テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「交渉材料にされた女は、笑えるくらい無力だった」
そう言ったのは、“夜鴉(よがらす)”と呼ばれる組織の幹部だった。
倉庫の奥、鉄製のイスに縛られた栞。
口元には布。両手は後ろで固定され、自由を奪われている。
周囲には銃を構えた護衛数名。
そして──正面にいたのは、皮肉な笑みを浮かべた男。
「翠(スイ)を出せば、お前は生きて帰れるかもしれない。出さなければ──どうなるか分かるな?」
(……殺される……)
言葉にできない恐怖が、喉元を締めつける。
だけど、心の奥で叫びたかった。
──絶対、来ちゃダメ。
──私のために、無理なんてしないで。
だけど。
「──来たか。ようやく“彼女の犬”が吠えにきたな」
倉庫のシャッターが轟音を立てて開いた瞬間、
一発の銃声が、すべてを静止させた。
パァン!!
銃弾は、幹部の足元へ正確に打ち込まれる。
そして現れたのは、黒のジャケットを翻し、顔を一切歪めずに歩く、男。
「翠……さん……」
「よく俺のバディに手ぇ出したな」
静かな声だった。
けれど、その場にいた誰もが、確かに“殺気”を感じた。
「条件は変わらねぇ。“情報”と“女”。それと引き換えに、お前を見逃してやる」
男はそう言った。
けれど、翠は一言だけ、こう返した。
「黙れ」
次の瞬間、銃声が響いた。
狙撃。
煙。
悲鳴。
──数秒後、護衛が一人、脳天を撃ち抜かれて倒れていた。
「交渉の余地はない。“バディを人質にした時点”で、選択肢なんか残っちゃいねぇんだよ」
銃を構える翠。
顔には怒りも、憎悪も、表情すらない。
ただ、静かに──冷たく、確実に“殺意”を突きつけていた。
「どけ。お前ら全員、撃ち抜く」
「っ……! 囲め、囲めぇっ!!」
四方から発砲。
だが、翠は怯まない。
瞬時に壁の裏へ移動し、反撃──
一発、また一発と護衛が沈んでいく。
その動きに、栞は目を見開いた。
(殺してるのに、綺麗だった)
弾は一切無駄がない。
迷いも揺れもない。
まるで、怒りさえ“冷静に操る”ために存在しているような、静かな闘争。
やがて、銃声が止んだ。
残っていたのは、翠と──両足を撃ち抜かれ、地面に倒れた幹部ひとり。
「言ったよな。“殺す”って」
翠が歩み寄ると、幹部は必死に縋りつこうとした。
「待てっ、待ってくれっ! 情報は──やるっ、全部やるから! 栞って女は関係ないっ……!」
「俺の“バディ”の名前、軽く呼ぶな」
──パァン。
一発。
心臓を撃ち抜かれ、男は即死。
その場に、静けさが戻る。
***
縛られたままの栞の前に、翠がしゃがみ込む。
そして、布を取ってやるより先に、額をそっと当ててきた。
「……無事か」
「……っ」
返事ができなかった。
ただ涙がこぼれた。
怖かった。痛かった。苦しかった。
だけど──
「お前が死にかけてるって聞いたとき、俺は頭が真っ白になった」
「翠さん……」
「俺のバディは、俺が殺す時まで生かしておく」
「……へ、変な言い方……」
「でも、事実だろ」
そう言って、不器用な手つきで縄を解いてくれた。
自由になった瞬間、栞は彼にしがみついた。
「……ありがとう、ほんとに……来ちゃダメって思ってたのに……!」
「バカ。来ないわけないだろ」
「……共犯者だから?」
「いや、それ以上だ」
「……!」
その一言で、呼吸が止まった気がした。
言葉の意味を問い返すことはできなかった。
でも、その夜、栞の心に刻まれた。
──命を懸けて助けに来てくれた人がいる。
──世界でただ一人、自分を“守る価値がある”と信じてくれる人がいる。
そして、彼もまた気づいていた。
“守りたい”と思った瞬間、自分がもう、ただの殺し屋じゃなくなっていることに──
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!