テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
1件
なんか大変なことになってきた!?
記者たちが他の社員を捕まえている隙に、ささっと駆け込むようにして社屋内に飛び込んだ瑠璃香だったけれど、フロアへ上がっても、その違和感は消えなかった。
ひそひそと交わされる声。
いつもより露骨に向けられる視線。
そして、どこか張り詰めたような空気。
「あの人ってほんとに創業家の……?」
「そうらしいけど……でも、ずっと普通に働いてたよね?」
「苗字も違うし」
何のことか分からない。
だが、そのざわめきの中心にいるのが晴永なのだと察するのに、そう時間はかからなかった。
遠くに見える席。
――近付けない。
瑠璃香は足を止めたまま、保温バッグの持ち手をぎゅっと握る。
本当なら、そっと置いておくだけのはずだった。
それすら、今はできない。
(……後でにしよう)
小さく息を吐き、瑠璃香は一旦ロッカールームへ保温バッグを仕舞いに行くと、晴永のすぐそばの自席へ着いた。
晴永は、まだ出社していない。
***
会社の前で、晴永は車の速度を落とした。
エントランスの様子がおかしい。
人だかりができている。
スーツ姿の男女が入り混じり、カメラやマイクを構えているのが見えた。
(……記者か)
舌打ちしたい衝動を、奥歯で押し殺す。
すでに囲まれている社員の姿も見えた。
このまま正面に乗りつければ、自分も同じように捕まるのは目に見えている。
晴永はハンドルを切った。
そのままエントランスを横目に通り過ぎ、建物脇のスロープへ入る。
地下駐車場へと続くルートだ。
車を滑り込ませると、外の喧騒が嘘のように遠ざかった。
所定のスペースに車を停め、エンジンを切る。
「……」
わずかに息を吐く。
だが、落ち着いたわけではない。
むしろ――ここからだ。
ふと、瑠璃香の顔が浮かんだ。
(……無事か?)
朝の様子が、頭をよぎる。
結局まだ何も話せていない――。
ドアを開け車を降りると、足早にエレベーターホールへ向かい、上階行きのボタンを押す。
こうしている間にも、外の連中に気づかれる可能性がある。
下手に記者に捕まれば、瑠璃香に会うどころではなくなる。
到着した箱へ乗り込むと、晴永は素早く扉を閉ざし、企画宣伝課があるフロアのボタンへと手を伸ばした。
――そのときだった。ポケットの中で、スマートフォンが震えたのは。
画面を見る。
発信者を見て、小さく吐息が漏れた。
少し躊躇って、通話ボタンを押した。
「……はい」
『山根です。新沼課長、たった今、ご到着なさいましたね?』
確認するような声。
相手の男の、猫のように細められた目が思い浮かんだ。
「見てたのか?」
晴永の問いには答えず、山根は用件を告げる。
『副社長がお待ちです。恐れ入りますが、そのまま最上階へお上がりください』
一瞬の間。
晴永は、無言のまま最上階のボタンを押した。
最上階には役員フロアがある。
「……すぐ行く」
短く答えると、通話を切る。
エレベーターが、静かに上昇を始めた。
(……逃がす気はない、か)
小さく息を吐き、晴永は階数表示を見据えた。
#夢
凪川 彩絵