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見慣れたエントランス内は、あの頃とはうってかわって、異様なまでの静けさだった。それこそ、人っ子1人いない。
「果たして此処に……生還者はいるのか?」
広大で薄暗い空間で響き渡るのは、自分の声と足音のみ。しかし……辺りを取り巻く不気味さに、怖気付いている場合ではない。
進まねば。誰が言ったか、「退かぬ、媚びぬ、省みぬ」の精神で、兎に角進まねば。そう思って顔を上げると、目の前には────エントランスのランドマークを務める、Playtime社のヒット商品でありマスコットキャラクター、「ハギーワギー」の巨大人形。
「ハギーワギーか…………懐かしいな…………」
海のように鮮やかな青色をした、愛嬌のある顔立ちの、ふわふわとしたそれは……ケンシロウの脳裏に、ある情景を思い起こさせた────
「誕生日おめでとう、ケン!」
祝いの言葉と共に、プレゼントをケンシロウに差し出す義兄・ジャギ。幼いケンシロウは喜んでそれを受け取り、感謝の言葉を述べた。
「有り難うジャギ兄さん!早速開けて良い?」
「勿論良いぜ。開けろ開けろ!」
ジャギに促され、リボンを解き、袋を開ける。中には入っていたのは……自分とお揃いの道着を纏った、ハギーワギー人形。
「わぁ、ハギーワギーだ!可愛い!僕とおんなじ服だ!」
「へへ、可愛いだろ!お前のために、特別仕様にしたんだぜ」
「本当に有り難う、ジャギ兄さん!一生大切にするね!」
ハギーワギーを抱き締めて、嬉しそうに微笑むケンシロウ。そんな可愛い弟の頭を、ジャギは満面の笑みでわしゃわしゃと撫でてやった。
ジャギ兄さんも自分も、Playtime社のおもちゃが大好きだった。ジャギ兄さんはそれが切っ掛けで、北斗神拳の伝承者候補を辞退した後、Playtime社に就職したんだっけな(ジャギ兄さん自身もともと手先が器用で、予てよりものづくりの仕事をしたがっていたというのもあるが)。
その後、就職活動で内定がなかなか決まらず焦っていた自分を、ジャギ兄さんは「一緒に働かねぇか?」と誘ってくれて…………だけど、入社して僅か数ヶ月後に、あの「集団失踪事件」が起こってしまった。
あの時自分は体調不良で休んでいたため、巻き込まれることはなかったが……後悔していたのだ、ずっと。自分だけが、こうして助かってしまったことに対して。
此処に来たのは、それへの罪悪感も大きい。
「本当に、此処で何があったのだろうな……」
ケンシロウはそう呟いて、エントランスを後にした。
*
エントランスから工場に移動する道中、ケンシロウは変わった道具を手に入れた。
「これは確か……主に製造部門と物流部門の連中が使っていた道具だな……」
それは「グラブパック」と呼ばれる、Playtime社が独自に開発したガジェット。トリガーを引くと先端に着けられた手が伸びて、高いところや遠いところにあるものを掴んだり出来る代物だ。
当初見つけた際は、もう片方の手が無かったが……少し探索した後にそれも見つけたので、特に問題は無かった。
このグラブパックを用いたギミックが、中々面白い仕様だ。人の手の届かぬところに専用のスイッチがあり、それをグラブパックの手で押すことで、扉が開いたり、マシンが動いたりするのだ。
なるほど、こうすることで……関係者以外が勝手に進入したり、弄ったり出来ないようになっているわけだ。上手く出来ている。
ケンシロウはふと、何となしにグラブパックの手をシュンシュンと伸縮させてみた。
「この動き…………何処かで見たような…………」
また、施設内には時折資料と思しきVHSが落ちており、それを近くにあるデッキで再生する機会があった。しかし……義兄の行方の手がかりになるものは、現時点では何一つ無い。
それでも……気になるものが一つあった。それは、「実験体1006:プロトタイプ」に関する音声記録。新たに開発する予定だった、おもちゃのサンプルについてだろうか。しかし……「実験体」とは?玩具メーカーらしからぬ録音者の発言も相まって、何だか嫌な響きである。
「もしかして、この会社は……おもちゃを作る裏で、何かやましい事でもやっていたのか?」
────流石は北斗神拳伝承者。勘が冴える。
*
更に手がかりを見つけるべく、更に先へ進もうとした刹那だった。
ガシャァァァァン!!
突如背後から聞こえてきたのは、何かが破壊される音。驚き思わず振り向くと、其処にいたのは…………
「は……ハギーワギー……!?」
エントランスのランドマークであったはずの、青くてモフモフなそいつ。しかし、何かが違う。
マスコットキャラクターとは思えぬ、可愛さとは程遠い凶悪な笑み。そして分厚い真っ赤な唇から覗くのは、無数の鋭く尖った歯。そして開ききった瞳孔から垣間見えるのは……明確な敵意と殺意。
自分の知ってる、あのハギーワギーではない。というか……お前のようなハギーワギーがいるか!!
「キシャアアアア!!!!」
ハギーワギーが威嚇の雄叫びを上げ、追いかけてきた。それも、あの体型からは想像も出来ぬ、物凄いスピードで。
「っ、糞……!!」
ものの見事に────退いた、媚びた、省みた。
今のところは、逃げるしか手はない。しかしハギーワギーは、執拗に執拗に、どこまでもケンシロウを追いかけて来る。
(一体、どうすれば……!!)
走るケンシロウに、ハギーワギーの長い腕が伸ばされる。
「く、来るな!!」
ケンシロウは咄嗟にグラブパックの手を伸ばし、ハギーワギーの胴体に手刀をぶち込んだ。
────その時だった。
「っが……ガァアアアア!!!!」
ハギーワギーが突然走るのをやめ、苦しみ始めた。どうや身体のどこかしらが、突然痛み始めたらしい。
それを見て……ケンシロウはハッとした。
(まさか…………秘孔が存在するのか…………!?)
相手は得体の知れない、化け物だというのに……そんな奴にも、北斗神拳が北斗神拳たらしめている、秘孔があるなんて。
そして……さっき徐ろにグラブパックを動かしたときの、あの手の動き。あの動きは……北斗神拳を繰り出すときの技に、何処か似ている。
敵は人ではなく、未知の生物。迂闊に近寄れば、命は無い。だけどそんな奴にも、人と同じく秘孔がある。そして、グラブパックがあれば……一定の距離を保てる。
そうと分かれば────話は早い。
「道具を使うのは、北斗神拳の理に反するが……それでも今は……勝てば良いんだ、何を使おうが!!」
ケンシロウはハギーワギーに向き合い、グラブパックを構えた。そして……手を伸ばすためのトリガーを、超高速で連射し始めた。
「あたたたたたたたたぁ!!!!」
「…………っっ?!??!」
グラブパックを用いて繰り出されるのは、ケンシロウの得意技、北斗百裂拳。苦しみながらも突然の猛攻に困惑するハギーワギーの身体に、赤と青の指先が容赦無く突き刺さっていく。
そして………ケンシロウは囁いた。
「お前はもう、死んでいる」
*
その直後だった。
────ブシャアッッ!!!!
「っ……ギャアアッ!!!!」
ハギーワギーの右肩と左脇腹が、間欠泉のごとく血飛沫を上げながら爆ぜた。
此処は不安定な橋の上。彼は激しい痛みによろめき、そして…………足を踏み外して、けたたましい悲鳴と共に、奈落の底へと落ちていった。
「…………」
咄嗟の判断により命拾いしたケンシロウは、徐ろに橋の下に広がる深淵を見た。張り巡らされた鉄パイプには、血痕が数か所。ハギーワギーは障害物にぶつかりながら、落下したようだった。
「…………血?」
ケンシロウは首を傾げた。確かにさっきのハギーワギーは、化け物とはいえ……元はといえばおもちゃだった筈だ。だけど秘孔があって、痛みを感じて、そしてあのように、血を流して……まるで、本当の生き物みたいに。
思えば、工場に来た時から、何かがおかしかった。散らばっている壊れたおもちゃの残骸は、必ず血まみれだった。当初は不法侵入者による、たちの悪いイタズラかと思ったのだが……
ますます、謎は深まるばかりだ。あの集団失踪事件に加え、実験体1006:プロトタイプの存在、そして血を流すおもちゃ。
唯一分かるのは…………此処で何か「良からぬこと」があった、ということだ。
ケンシロウは再び立ち上がり、ぐるりと周りを見やった。すると、向こうには…………巨大のケシの花が描かれた、コンクリートの壁。ジャギから送られたVHSの最後の映像と、そっくりの風景。
「『花』を探せ」と、ジャギは手紙でそう綴っていた。これが……あの「花」か。
ケンシロウは、再び歩み始めた。鮮らかかつ、おぞましい「花」の向こうへ────