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テラーノベルの小説コンテスト 第4回テノコン 2025年1月10日〜3月31日まで
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「ですから、」


強めの口調で言い、一旦言葉を止めた男性。

その視線は哀れむようで蔑むようで、間違っても好意的なものではない。


「優華(ゆうか)はオレンジの果汁が好きだから、よく飲むのに」

「だからといってお腹を壊しては意味がないじゃないですか。柑橘系の果汁はお腹が緩くなりがちなんです。わからないなら、飲ませる前に誰かに確認をして下さい」


「わかりました、これからは気をつけます」


不満はある。文句もある。

でも娘の優華が昨夜から下痢気味なのは事実で、その原因が一華の与えたオレンジ果汁だと言われれば子育て初心者の一華には言い返すことも出来ない。


「山田先生をお呼びしますので、念のために診察をしていただきましょう」

「はあぁ」


都内の総合病院の院長だという山田先生。

50代前半の、白衣が似合ういかにも『医者』って感じの男性。

浅井家のホームドクターで、何かあればすぐに駆けつけてくれる。

でも、熱があるわけでも食欲がないわけでもないから受診の必要はないと思うけれど。

それに、


「あのぉ・・・」

「はい」


何でしょうと、鷹文の側近である守口が一華を見る。



***


一華はこの目が苦手だ。

6年も営業なんて仕事を続けてきたせいで、嫌われるのにも慣れているつもりだったけれど守口は別。

でも、言いたいことは言わないと。


「隣町の駅前にあるクリニックが凄く評判がいいらしいんです。そこに行ってみてはダメですか?」


SNSで知り合ったママ達の情報によると、小さいけれど先生も女医さんでとっても優しいし育児の相談事にも乗ってくれるらしく話題になっている。

優華の育児については食事のことも睡眠のことも全て育児書での知識しかないから、1度診察に行ってみたい。少し前からそう思っていた。


「そのクリニックに行きたい理由は何でしょうか?」

「え?」

「優華さんのためですか?奥様のためですか?」

「それは・・・」


だから、この人は嫌い。


一華だってわかっている。

クリニックに行きたいのは自分。優華のためではない。

でも、初めての子育てで、不安もいっぱいあって、誰かに話をしたい。

ああー、こんなことなら同居なんてしなければよかった。


優華を妊娠し、急遽結婚が決まったのが2年前。

一生独身でいたいと思っていた一華にとっては、青天の霹靂だった。

それでも、6年も一緒に働いた鷹文に恋をしてしまい、鷹文が抱える重たい過去と未来を知って共に生きる決心をした。

それを後悔するつもりはない。

でもねえ・・・


「山田先生をお呼びしますので、診察を受けていただきます」

いいですねと向けられた視線は、本当に冷たい。


「はい」


結局またいつものパターン。


日本を代表する財閥、浅井コンツェルンが一華の嫁ぎ先。

都内に大きな土地を所有し、立派な洋館にお父様とお母様と鷹文と一華、まだ1歳になったばかりの優華の5人家族と10人ほどの使用人が暮らすお屋敷。

当然、食事も身の回りの世話も全て人がしてくれる。

不自由なんて何もないけれど、自由がないのが窮屈でたまらない。

***


「守口さんの言うことは上手に聞き流して下さいね」


いつの間にか部屋に入っていたメイドの雪さん。


「あぁ、はい」


わかっている。守口さんは鷹文の側近で、以前はお父様の秘書もしていたから家の中での力は絶大。

一華なんかが敵うはずのない相手。

でも、


「坊ちゃんに言いつけたらいいじゃないですか」

「うぅん」


それが出来る性格なら苦労はしない。


元々、結婚してしばらくは二人で暮らす予定だった。

一華は産後も仕事に戻るつもりだったし、働きながら優華を育てるつもりでいた。

でも、


「午後から奥様がデパートの外商を呼んでいらっしゃるようです。優華様のお洋服やおもちゃを見たいとおっしゃって」


「はあ」

また一つ溜息が出てしまった。


このお屋敷での同居を望んだのは鷹文のお母様。

生まれてきた優華を見てどうしても一緒に暮らしたいと訴えた。

もちろん鷹文は断ってくれたが、事情があって8年も鷹文と離れていたお母様の望みを聞いてあげたいと思った。

でも、さすがにここまで大変とは・・・


***


「よかったら、気分転換に外出でもしてみてはいかがですか?優華様は私どもで見ておりますし、もうすぐお兄様のご結婚もあるんですよね」

「ええ」


そう言えば、お兄ちゃんと麗子さんの結婚祝いを買いたいと思っていた。


「優華様はお腹が少し緩いだけでとっても元気ですし、何かあればすぐに連絡しますから」

「ええ、でも・・・」


さすがに1歳の娘を人に任して出かけるのは気が引ける。


「坊ちゃんのお帰りは週末でしたよね?」

「ええ、今週はずっと大阪です」


8年間浅井コンツェルンから離れていた鷹文が会社に戻ってもうすぐ2年。

最近では社内での責任も増してきて、仕事も忙しくなる一方。

その分、一華や優華と過ごす時間は減ってきた。

仕事なんだからしかたがない、それは一華だって分かっているけれど、やはり寂しい。


「そうだ、ちょうど産科の癌検診の時期ではありませんか?」

雪さんは思い出したようにタブレットを取り出し、スケジュールを確認する。


そう言えば産後の診察で、『癌検診は年に1度受けた方がいいから1年後くらいにまたいらして下さい』と言われていた。


「早速大学病院の予約を取りますから、いらして下さい」


一華の返事を待つことなく、動き出した雪さん。

外の空気を吸いたいと思っていた一華も反対することはしなかった。

***


「浅井一華さん、3番診察室にお入りください」

聞こえてきた呼び出しの声。


一華は診察室へ向かった。


ここは都内の大学病院。

優華の出産でもお世話になった通い慣れた病院だけれど、産婦人科って言うだけでつい身構えてしまう。



トントン。

「失礼します」


「浅井さんですね、どうぞ」


白衣を着て待っていたのは若い女医だった。

出産の受診はいつも部長先生の診察だったから、初めて見る顔。


「浅井一華さん、今日は癌検診ですね?」

「はい。昨年こちらで出産したときに1年に1度は受けるようにと言われたものでやって来ました」


「わかりました」


カチカチとパソコンを叩きながら、カルテを確認している女医。

すると、突然手が止った。


「浅井さんって・・・」

そこまで言って一華を振り返る。


はあぁ。

一華は溜息をついた。


まただわ。

きっとこの後に、『浅井コンツェルンの奥様ですか?』と続く。

鷹文と結婚して以来何度も味わってきた状況。

はっきり言って、嫌な気分。


「浅井コンツェルンの奥様ですよね?」


ほら来た。


「ええ」

ニコリともせずに一華は答える。


「と言うことは、鈴森商事の」

「あの、」

一華は、思わず言葉を遮った。


浅井の名前を聞いて『浅井コンツェルンの奥様なんて凄いですね』と言われるのはまだ許せる。

本音を言えばイヤだけれど、自分が逆の立場なら言うかもしれないと思えるから。

でも、浅井と鈴森商事の騒動まで持ち出して話を膨らまそうとする野次馬は許せないし、相手をしたくない。

***


「すみません、実は私」

一華が怒ってしまったことに気づいた女医が、慌てて説明しようとするが、


「もう、結構です。申し訳ありませんがドクターを変更してください」

女医は無視して、近くの看護師に声をかけた。


「しかし・・・」

いきなり話を振られた看護師は困り顔。


「落ち着いてください。ドクターの変更をご希望なら、部長先生が病棟にいますので呼びましょう。ただ、一言だけ言わせてください」

この期に及んで言い訳をしようとする女医。


「結構です、聞きたくありませんから」

感情的になった分、一華の声が大きくなった。


いつもの自分ならここまで怒ったりはしない。

きっと、人から注目される生活と初めて育児と、環境の変化からくる疲れが溜っていたんだと思う。


「一華さんって、随分短気ですね」


「はあ?」

一華は立ち上がり女医を睨み付けた。


何なのこの人。

えっと、ネームプレートは『医師 長谷川乃恵(はせがわのえ)』。

初めて会ったのに失礼な人。


「本当にあの孝太郎さんの妹さんですか?」

「え?」


今なんて言った?

お兄ちゃんの知り合い?ってことは・・・


「初めまして。私、香山徹の家内です」

「えええぇ」


そう言えば、徹さんの奥さんはお医者さんだって聞いた記憶が・・・

でも、この人?

随分若そうだけれど。


***


「どうぞ、座ってください」


どう見ても年下なのに、落ち着いた態度の乃恵。

怒りにまかせて立ち上がってしまった一華は、バツが悪い。


「それならそうと、先に言ってください」

「言おうとしたのに、一華さんが怒り出したんじゃないですか」


まあ、確かにそうなんだけれど。


「とりあえず、診察しましょうか?」

「はい」


こうなったら、素直に乃恵に従うしかない。

勝手に誤解して怒りだした一華が悪いんだから。




「診察した限りでは異常はなさそうですね。詳しい結果は後日郵送しますので」

「はい」


「ところで、この後ってお時間ありますか?」

「え?」

ポカンと口を開けて、一華はかたまった。


まさか、乃恵の方から誘われるとは思ってもいなかった。

随分失礼な態度を取った後だし、きっと呆れられているはずなのに。


「お忙しいですか?」

遠慮がちに一華を見る乃恵。


「いえ、大丈夫です」


優華は雪さんにお願いしてあるし、鷹文も出張中で帰ってこない。

誰も一華を待っている人なんていないんだから、遠慮する必要はない。


「それじゃあ、後少しで外来も終わるのでラウンジで待っていてもらえますか?」

「ええ」


その後お互いに連絡先だけを交換して、一華は乃恵を待つことにした。

わがままな女神たち

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