賑わうキャンパス。
あちらこちらから聞えてくる、楽しそうな笑い声に軽快な音楽。盛り上がりを見せるステージに、屋台の良い匂い。学園祭は基本的に、誰でも参加できるから、いつも以上にキャンパスはごった返していた。オープンキャンパスの時よりもうんと人口密度が凄くて、息苦しい。
そんな、楽しい、楽しい学園祭をむかえたのだが、俺は、気が乗らなかった。
あの写真はその日のうちに撤去されるが、噂というものはふわふわと漂ったままで、居心地が悪かった。一度広まってしまった噂を訂正することも、無かったことにする事も出来ない。そんな感じで、一度ついた印象を俺は挽回できずにいた。
俺達のゼミと、もう一つのゼミが共同で立ち上げた女装コンテストは、学園祭二日目のステージで行われる。だから、今日は満喫できるはずなのだが、まあ、誰かと学園祭を回る、何てことなくて、約束もない俺は、何でここに来たんだろうかって、思うくらいだった。
そして、俺は都合の良い人間なので、看板を持って宣伝してくれと『お願い』されてしまった。
ある程度、客を呼べたので、これくらいで『お願い』は達成できたかな、と、俺は人気の少ない階段に腰を下ろして、空を見ていた。
一葉大学の学園祭は、毎年晴れるといういう伝説が残っていて、今回もその伝説通り晴だった。真っ青な空に、雲が悠々と浮かんでいるのを、目で追いながら、俺は思わず溜息が出てしまう。
「……ゆず君は、今日は無理って行ってたし。もう帰ろっかな」
あれだけ、学園祭を楽しみにしていたゆず君だったが、最悪なことに仕事が入ってしまったと、明日ならワンチャンいけるといって朝早くにメールをよこした。おかげで、今日、一緒に回るはずだったのに、パーになって、でも、引き返すにも、勿体なかったし、学校に来たわけだが、何も面白くなかった。
来年は、学園祭を楽しめる年じゃないし、就活とか実習とかで手が一杯一杯になるだろう。だから、楽しむなら今年しかないとは思ってる。でも、気分が乗らなかった。
(ゆず君に、この間の話してないから、凄く心配されちゃったけど)
ゆず君には、すぐに、俺の顔色が悪いってこと気づかれてしまった。理由を何度も尋ねられたけど、体調が悪いってことにして、俺はやり過ごした。
あの写真が貼られていたことや、大学で噂になっていること。その全てを、ゆず君に打ち明ける勇気なんて俺には無かった。ゆず君は身を引いて「話したいときに、話してくださいね」なんて、優しい言葉をかけてくれたけど、少し寂しそうに瞳を揺らしていたのを、俺は見逃さなかった。
恋人だから頼って欲しい、見たいなものが感じられて、俺の胸はさらに締め付けられた。
何だか、上手くいかない。
最悪なことがあって、最高なことがあって、また最悪なことがあって。それの繰り返しで、心身共につかれてしまったのかも知れない。休んだ方が良いんだろうけど、気持ち悪いと思いながらも、俺が都合の良い人間だって知ってる奴らは俺に『お願い』を浴びせてくる。断れ無い俺は、雑用係として、いいように扱われて……
癒やしは、あや君と、ゆず君で。帰ってかららの数時間、彼らに癒やされて、そしてまた気の乗らない一日が始まって。
「――ぱい、先輩?」
「うわああっ!」
ヌッと、上から顔を覗かれて、俺は思わず飛び跳ねてしまった。近くに置いていた、看板に足を引っかけて、階段から落ちかけたところを、スロープを掴んだ、ちぎり君が、片手で俺の手を握ってくれて、何とか落ちずにはすんだものの、心臓が、死ぬんじゃないかって暗い、早打っている。
「ち、ちぎり君」
「危ないですね。紡先輩、ここから、落ちたら、大事故ですよ」
と、とても心配しているとは思えない顔でいうちぎり君に、もやっとした気持ちになりつつも、体勢を整え直して、助けてくれたことに関してはお礼を言った。
「ありがとう、ちぎり君」
「いえ、所で、先輩一人ですか?」
「え、まあ……」
「また『お願い』されて、雑用押しつけられたんですか?」
そういうと、ちぎり君は、看板に目を落として、フッと息を吐いた。呆れたようなその顔に、俺は気まずさを覚える。
人の『お願い』を断れ無い、ノーと言えない俺に対しての、憐れみか。同情は、そこには感じられずに、俺は、何て言おうか迷った。ちぎり君には会いたくなかったなあ、なんて思いが、心の何処かにあって、気まずいというのもある。
ちぎり君は、そんな俺の表情を見てか、何かをごそごそとポケットから取りだして、俺の手のひらの上に乗せた。
「この間、財布を一緒に探してくれたお礼です」
「これって、珍獣ジッパー?」
珍獣ジッパー。足が五本生えた羊のような何か。羊ではなくて、後ろにファスナーらしきものがついてる、四足歩行……いや、五足歩行の生物。
毎年開催されている全国規模の珍獣コンテスト、第一回目で選ばれた珍獣だ。そのキーホルダーを、ちぎり君は、俺に渡してくれた。この、ミステリアスだけど、愛嬌のある顔がなんとも言えないジッパーは、手に入れるのが困難だ。製造が追いついていないほど、人気がある。
「はい。前に、先輩が欲しいなって言ってたので」
「ど、何処で手に入れたの? 凄く、入手が難しいので」
「まあ、それは、企業秘密で。これ、お礼ですから」
と、ちぎり君は何処か誤魔化すように笑うと、階段に腰を下ろした。
「梓弓くんに言われたので、励ましにきました。今、梓弓くん、忙しいので、僕が」
「……そう、なんだ」
「梓弓くんの方が良かったですか? 僕のこと、まだ信用出来ない?」
「そう、じゃなくて」
見透かすような赤い瞳に射貫かれて、俺は、手の中にジッパーを握り込む。
こんな風に、お礼を、そして、心配してくれる彼を疑うのは矢っ張りダメなんじゃないかと、そういう想いも出てきて、より複雑になってしまう。顔を上げることは出来なかったけど、可愛い後輩なんだ、と俺は疑いを心の奥にしまって、ちぎり君の頭を撫でた。
「ありがと。ちぎり君。凄く嬉しいよ」
「それは、良かったです。紡先輩。紡先輩は、笑顔でいて貰わなくっちゃ」
そういって、ちぎり君は目を細め、誰かを重ねるような目で、俺を見てもう一度にこりと笑った。
コメント
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初コメフォロー失礼します! お話凄く映像みたいで、苦しさとか楽しさとかすごく伝わりました!! 続き待ってます!制作頑張ってください!!