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白山小梅
12
#借金
1,754
瑠維との約束が始まってから、一週間が過ぎようとしていた。
当日の朝に春香が献立を考え、瑠維に買い物リストを送る。そうすると瑠維は買い物を済ませた上で、従業員出入り口に迎えに来てくれるのだ。
それからは歩いて瑠維のマンションに行き、すぐさま二人分の夕食の調理に入る。そして食事が終わると瑠維が片付けを引き受けてくれるので、春香はそのまま車で自宅まで送ってもらうだけだった。
自分が置かれている状況のことをすっかり忘れて瑠維との時間を楽しんでしまう自分に、後ろめたさを感じてしまうこともあった。
それでも瑠維の新しい一面を知っていくうちに二人の仲も徐々に深まり、新しい友人が一人増えたような感覚。全部ではないが彼の表情を読み取れるようにもなっていた。
ロッカールームで身支度を整えた春香は、早番として出勤し、売り場の在庫チェックをしていた時だった。
「佐倉さん!」
と背後から声をかけられ振り返った。
するとそこには黒髪のロングヘア、グレーのパーカーにデニムスカート姿の、大学生の女の子が笑顔で立っていた。
その子を見るなり、春香は満面の笑みを浮かべる。
「|真白《ましろ》ちゃん! お久しぶりー、元気だった?」
「はい、元気です! なかなか化粧品がなくならないから来られなくてすみません」
「ううん、きっと大切に使ってくれてるんだねぇ。ありがとう。今日は何か探しもの?」
真白は大学進学のために、今年上京してきたばかりの女の子だった。
あれは四月半ばのこと。店先で挙動不審な様子で店の中を見ていた真白に春香が声をかけたのだ。
話を聞いてみると、テレビのCMで流れていた口紅が欲しくて店までやってきたものの、それがどの商品なのか、自分に合うものがどれかわからずにいたのだという。
春香は真白をカウンター前に連れて行くと、肌の色味やパーソナルカラーの診断をして、彼女にぴったりの口紅を選んだのだ。
その日から真白は時々店にやって来ては、春香に声をかけるようになった。
「そろそろ使っていたアイシャドウがなくなりそうで、それなら佐倉さんに聞こうかなって」
「本当? じゃあ新作のパレットをオススメしてもいい?」
「うわぁ、是非お願いします!」
真白をカウンターに案内し、そこに置かれていたアイシャドウを見せながら話しをしていると、春香は時折不思議な気分になった。
それはどこか懐かしくて、穏やかな気持ちになるーーまるで仲良くなり始めた頃の椿と話しているような気持ちになるのだ。
鏡の前に座った真白の瞼にアイシャドウをのせていくと、椿を可愛いくイメチェンさせようと意気込んでいた頃の自分を思い出す。
本当に再会した頃の椿ちゃんによく似てる……おしゃれについて興味はあるけど、やり方がわからない。そんな彼女を少しずつ変えようと、春香の部屋で二人ではしゃいでいたあの日が懐かしく感じる。
今では春香がいなくても、椿は自分らしいスタイルを確立していた。それにこれからは、きっと彼氏である博之のためにキレイになろうと努力するに違いない。
だからというわけではないが、こうして変わろうとする誰かの背中を押したり、手助け出来ることが春香の喜びになっていた。
「この色、すごく自然でいいですね」
春香が施した色味が気に入ったのか、真白は鏡を見ながら嬉しそうに微笑んだ。
「やっぱり佐倉さんに相談して良かった! これにします」
「気に入ったのが見つかって私も嬉しいな。是非使ってね」
「はい、ありがとうございます!」
会計を済ませ、アイシャドウの入った袋を真白に手渡す。
「使うのが楽しみです。また来ますね!」
「うん、またお待ちしてます」
何度も振り返って手を振る真白の背中を見送り、店に戻ろうとした時だった。
「佐倉さん」
再び背後から声をかけられる。しかしその声を聞いた春香は、息をするのも忘れ、恐怖のあまり体が凍りついた。
振り返ると、そこには笑顔を貼り付けた町村が、春香の背中をジトッと見ながら立っていたのだ。
仕事の合間なのだろうか。彼はスーツを着ていた。
冷静になれ、落ち着け、ぎこちなくてもいいから、とりあえず笑顔になろうーーそう自分に言い聞かせながら深呼吸をする。
「町村さま、いらっしゃいませ。今日は何をお探しですか?」
同僚に助けを求めようとしたが、今は接客中のため、春香の状況には気付くはずもなかった。頼みの店長は今お昼休憩に行っているので、一人でどうにかするしかない。
すると町村は店先にいた春香の方へ、ゆっくりと距離を詰めて来る。心拍数が上がり、冷や汗も出てきた。
なるべく出て店の外に出ないようにと、慌てて同僚のいるカウンターへ戻ろうとしたが、腕を掴まれてしまう。
「あの、離してーー」
「最近なかなか会えなくなりましたね」
ゾッとして、血の気が引いていく。
「申し訳ありませんが、この手を離していただけますか?」
毅然とした態度でそう伝えたが、町村には逆効果だった。急に険しい顔になると、春香の腕を握る手に力を入れる。
「痛っ……!」
「《《いつもの》》あの男は誰だ?」
驚くほど低い声で、春香にしか聞こえないくらいのボリュームでそう言ったため、体中に鳥肌がたった。
町村が言っているのが瑠維のことだとわかり、言いようのない不安に襲われる。
「お前が思っている以上に俺は《《知ってるんだからな》》」
それは彼に何か危害を与えるということだろうか。自分のせいで瑠維に危険が及ぶなんて、どんな事情であれあってはならないことだ。
「おい、聞いてるのか?」
どんな顔で春香を見ているのだろう。そう思うと彼の方を向くことが出来ないーーその時だった。
「お客様、どうかされましたか?」
二人の間にサッと手を差し入れ、店長が会話に割って入ってきたのだ。
すると町村はパッと手を離して笑顔になると、
「いえ、また佐倉さんに化粧品を選んでいただきたくて……」
と言い訳を並べ始める。
「まぁ、そうでしたか! ただ生憎佐倉はこれから休憩の時間になりますので、私が代わりにご案内させていただきます。どうぞ、その手をお離しください」
強気な態度を崩さない店長に、町村は悔しそうに笑いながら、春香を掴んでいた手を離した。
「そうでしたか。ではまた出直すことにします」
「あら、残念です。佐倉さん、休憩に行っていいわよ」
本当の休憩時間まではまだ三十分ある。それでも恐怖に震えた心を鎮めたかった。
春香は頷いて、カウンター裏に荷物を取りに行こうとしたところを町村に腕を掴まれてしまう。
「いつも見てるからな」
と耳元で囁かれ、体中に悪寒が走る。
怖くなった春香は町村の手を振り払うと、荷物を持って一目散に走り出した。
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