翌日…
昨日の出来事を誰にも話さず、私はいつものように店を開けた。
外は昨日と同じく雨。
ガラス越しに濡れた街を見ながら、私はそう思った。
——夢だったのかもしれない。
そう思いたかった。
3番テーブルには昨日のコーヒーカップはもう無い。
スタッフルームに戻ると、昨日のレジ横に置いていた「濡れたコイン」も、消えていた。
まるで、最初から何もなかったかのように。
けれど、レジの注文履歴だけが残っていた。
昨日、誰もいない店内で、勝手に入った注文。
【ブレンドコーヒー(ホット)×1】
その下に、見慣れない文字列が追加されていた。
【同席:ブレンドコーヒー(ホット)×1】
「同席……?」
私は小さく呟いた。
そんなメニュー、うちには存在しない。
誰が打ち込んだのか?いや、”誰が打ち込ませたのか”のか。
その瞬間、レジの小さなプリンターが勝手に動き出した。
レシートがゆっくりと出てくる。
印字されていたのは、昨日と同じ時間帯。
そして最後の行に、こうあった。
【お待たせ致しました。2人分。】
……心臓が冷たくなる。
「2人分」昨日、確かにカップは二つあった。
でも、私は一つしか淹れてない。
私はそのレシートを掴み、慌ててスタッフルームへと走った。
監視カメラの映像を開き、昨夜の記録を再生する。
コーヒーを3番テーブルに置く私と、ただの空席。そのまま私はカウンターに戻ってゆく。
だが、3番テーブルにはもう1人分の湯気が
立っていた。
巻き戻しても、再生しても、その瞬間だけ、もう一つの湯気が揺れている。
そして、次の瞬間、カメラが一瞬だけノイズを起こした。
映像のノイズの中に、「人の輪郭のようなもの」が現れる。
その影は、画面越しにこちらへ顔を向け、
昨日と同じように、まっすぐ私の方を見た。
私は叫びそうになったが、映像が止まった。
カメラの電源が勝手に落ちたのだ。
……その時だった。
静かな店内で、
カラン コロン
とドアベルが鳴った。
「……まだ開店時間じゃ……」
私はそっとホールを覗いた。
誰もいない。
けれど、三番テーブルには、また濡れたコインが三枚置かれていた。
私は震える指でそれを拾おうとした。
だが、コインに触れた瞬間、指先に“温もり”を感じた。
まるで、誰かがさっきまで握っていたような。
その温かさに驚いて手を引っ込めると、
POSレジの画面が勝手に明るくなり、
新しい注文が入った。
【ブレンドコーヒー(ホット)×2】
【三番テーブル】
——二人分。
「……もう、一人、来る。」
そう思った瞬間、
背後から、
もう一つのカラン コロンが鳴った。
私は振り返る勇気を、持てなかった。
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