テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
陽葵はあっさりイラスト部に入部した。自分で勧誘しておきながら、相変わらず行動が身軽だなと水姫は驚くやら感心するやらだった。
「絵上手い人たちばっかりでさ!私の絵も褒めてくれて!アイスクマも教えたら検索してみてくれるって!」
昼休み、いつものように準備室に来た陽葵は、いつもと違ってとても高揚していた。
そんな顔、今まで見たことない。アイスクマが好きなこと、他の人にも言ったんだ。
当然のことなのに、それを望んでいたはずなのに、なぜかモヤついている自分がいた。こんなのは自分勝手だと、打ち消すように水姫は笑顔を見せた。
「おお〜良かったね!大野さんのイラストのファンが増えて、いちファンとして嬉しい限りだよ!どう?友達はできそう?」
「うん、同じアニメ好きな人いてさ。『レベル100チートヘビ、サーカスで無双する』ってアニメ分かる?」
「あーちょっと分からないかも。深夜アニメほぼ見なくて」
そういえば陽葵はアニメ垢も持っていた。そっちはアカウント名を忘れてしまったし、フォローしても内容が分からないと思う。
「そっか」と陽葵は気持ち良さそうに伸びをする。
「とにかく浮くことはなさそうだから安心かな。明日から毎日忙しくなりそうだ」
「毎日なんだ!?」
てっきり週二くらいかと思っていた。
「あと週二くらい、運動不足解消の為に走ったりもするらしくて」
「えぇ!?それは大変だね……」
てっきり黙々とやっているのかと。案外活発な部活だったようだ。勝手に思い込むのはつくづく自分の悪い癖だ。
「でも私走るの好きだからさ」
「あ、そっか。鬼ごっこも楽しそうにしてたもんね」
「それは忘れてほしいけども……ありがとう、青井さんが勧めてくれたおかげだよ」
「いえいえ、頑張って……じゃなくて、楽しんできてね」
「うん、青井さんもなんかやりたいことあったらチャレンジしてみるのもいいかもよ」
「あはは、そうだね……」
水姫は笑顔が少し引きつるのを感じていた。残念ながら水姫には、やりたいことが何もない。
どこまでも陽葵を見習いたいところなのだが、水姫は話すのも絵を描くことも苦手だし、キャラを演じて周囲に溶け込むなんて高度なこともできるはずもない。結局ただ一方的に太陽の絵や優しさを享受しているだけだ。
──なんて、恒例の大袈裟な思考を巡らせながら、水姫は自分の机に突っ伏す。
本当に大袈裟だ。太陽だって絵が好きなだけで、上手いわけではない。キャラ作りも然り、不器用なりに頑張っているだけだ。
要するにやる気の問題だ。そこに自信が伴えば強い力を発揮する。太陽は今その状態なのだ。
対して水姫は、やる気も自信も少ない。休日はだらだらスマホを眺めるだけだし、小学校高学年辺りから今まで、かれこれ6年くらい友達がいない。作れないというよりは、作りたいと思う気持ちが足りないのだろう。かといって特段一人が好きなわけでもない。
じゃあ自分は一体何をしたいのだろう。本当の自分はどこにいるのだろう。
ぐるぐる考えながら横を向いて──ぎょっとした。陽葵が珍しくクラスメイトと話している。それも、水姫と話している時より楽しそうに。
「分っかる!ヘビが火の輪くぐりしたところ神作画だったよね!」
「おいおい陽葵くん詳しいな!?てっきりアニメとは縁知らずの人生だと思ってたよ!」
「まさか。私アニメないと生きていけないから」
「じゃあ『蟻地獄ハーレム』は?」
「当然履修済み。何なら原作漫画も全巻持ってる」
「うおおおヤバすぎる!!」
クラスメイトの一部が冷たい視線を向けるが、二人は構わずはしゃぎ続けている。多分イラスト部を通じて仲良くなったのだろう。水姫は勿論そのアニメを全く知らない。
観れば会話に混ざれるだろうか。でもヘビとか蟻とか虫は苦手だし、無理して趣味を合わせたら、それこそキャラを演じていた陽葵と同じことになってしまう。
余計なことを考えず、ここは率直に祝おう。人前で素を出せるようになって良かったね、新しい友達ができて良かったね、と──そう思うのに、水姫は意図せず周囲に混じって睨むような視線になっていた。嫌気が差し、陽葵を視界から外すように再び机に突っ伏す。暗闇の中、何度も自分に言い聞かせる。
大丈夫、昼休みになれば話せる。昨日のアイスクマも最高だった。絶対盛り上がるに違いない──
『ごめん、今日深澤くんと昼ご飯食べることになった。また明日』
無情なLINEが期待を掻き消した。陽葵はそれをしばらく無言で眺めていた。はたと我に返り、『全然大丈夫!』と返信する。尚且つ、気を遣わせないようにアイスクマが親指を立てているスタンプも付け足す。
かなり大丈夫ではなかった。にぎやかな教室の隅で、久しぶりに一人で黙々と食べるお弁当は、大袈裟なくらい味気なかった。
約束通り翌日の昼に準備室に来た陽葵は、なんとアイスクマではなく学校の話から入った。
「来週の調理実習楽しみだなぁ。私の班はハンバーグ作るんだ。青井さんの班は何作るか決まってる?」
それは学校生活が苦じゃなくなってきている何よりもの証だった。確か陽葵と深澤は同じ班でもあった。水姫はというと、班の皆が水姫抜きで話を進めている為、何を作るか全く分かっていない。
「まだ全然かな。それよりおとといのアイスクマ見た?」
すぐに話題を変える。あからさますぎたかと思ったが、陽葵はちゃんと食いついてきた。
「見た見た。自分を入浴剤の代わりにするの泣けたよね」
「ね〜!本当に涙滲んだもん」
態度が変わらないことにひとまず安心した──のも束の間。
「深澤くんもそのイラスト見て度肝抜かれたみたいで、無事アイスクマの沼にハマってくれたよ。私の垢もフォローしてくれてさ」
余程友達になれたのが嬉しかったのだろう、わざとかと思うくらいその名前が出る。だとしても、人と話している時に他の人の名前を出さないでほしい。
なんて、またしても恋愛ドラマによくあるような台詞が浮かぶ──それも、嫉妬の台詞。友達相手に嫉妬なんて、馬鹿らしい。
「そうなんだ!この調子でファンがどんどん増えて、アイスクマが国民的キャラクターになるといいね!」
水姫はまた笑顔を張り付けた。偽るのは良くないと分かっていても、今はこうするしかできないのだ。嫉妬の方が余程良くない感情なのだから。
「そうだ、青井さんはどう解釈した?」
「えっと私はね〜」
そこからは今まで通りアイスクマで盛り上がることができた。大丈夫、まだ大丈夫。
でも、確実に嫌な予感はしていた。
嫌な予感というのはよく当たるもので、陽葵は日に日に友達に囲まれていき、あっという間に人気者ポジションに返り咲いていた。人見知りと言いつつも人当たりが良く、一度打ち解けさえすれば円滑なコミュニケーションが取れる為、素を出そうが人気になるのは必然だった。
その分水姫と話す回数は減っていき──遂には完全に別々に昼食を取るようになってしまっていた。つまり、ほとんど繋がりが絶たれたというわけだ。
といってもLIMEやTmitterは繋がっているし、話そうと思えばいくらでも話せる。またいつでもショッピングモールに遊びに誘える。何ならあの輪に混ざることだって──それができたらこんなに一人ぼっちでい続けることはないのだが。少心者の水姫に、一対一以外で話すなどできるはずもなかった。にぎやかな輪に混ざりたいとも思えなかった。
「陽葵ちゃん面白すぎ〜!もっと早く話せば良かった!」
「今まではなんか近寄りがたい雰囲気あったもんな。パリピ感っていうか、リア充感っていうか」
「何それ笑 私は性格暗いし影も薄いよ。まぁでも、リア充っていうのはあながち間違いじゃないかな。皆と好きなものについて語り合えて、今、めちゃくちゃ充実してるから」
「うっわモテ発言すぎる!!」
「てか彼氏いんの!?絶対いるよね!?」
「だからいないって笑 恋愛至上主義やめて笑」
──そんな心底楽しげな会話を、蚊屋の外で盗み聞きすることしかできないでいた。自分と話していた時は、果たして充実していたのだろうか。陽葵のことだからきっとYesと答えてくれるに違いないが、今は聞くのが少し怖い。
リアルが充実していくにつれて、陽葵がアイスクマの二次創作イラストを上げる頻度も滞っていった。アイスクマへの興味がなくなったらもはや何もなくなってしまう気がして、強い危機感に襲われ、水姫はわざとグッズの写真を上げたりしてみた。
一応陽葵からいいねは来た。それだけじゃ物足りなくて、3000円もするぬいぐるみを通販でわざわざ買って上げたりもした。もはやぬいぐるみが心から欲しかったというより、陽葵に注目してもらいたい一心だった。
これは流石にコメントが来るだろうと確信し、ドキドキしながら眠れないまま待っていた。でも結局何も変わらず、いいねだけだった。
──プツンと何かが切れた気がした。その晩、水姫は陽葵のフォローを外し、そのままふてくされるように眠りについた。
自分らしくないことをしたせいか、深夜3時頃に目が覚めた。そわそわして落ち着かない。
こんなのは友達じゃない。友達でいたいなら尚更、離れるかどうかは陽葵が決めることだ。
『それは私が決めることだよ』
以前自分が陽葵に言った言葉が蘇って、身体が熱くなる。水姫はすぐにフォローをし直した。
決めてもらう為にも、正直に自分の気持ちを話そう。この矛盾した気持ちと向き合おう。陽葵がそうしたように。
覚悟を決めたら、今度はすんなり朝まで眠ることができた。
翌日の昼、水姫は初めて一人で準備室に入った。やはり教室より格段に落ち着く。実家のような安心感。
お弁当も食べず、体育座りでぼうっと窓の外を眺める。小さい窓から切り取ったように、校庭で楽しそうにサッカーをする人たちが見える。
──寂しい、虚しい、苦しい。
陽葵もずっとこんな気持ちだったのだろう。これからは存分に楽しんでほしい。我慢なんてしないでほしい。自分にも語りかけるようにそう思う。
その時、背後に気配を感じた。音もなくドアから入ったようだ。流石、自分で影が薄いと自負するだけあって、忍者さながらだ。
前に水姫が入ろうとして名前を呼ばれた時、先生である可能性も考慮してほしいと思ったが──なるほど、確かに実際近付かれると、振り向かなくとも陽葵だと分かるし、陽葵としか思えない。これが似た者同士のシンパシーというやつか。それとも、友達だからか。
「……青井さん大丈夫?何かあった?」
「なんでそう思うの?」
「だって一回フォロー外したよね」
流石ツミ廃、よく監視してらっしゃる。
「間違って外れちゃっただけだよ。もう一回フォローしたから大丈夫だよ」
「ならいいけど……あと今日、教室でお弁当食べてないからさ」
一緒に食べなくなったくせに、こちらの様子を監視しているのは何なのか。
「それは、単に気分で」
水姫は前を向いたまま不機嫌っぽく答える。
「ならいいけど……」
陽葵は気まずそうに指を組んだり外したりする。
駄目だ、正直になろうと思えば思うほど嘘をついてしまう。まるであの時の陽葵と同じだ。
──そうだ、自分だけじゃない。不器用なのはお互い様だ。一人だけど、一人じゃない。そう思ったらふっと力が抜けて、
「ごめん、本当は全然良くない」
水姫はついに本音を吐き出した。
「私、一人が怖い」
「え……」
陽葵は戸惑った顔をする。そんな顔をさせるはずじゃなかった。でも今は後悔より、話したい気持ちの方が勝っていた。
「一人ぼっちに戻りたくない。大野さんともっと話したい。私には大野さんしかいない。自分勝手で自業自得なのは分かってるけど、止められない。これが私の本当の気持ちだから。その代わり、大野さんの気持ちを無視することは絶対にしない。だから大野さんの気持ちも聞かせてほしい」
言い切った。達成感が混じったような、どちらかというと心地良い静寂が流れる。
陽葵の表情はまだ分からない。でも口を開くタイミングははっきりと分かった。
「ごめん、私も不器用で、皆と平等に接するってことが上手くできなくて。青井さんを避けてるみたいになった」
「謝らなくていいよ。大野さんがどうしたいか教えてくれれば」
ただでさえ圧をかけているので、できるだけ優しく声を出す。陽葵も穏やかに、それでいて真摯に喋る。
「青井さんも大事な友達の一人だよ。でも今まで通りの距離感を保つことは難しいかもしれない。それは単に友達の数が増えたからと、あともう一つは」
そこで言葉が詰まった。大丈夫、途切れてはいない。水姫は1分ほど待った。やっぱり鬱陶しいかな、話を終わらせた方がいいかなと決めつけそうになって、踏み留まる。言われない限りは、まだ何も分からないのだから。
そして二人の目がばちりと合った瞬間、陽葵は覚悟を決めたように言葉を発した。
「私、青井さんに下心あるから」
「……した……?」
あまりに予想外すぎて、聞いた身にもかかわらずきょとんとしてしまう。
下心って何だっけ。隠し味みたいなことだっけ。あ、それは下味付けか。調味料のごとく下心にも色んな種類がありすぎて、はっきり言ってもらわないと困る。
じっと見つめて、視線で結局圧をかけてしまう。陽葵は分かりやすく赤面しながら答えた。
「異性として、い、意識してるってこと……」
「いし……?」
意識にも色んな種類があるのだが。
「それわざとやってる!?」
陽葵はしびれを切らしたように叫ぶ。それはこっちの台詞だ。
「やってないやってない!もっとこう、具体的にお願い!」
「だから……恋愛的に好きってことだよ!!」
陽葵は目をつぶり、思いきり叫んだ。
途端、水姫はよく分からない気持ちになった。意味は流石に分かる。けど、なんだか分かりたくなかったような。友達としては確かに好きだ。けど恋愛的に好きとなると、それは何かが違うような。
微妙な顔で黙り込んでいる水姫を見て、陽葵はやっぱりなという顔をする。
「そうやって困らせるし、これからもっと不快にさせるかもしれないから。青井さんの理想と私の理想はちょっと違うから。……それでもいいなら、いいけど」
諦めに紛れて、期待するような眼差し。陽葵こそ、水姫しかいないというような──捉えて離さないハンターのような。
水姫は思わず目を逸らした。
「ごめん、ちょっと今はよく分からないっていうか……」
「そうだよね。気にしないで、私も気にしないから」
陽葵は悲しげな笑みを浮かべ、「それじゃあまた明日」と逃げるように出て行った。嘘をついていることは一目瞭然だった。
「……はぁ……」
水姫は溜息をついて両手で顔を覆った。余計に気まずいことになってしまった。やっぱりコミュニケーションは難しい。
それでも自分たちはそれに焦がれることをやめられない。一瞬一瞬がいっぱいいっぱいで、本気なのだ。
本気だった分、今のはすごく良かったと思う。今まで人と交わしたやり取りの中で一番良かったと思う。
しかも、好きって言われた。生まれて初めて人から好かれた。
「……はあぁ……」
その重たい溜息は、色んな矛盾した意味を含んでいた。