何気ない会話をしながら食事する場所を探す。一緒に食事をするのはこれで5回目。ブラブラしながら、歩くがどこも人だかりが凄かった。
「なんか、人いっぱいいんな」
「今日金曜日だからね」
千紘がそう言ったことで凪は、あ……と動きを止めた。千紘と出会った時にはお互いコートを着ていた時期だったのに、もう桜が咲いていた。その花びらが1枚ひらりと舞って、凪はそれを目で追った。
「お花見してる人も多みたいね。天気もいいから夜桜綺麗だし」
凪の視線に気付いた千紘が、数本並ぶ桜の木を見上げた。また1枚はらりと舞う。千紘が掌を上に向ければ、そこにすっと滑り込むようにして落ちた。
「もう春か……つっても、十分寒ぃけどな」
厚着のコートは不要になっても、まだ上着は必要だ。昼と夜との寒暖差がありすぎて、季節感がおかしなことになっている。凪はぶるっと体を震わせて、再び歩き始めた。
「店いっぱいかもな」
「ねー。年度末だし打ち上げでもやってんのかも」
通り過ぎる居酒屋も店の外まで列が並んでいる。丁度皆仕事を終えて、集合したくらいか、もっと前から飲んでいる者もいるだろう。
屋外までわいわいと聞こえる声が、金曜日の夜を物語っていた。
「家族連れも多いな。もうちょっと遅ければ空くかも」
「えー、俺お腹空いた」
千紘は両手で腹を擦りながら、唇を尖らせる。凪と食事にいけると思ったからいつも以上に仕事も張り切って頑張ったし、ハイスピードで終わらせた。
よく働いた体は素直に空腹を示す。凪も淡々と仕事をこなし、そんなに腹は減ってないかもと思っていたが、隣で腹を擦る千紘を見ていたら急激に何か口に入れたくなった。
「すぐ入れそうなとこあるかな」
「うーん……ダメ元であの店聞いてみる?」
千紘がそう言いながら、スマートフォンを取り出した。あの店というのは、凪が初めて千紘と食事をした時、連れていかれたイタリアン居酒屋のことだ。
凪が頷くよりも先に千紘はスマートフォンを耳にあてる。
長いこと無言で待ち、ようやく千紘が口を開く。
「あ、成田だけど今日無理? やっぱり? じゃあいいや。うん、また今度ね」
千紘の言葉でやっぱり無理だったかと察する凪。これは暫く飯はおあずけだな……と息を吐いた。
「ダメだって」
「だと思った。暫くどこかで時間潰すしかなさそうだな」
「どこかってどこで? カフェもいっぱいだよ、きっと。……あ! ホテル!?」
千紘はここぞとばかりにキラキラした目で凪を見つめた。凪はその視線を遮るようにして、自分の顔と千紘の顔の間に指間を閉じた掌を横向きにして差し込んだ。
千紘の思考も理解できないわけじゃないのが、悲しい男の性である。千紘が女であったなら、自分も同じような発言をしたかもしれない。
しかし千紘とホテルに入ったら、必然と攻められるのは自分なわけで、仕事で疲れてきてそれに耐えられる自信もなかった。
そう考えると女はすごいな、とつくづく思う。仕事や家事や育児に追われてセックスを断る妻の気持ちってやつは、きっとこんな感じなんだろう。
セックスが終わった頃には全ての体力を持っていかれて、動くのすら億劫でなにもできない。それでも家事も育児も待ってはくれない。
……地獄かよ。
凪はそんな主婦の気持ちを想像して顔を引き攣らせた。
「凪ー? なに考えてるの?」
「いや、俺も想像力が豊かになったなと思って」
「えー? もしかして、俺とエッチなことする想像したのー?」
ニヤニヤと頬を緩めながら、凪の顔を覗き込む千紘。凪は、掌でビタッと正面から千紘の顔を覆って「お前も1回掘られてみたほうがいい」とムッと顔を歪めて言った。
急に不機嫌になってしまった凪に、千紘は鼻から息を吐くと「凪がしたいならいいよ」とさらりと言ってのけた。
「は!?」
今まで一度だって許さなかったのに、このタイミングで容認した千紘の言葉が信じられなかった。思わずじっと千紘の目を見つめた。
驚いた凪の瞳はまん丸く揺れていた。千紘はその愛らしい表情にふっと柔らかく笑う。
「俺はタチだから経験ないし、誰にも触らせるつもりはなかったけど、凪はまあ……俺が初めて嫌がるのを無理やりした相手だし。正直俺が同じような仕打ちをされても仕方ないって思えるし」
「……別に仕返しがしたいわけじゃ」
「うん。わかってるけど、凪が俺の気持ちもわかってって言うなら、それでしか理解できないことならまあ、しょうがないかなって」
「え? は? 本気で言ってんの?」
「うん。でも俺は、無理やりしたけど愛情持って凪を抱いたんだよ。だからもし、俺のこと抱きたいなら、他の女と同じような抱き方なんかしないでよね。ちゃんと愛して」
千紘は手を伸ばして、凪の頬に触れた。その目は真剣そのもので、いつものふざけた「好き」や「愛してる」とは違って見えた。
凪はごくりと唾を飲む。自分と同じ苦痛を味わえばいい。そう思っただけなのに、急に重たい愛を求められてしまった。
ふざけて抱くことも、何の感情も入れずに抱くことはできるだろう。千紘が何度も自分を抱いた時の手順はもう頭の中に入っている。
同じような流れを実践するのはそう難しいことではない。ただ、同じだけの愛情を注ぐことは無理だとハッキリ断言できた。
「できないなら、今は一方的に愛情を注がれてるしかないね」
千紘は、凪の思考を全てお見通しとばかりに言って肩をすくめた。
「なっ……」
抱かれるのを断る口実にも思えた。実際上手く乗り切ったと思う。しかし凪は、1回目の時でさえ痛かった記憶はない。あんなにも乱暴に無理やり抱かれたというのに、千紘は終始痛みにだけは敏感で、凪に「痛くない?」と確認しながら続けた。
自分本位に、快楽だけを求めていたらあんな配慮はできなかっただろう。そして、凪自身も女性に対する気遣いはできても、同じことを千紘にしてやれる気がしなかった。
そしたらきっと千紘は自分以上の苦痛を味わうんじゃないか……なんてことが頭を過ぎる。
「……お前、やだ。ホント、やだ」
凪は、ズボンの両ポケットに手を突っ込んで、千紘を早足で追い抜いた。その先の思考さえも読めてしまう千紘は、ふふっと笑って「一緒にゴロゴロするだけでもいいよー」と凪の横に並ぶ。
「前もそう言って騙された」
「でも仕事上がって俺と一緒にいてくれたのは凪の意思だよ」
そんなこともあった、と凪は頭を抱える。なんだかんだ言いながら、自分も千紘との時間を作っているのだから千紘ばかりのせいにもできない。
「とりあえず、行くだけ行ってみようよー」
「……ホテル?」
「うん。ホテルならご飯食べられるし、そのままゴロゴロできるし、イチャイチャもっ……」
凪はまたしても千紘が喋っている途中で顔面をビタンと手で覆って言葉を遮った。
「うるさい、喋るな」
そう言いながらもホテル街へと向かう凪の足取りに、千紘はクスクスと笑った。
並ぶホテルの前にもたくさんの人だかりがあった。カップルで腕を組んだり手を繋ぎながら、嬉しそうにはしゃいでいる。
その光景を横目に、凪は足を止めた。こんなにも多く人が賑わう中で千紘と一緒にホテルに入るのは初めてだった。
いつもコソコソと人目を避けるようにして入室していたから、周りからゲイだと思われるんじゃないかと気が気じゃない。
千紘は、足がすくんで進めずにいる凪の様子に気付くと「大丈夫だよ。男同士でホテルに入っても、大概は友達同士でデリヘルでも呼ぶんだって思われるから」と言った。
「……そっか」
凪は顔を上げると、なんでそんな当然なことを思いつかなかったのかと目を丸くさせた。