僕は馬から降りたくて腹に回された男の腕を外そうと押す。すると更に強く抱きしめられた。
「はっ、離して!」
「嫌だね。俺はおまえを妻にすると言っただろう」
「勝手に決めるなっ!僕はなるとは言ってない!」
「心配するな。俺と一緒にいれば必ず俺を好きになるから」
「…何言ってるの?」
僕は呆れて後ろを向き男の顔を見上げる。
男は自信のある顔つきで、美しい紫の目を細めて僕を見ている。
確かに男は綺麗だしかっこいいけど、僕は男だよ?妻になれるわけがない。あっ、そうか!この人は僕を女だと思ってるんだ。だからこんなことを言ってるんだ。
僕は小さく咳払いをして口を開こうとする。
「あの…ぼ」
「おまえ、俺好みの女で良かったな。男だったら助けなかったぞ。そうならば今頃、あいつらに串刺しにされていただろうな」
「え?」
「それにおまえ、そんな可愛い顔をしてなぜ僕と言うんだ?反則だ。可愛すぎるだろうが!」
「え?」
「まあ心配するな。これからは俺が全力で守ってやる。あ、あとおまえの馬、忠実なんだな。逃がしてやろうとしたけど離れずについてくる」
男の言葉に首を伸ばすと、すぐ後ろをロロが走ってついて来ていた。
「ロロ!」
「ロロっていうのか?あの馬に乗せてやってもいいが、逃げられたら困るからな。おまえが逃げないとわかるまでは俺の馬に乗れ」
「逃げないよ…」
「嘘だな。ついさっき降りようとしてたじゃないか。まあ少しの我慢だ。ところで名はなんという?」
僕は前を向き、小さく口に出した。
「フィル…」
「フィルか。んー、じゃあフィーだな。可愛いぞ」
「どこがだよ…。あんたの名は?」
「お?やっと俺に興味を持ってくれたか?俺の名はリアムだ。そのままリアムと呼んでいい。特別に許す」
「はあ…」
後ろから顔をのぞき込まれ、僕は反対側に顔を逸らした。
自信のある物言いに高価な生地の服。健康そうな逞しい体躯に艶やかな美しい金髪。
きっとリアムは貴族の出身なんだろう。
でも僕には関係ない。当然彼の妻になる気もない。僕が男だとバレる前に逃げよう。そしてどこかの田舎でひっそりと暮らすんだ。
リアムは黙り込んだ僕の頭を撫でて頬に唇を寄せると、手綱を握り直して馬の足を速めた。
リアムはどこに行くにも僕を放さなかった。
馬に乗る時は自分の前に乗せて腰を抱き、馬から降りて歩く時は僕の手を握った。何度も逃げないから手を離すように頼んだけど信用できないらしい。
「まあそうだろうな…僕もしてないし」
「ん?何か言ったか?」
馬を止めて大きな木の陰で休んでいた時だった。馬に餌を与えていたはずのリアムの顔がすぐ近くに現れて、僕は驚いて身体を後ろに反らした。するとリアムが不満そうな顔になり、僕の手を掴んで引き寄せると強く抱きしめた。
「ちよっと!苦しい!」
「だってフィーが離れようとするからだろ。なんだよ…俺の顔、そんなに嫌か?」
見上げるとリアムが口を尖らせて拗ねている。どう見ても僕よりも年上っぽいのに子供みたいな反応をするリアムが可笑しくて、僕は思わず吹き出してしまった。
「ふふっ!綺麗な顔が台無しだよ」
「え…」
リアムが今度は目を大きく開いて、しかも口まで開けて僕を見てくる。瞬時にコロコロと変わる表情が可笑しくて、僕は遂には声を上げて笑い出した。
「あははっ!リアムって面白いね!」
「おまえ…おまえ…」
「あーお腹痛い…。なあに?」
僕の頬に添えられたリアムの手が震えている。
位の高い貴族の男を笑うなんて失礼なことをしてしまったと眉尻を下げてリアムの様子をうかがう。
やはりおまえはいらないと放り出されるだけならいいけど、無礼者と斬られたら困るなぁと考えていると、リアムがいきなり大きな声で叫んだ。
「可愛いっ!フィーの笑顔を初めて見たぞっ!おまえ…実は天使じゃないのか?初めて見た時からそうじゃないかと思ってたんだ!ああっでも!今まで他の奴にもそんな可愛い顔を見せてきたのかっ?」
「はあ?何言ってるの。僕は普通の人間だよ。それに…誰にも笑顔なんて見せたことない。笑顔になるような時なんてなかったもの…」
「そうなのか?よかった…いやっ、よくないけど。大丈夫だフィー。これからは俺が笑顔にしてやる。絶対に悲しい顔はさせない。だから俺の妻になると言えよ。誓ってくれよ」
「リアムは…どうして出会ったばかりの僕にそこまで言えるの?僕のこと何も知らないでしょ…」
「一目惚れしたからだ。フィーを見た瞬間、俺の身体が痺れたんだ。フィーと出会ってからつまらなかった世界が輝いて見えるようになったんだ。おまえは俺の運命の相手だ」
「はあ…」
僕が全く気の無い返事をしたというのに、リアムは嬉しそうに僕の頬に頬を擦り寄せてくる。
僕はリアムが嫌いではない。こんなに明るい人物は初めてだ。こんなに堂々と好意を寄せられるのも初めてだ。それに今みたいに触れられても嫌じゃない。
でも妻にはなれない。そもそも僕は男だし。それに人を愛する気持ちというものがわからない。
僕はリアムの好きに触らせながら、リアムの背後で揺れる名前の分からない小さな花を見ていた。
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