テラーノベル
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案内された部屋に入ると、湊音は普通のカラオケ店とは違うことにすぐ気付いた。
内側から鍵をかけられる仕組みで、李仁も自然な仕草で鍵をかけていた。
部屋全体は薄暗く、どこか怪しい雰囲気が漂っている。
『大丈夫か、このカラオケ……確かに二人きりになれる場所だけど……』
湊音は内心で少し不安を覚えたが、李仁の後に続いてソファに腰を下ろす。
システム自体は普通のカラオケと変わらないようだったが、湊音は人前で歌うのが得意ではなく、少し緊張していた。
「君が歌わないならー」
そう言って李仁は素早く曲を予約し、歌い始めた。
特別上手いわけではなかったが、楽しそうにベタな今時のポップスを歌う姿は自然体で、湊音も少し気が楽になる。
李仁はさらに二曲目を予約しながら歌うという手慣れた様子を見せる。
「はい、これなら一緒に歌えるでしょ?」
李仁が渡してきたマイクの画面には、人気アイドルグループの曲が映っている。
湊音は戸惑いながらも、断れずにマイクを受け取った。
三十分後
湊音は李仁と一緒に歌い切っていた。
最初の緊張はどこへやら、気付けば曲に夢中になり、クラブで叫んだ影響で喉が少し痛むのも忘れるほどだった。
「結構歌ったねー」
「うん……たまにはこれくらいはっちゃけないとダメかな」
湊音はマイクを机の上に置き、隣の李仁を見る。すると、李仁が艶っぽい視線を湊音に向けてきた。
「……李仁さん?」
「……」
「!!!」
その瞬間、李仁の手が湊音の太ももにそっと置かれた。
「二人きりだね」
「そ、そうですね……」
湊音は動揺しつつも、李仁の手の温もりから目をそらせないでいた。その時、李仁がふと険しい表情で湊音を睨む。
「はっきりしろよ。もうバーでも本屋でも君のこと、噂になってるよ」
「えっ……」
「『ぼくに夢中なチビちゃんが付きまとってる』『ストーカー』ってね」
李仁の言葉に、湊音は驚きつつも、オロオロと視線を泳がせる。
自分では普通に通っていただけのつもりだったが、周囲から見れば明らかに好意を持って李仁に近付いていたことがバレていたのだ。
「僕はこういうの慣れてるし、悪質な場合は知り合いの警察に頼ることもできる。でもね、周りはもう分かってる。君が僕のこと好きだって」
「そ、そんなっ。好き……だなんてっ」
湊音は否定しようとするが、李仁の鋭い目がそれを許さない。
「じゃあなんで毎日のように通ってくるの? なんでそんなに僕を見てるの?」
『僕のこの気持ち……やっぱり李仁さんが好き、だからってことなのか?』
湊音の胸に、初めてその言葉が浮かんだ。李仁が好きなのだと。
しかしその次に湧き上がったのは強烈な戸惑いだった。
『でも、相手は男……』
その時、李仁がいきなり湊音にキスをした。
柔らかな唇の感触に湊音は硬直し、さらに舌が入り込んできた瞬間、我に返って李仁を突き飛ばした。
「ご、ごめんなさいっ!」
湊音は慌てて財布からお金を取り出し、机に置くと、急いで鍵を開けて部屋を飛び出した。
李仁は目を丸くして呆然とする。
「この小心者……そんな気持ちで僕に近づいて……馬鹿にするな!」
湊音は駅まで全速力で走った。
息が切れるほどに。
走りながらも、さっきのキスの感触が頭から離れない。
そして、それに反応してしまった自分の身体に困惑していた。
『なんでっ、なんでだっ! 相手は男なのに……なんで反応するんだっ!』
湊音の胸の中で、混乱と動揺が渦巻いていた。
湊音が家に帰り着いたのは、深夜二時を過ぎていた。家は静まり返り、親もすでに寝静まっている。
タバコの匂い、汗、お酒の匂いが自分の体に染みついているのが気になった湊音は、着ていた服をすべて洗濯機に入れ、シャワーを浴びた。騒いだせいで喉が少し痛い。
足や腕も筋肉痛の予兆を感じている。
あと数時間もすれば剣道部の朝練の指導だ。羽目を外したことを反省しつつ、湊音は冷水で顔を洗った。
『李仁さんにひどいことをしてしまった……』
シャワーを終えてスマホを確認するが、李仁からの連絡はない。
冷たく振り払ったことを思い返すと、怒られても仕方がないと湊音は肩を落とした。
体を拭き、下着とパジャマを着てベッドに倒れ込む。
それから一週間。
湊音はメアドを変えた。李仁との繋がりを断つためだったが、その一方で心の奥には後悔が残っている。
職場では気が散り、空回りする日々が続いた。休憩時間も上の空、剣道部の指導にも身が入らない。
週末、剣道部の交流試合に引率するためバスに乗った湊音。
隣に座る大島は恋人の話をしていたが、湊音は聞き流していた。
ここ一週間、湊音の異変に気づいていた大島も声をかけてみたものの、湊音から返ってくるのは空返事ばかりだった。
試合中も集中できず、大島に呼び出される。
「お前、昨日寝てないだろ。仕事とプライベートはごちゃ混ぜにするな。そんな顔と態度じゃ生徒に示しがつかない。外で頭を冷やしてこい」
厳しい言葉を受け、湊音は体育館の外へ出された。
帰りのバスでは、大島とは席を離れた湊音。揺れる車内で気づけば眠っていた。
駅に着くと生徒たちはそれぞれ帰宅する。湊音も荷物を抱えて歩き出そうとしたとき、大島が背後から声をかけた。
「明日一日、ちゃんと休め。失恋のショックは辛いけど、引きずってたら前に進めないぞ」
そう言われ、湊音は何も言い返せなかった。
もちろんだがスマホを確認しても李仁からの連絡はない。
一週間経っても何もないのだから、もう諦めるしかないと湊音は思った。
モールの本屋も、駅も、もう行かなければいい。二人で会ったことを無かったことにすれば、この感情も消えるはずだ。
湊音はひと駅先の駅を目指して歩き始めた。
「湊音くん!」
後ろから声が聞こえ、足が止まった。
振り返るべきか迷っていると、腕をつかまれた。
「ねえ、湊音くん!」
振り返る前に、李仁の腕が湊音を抱きしめた。
「なんでメアドを変えるんだよ! 着信拒否までして!」
李仁の香水の匂いが鼻をくすぐる。湊音は、自然と李仁の背中に手を回して抱きしめ返していた。
「大島さんに聞かなきゃ、ここでバスが来るってわからなかった。もう少しで逃すところだった……」
李仁が大島とは連絡を取れるのをすっかり忘れていた。
「ごめん、怒ってるよね?」
「怒りたくもなるけど、慣れてるの。こういうの。ノンケの子に振り回されるのはもう何度目かわからないくらいだから」
慣れている――李仁の言葉に胸が痛んだ。
「でもいきなりすぎた僕が悪かったね。ごめんなさい。怖がらせちゃったよね?」
「ううん、僕もごめん……自分で二人きりになりたいって言ったのに、気持ちが整理できなくて……突き放しちゃった。ほんと、ごめん」
湊音はさらに力を込めて抱きしめた。人目も憚らず。
「僕ね、あの婚活パーティーで初めて湊音くんを見たときから好きだったんだよ。サクラだったのに」
「えっ、サクラって?」
湊音は驚いて李仁を見上げた。
「そう、私はお店の手伝いみたいなものだった。婚活なんてする気はなかったんだけど……神を見た瞬間、話しかけたくなった」
李仁は微笑む。
「あなたが野暮ったい感じだったから、僕好みに髪を切らせたり服を選んだりした」
「そうだったのか……」
湊音は顔を赤らめる。李仁の好みに仕立て上げられていたなんて知らなかった。
周りに人がいることに気づき、湊音は慌てて李仁から離れた。
「ここ、外だよ……」
「そういう照れたところが、また好き」
李仁が微笑む。湊音も自然と笑顔を返し、勇気を出して口にした。
「僕も、李仁が……好き」
湊音の告白に、李仁は優しく微笑んだ。
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