テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
柊屋の包み紙は、去年の冬に柄が変わった。
藍色は同じ。柊の葉の白抜きも同じ。ただ、昔の紙は葉が三枚で、今の紙は二枚だ。父が、紙の問屋を変えたときに、少しだけ図柄を直した。客は誰も気づかなかった。
土曜の昼、ことはは工房の棚の奥から、古い紙の束を出した。三枚の葉。母が覗いて、「まだあったの」と言った。
「お父さんが問屋を替えたの、いつだった」
「去年の冬。年が明けてすぐ。お父さんが倒れる、半年くらい前」
母はそれ以上聞かなかった。ことはは、新しい紙と古い紙を、一枚ずつ並べた。葉が二枚と、三枚。
書斎の引き出しの、一番上の一枚。あの紙の葉は、二枚だった。つまんだ指が覚えている。
日曜の朝、遼は書斎にいる。日曜だけは、遼は家にいる。ことはは店から戻って、廊下を歩いて、書斎の扉の前で止まった。
扉を叩いた。
「何だ」
「聞きたいことがあります」
しばらく間があって、扉が開いた。遼は中に入れなかった。戸口に立って、ことはを見下ろした。
「書斎の引き出しの、包み紙のことです」
遼の顔は、動かなかった。
「芹沢さんに、礼状の束を頼まれて。引き出しを、間違えて開けました」
「人の机を漁ったのか」
「漁ってはいません。開けて、見ました。謝ります」
ことはは頭を下げた。下げてから、上げた。
「あの束は、おじい様のものだと芹沢さんから聞きました。でも、全部じゃありませんよね。うちの包み紙は、去年の冬に柄が変わっています。葉が三枚から、二枚に。おじい様が亡くなったあとの柄です。あの束の上のほうは、二枚の葉でした。それに、一番上の一枚から、今朝の小豆の匂いがしました」
遼は、何も言わなかった。
「おじい様が亡くなってからも、誰かが買ってます。あの紙を、畳んで、しまっています」
「それで」
「誰ですか」
遼は、戸口の枠に手を掛けた。
「宇野に聞け」
「……宇野さんが?」
「聞けばいい」
扉が閉まった。
ことはは閉まった扉の前に立っていた。宇野に聞け。宇野が買っている、とは言わなかった。宇野が知っている、とも言わなかった。聞けと言っただけだ。
この家の人は、全員、答えを言わずに答える。
◇
月曜、店は休みだった。
ことはは本店へ行った。秘書室に電話を入れると、宇野は一階の裏の出入口まで降りてきた。黒いスーツ。帽子はない。
「奥様。何か」
「宇野さんに、聞きたいことがあります」
「はい」
「毎朝、うちの店に来ているのは、宇野さんですか」
宇野は、一拍置いた。
いつもと同じ一拍だった。長くも短くもない。
「お答えできません」
「書斎の包み紙の束を、ご存じですか」
「お答えできません」
宇野は、頭を下げかけて、途中で止めた。
「奥様。一つ、伺ってもよろしいでしょうか」
「……はい」
「なぜ、それをお知りになりたいのですか」
ことはは、答えに詰まった。店のことだから、と言おうとして、言えなかった。店のことではない。誰が買っているかで、店の売上は変わらない。
「……分かりません」
宇野は、それ以上聞かなかった。
「氷川さんは、宇野さんに聞けと言いました」
「専務がそうおっしゃったのなら、私にお聞きになるのが正しい道です。ただ、私はお答えできません」
宇野は頭を下げた。下げてから、言った。
「奥様。一つだけ申し上げます。私は、嘘は申しません。申さないことは、ございますが」
それだけ言って、宇野は階段を上がって行った。
ことはは出入口に立っていた。嘘は言わない。言わないことはある。それは、宇野が買っているのでも、買っていないのでもない。何も確かめられなかった。
◇
火曜の昼、店の前に車が止まった。
黒い、大きな車。運転手が降りて、後ろの扉を開けた。降りてきたのは、麗華だった。
ワインの色のコート。大きなイヤリング。ヒールが、商店街の石の道で音を立てた。
「あら。本当に小さいお店」
麗華は店の表を見た。藍色のシャッターは上がっていて、台の上に豆大福が並んでいる。母が台の内側で、口を開けていた。
「いらっしゃい、ませ」
「一つ、いただくわ」
麗華は財布から千円札を出す。母が震える手で豆大福を包み、釣りを渡す。麗華は包みを開いて、店の前の道で、一口かじった。
ことはは工房のガラス窓からそれを見ている。見て、工房を出た。店先に出たとき、麗華は口を動かしていた。
噛んで、飲んで、残りを見る。
それから、紙ごと、足元に落とした。
豆大福は、石の道の上で、少し潰れている。
「こんなものを看板に?」
麗華は、ハンカチで指を拭いた。
「遼さんも、物好きね」
母が、何か言おうとして、言えなかった。顔が白くなっている。工房の奥で、源さんの手が止まった音がした。
ことはは、台の内側から出た。
麗華の前にしゃがんで、落ちた豆大福を拾った。紙ごと。潰れて、豆が一つ、道に転がっている。それも拾った。
立ち上がって、新しい紙を一枚取って、拾ったものを包んだ。
「お代は、結構です」
麗華に、差し出した。
「お持ち帰りください。うちの豆大福ですから、うちの紙で」
麗華は、受け取らなかった。
ことはの手の中の包みを見て、ことはの顔を見て、笑った。
「要らないわ」
「では、お代をお返しします」
ことはは、母の横の銭箱から二百三十円を出して、麗華の手のそばに置いた。台の上に。二百三十円、ぴったり。
麗華は、硬貨を見た。見て、何も言わずに車に戻った。扉が閉まり、車が商店街を出て行く。
ことはは、包みを持ったまま立っていた。
「ことは」
母の声が、震えていた。
「……あんた、よく、あんな」
「お母さん、店先の掃除、お願い。石のところ、餡がついてる」
言って、工房に戻った。
源さんが、鍋の前に立っていた。ことはの手の中の包みを見て、言った。
「餡は、悪くねえ」
「……うん」
「あの女が食ったのは、おれの餡だ。悪くねえ。一口でやめたのは、あいつの口のせいだ」
ことはは、包みを台に置いた。
置いて、手を洗った。石の道の砂が、爪の際に入っていた。小豆の色と、砂。石鹸で三度洗っても、どちらも落ちなかった。
コメント
1件
うわ、第9話、すごく好きです。 包み紙の葉の数が三枚から二枚に変わった──その“気づき”から遼さんと宇野さんの沈黙が一気に重みを帯びてくる構成、見事でした。特に宇野さんの「嘘は申しません。申さないことは、ございますが」って台詞、研ぎ澄まされてて何度も読み返しました。 麗華さんが豆大福を落とした場面でのことはさんの「うちの豆大福ですから、うちの紙で」も、静かで強い。日常の細部から人間の厚みが見える、そういう物語の作り方が胸に沁みます。次が待ち遠しいです!
#御曹司
うめぼっち

633
鷹槻れん/鷹槻うなの

36,051
#白い結婚
夕凪ゆな
373
うめぼっち

1,598