不可解だった。