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凌空は城咲が前を歩く暗い廊下を進んでいった。
城咲はソファの上に晴子を寝かせると、キッチンに回った。
「……どうするつもりなんだよ?」
凌空が睨む中、彼は戸棚から小瓶を取り出した。
「ダチュラという花を知ってる?」
「知るわけねえだろ!」
いつもと同じ落ち着いたトーンで話す城咲に異様に腹が立つ。
「ナス科のアサガオ属の植物で、主に熱帯アメリカに生息している花なんだけど、大きくて芳香のある花弁を下向きに咲かせるその形状から、エンゼルトランペットとも呼ばれているんだ」
城咲は爽やかな微笑を讃えつつ続けた。
「花言葉は、“偽りの魅力”」
「――――」
凌空は目を見開いた。
この男、やはり知ってる。
市川家がずっと偽ってきたことを―――。
城咲は注射器を取り出すと、小瓶に針を入れた
「何するつもりだよ……?」
「ダチュラには毒があって。って言っても一過性で、大量に摂らなければ危険はないんだけど」
城咲は注射器に透明な液を充填させていく。
「古くは医療行為で全身麻酔に用いられたり、あとは政府に自白剤にも用いられていた安全な成分だよ」
「自白剤……?」
凌空が唖然と見守る中、城咲は晴子の脇に回り込むと、腕を裏返した。
「あ……」
止める暇もないほど城咲は躊躇なく晴子の腕にそれを注射した。
「……うう」
晴子が痛みに小さく眉を寄せる。
「本当はもう少し泳がせるつもりだったんだけどな」
城咲は独り言のように言うと、晴子の耳に唇を寄せた。
「―――晴子さん」
低く落ち着いた声に、晴子が薄く目を開ける。
その瞳は左右に震えていた。
「……あんなに割り切った表情をしたあなたをおいていくことはできなくてね」
城咲は笑いながら言った。
「………」
もう少し瞼を開けた晴子は、うっとりと陶酔したような表情で城咲を見つめた。
「ずっと、気になってたんですよ。凌空くんのこと」
「!」
自分の名前を出した城咲を睨むと、彼は微笑んでからまた視線を晴子に戻した。
「……にを?」
晴子の唇が微かに動く。
「何をって?凌空くんの、目のこと」
城咲は勿体ぶるように強調しながら言った。
「……め?」
「そう。目」
城咲の大きな手が、晴子の小さな顔を撫でる。
「晴子さんとは似てないよね」
晴子はうっとりとしながら、その手に自分の手を重ねた。
「でも、ご主人の目とも似てない」
城咲が続ける。
「知ってますか?二重は優勢遺伝子。一重は劣性遺伝子なんです。つまり両親がともに一重の場合は一重の子しか生まれないんですよ」
城咲の人差し指が、晴子の瞼をなぞる。
「晴子さんの目は整形でしょう?本当は一重ですよね」
知らなかった。
凌空は目を見開いた。
「ご主人も一重。つまり、あなたたちの間には一重しか生まれない。紫音さんのようにね。
輝馬さんのことはもうわかっています。彼はご主人の子じゃない」
―――なるほど。
凌空は腕を組んだ。
あの弁護士は二重。
だからやはり二重の自分と輝馬は彼の子だ。そう言うことだろうか。
「でも、凌空くんは?彼は、ご主人とあなたの子ですよね?」
(なんで、そうなる……?)
凌空は眉間に皺を寄せた。
自分も――自分こそ、あの弁護士の子供で間違いないのだ。
だって自分の目は似てるどころではない。
あの男と同じなのだから。
「ふふふ」
晴子は城咲を見つめたまま笑い出した。
「当たり前でしょ?だって、あの子の目は――」
凌空は城咲しか見えていない晴子をのぞき込んだ。
ガツンと後頭部を何かで殴られたような衝撃が走った。
「改造……?何言ってんの、母さん」
意味が分からない。
凌空は、晴子に言った。
しかし彼女に凌空の声は届かないのか、未だにうっとりと城咲を見つめている。
「晴子さんは――」
応えない晴子の代わりに、城咲が口を開いた。
「若いときに整形の経験がある。だから当然、二重切開法の知識はあった」
「――――」
「何を使ったか、どうやったかは俺にはわからないけど、キミの記憶にないってことは、病院ではやってないと思う。だって、普通、二重切開の美容整形は10歳以下にはしないから」
城咲は淡々と語った。
「思うに晴子さんが言う通り、自分でしたんじゃないのかな」
凌空は呼吸を忘れて口を開けた。
あの記憶。
晴子が包丁を持って追いかけてきて、
血だらけの健彦が慌てて運び出して、
そしてあの病院の写真。
あれは、
幼かった自分の目を、
晴子が―――。
凌空はまだ城咲に陶酔している母親を見下ろした。
このメス豚。
自分の家族を、
凌空は踵を返した。
キッチンを通り、
廊下を抜け、
ドアから外に出る。
カギが開いたままの自宅のドアを開け、中に入る。
廊下を抜け、
キッチンに入り、
シンクの戸棚を開けた。
入っていた包丁を取り出す。
「…………」
凌空は振り返った。
晴子が掃除機をかけたばかりのリビング。
コの字型の5人で使える大きなソファ。
しかしそこに5人で並んで座ることはなかった。
サイドボードの上にかかるカレンダー。
そこに5人で行く旅行の予定が書かれることはなかった。
バルコニーに並ぶ鉢植え。
花が咲いても枯れても、それについてコメントする者はいなかった。
「…………」
涙がこみあげてくる。
この家は何だったのだろう。
5人が互いに愛情もないまま、ただ過ごした空間。
やり直す?
ここから始まる?
そんなの夢物語だった。
この家族は、とっくに、
終わっていた。
凌空は南京錠がかけられたドアを見た。
待ってろよ。
俺が、完全に終わらせてやる。
凌空は包丁を握り直した。
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「もう死んでるよ」
そう言われるまで、
自分が包丁で刺し続けた晴子が息絶えていることも、
その横に輝馬と紫音の首が仲良く転がっていることにも、気が付かなかった。
半開きだった唇から血の味がする。
凌空は城咲を振り返った。
彼はソファに足を組んで座りながら、また煙草を吸っていた。
「……いい目だね」
形のいい口元を歪ませて、彼は笑った。
「ところで、詳しく聞きたいな。晴子さんが今わの際に言った言葉」
城咲は白い煙を吐き出した。
「あれ、どういう意味?」