テラーノベル
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《NASA/PDCOオペレーションルーム》
薄暗い室内に、
緑と青の線が交差していた。
大きなスクリーンには、
地球の周りを回る軌道図。
そこから伸びる細い線が、
さらに先の細い点へと延びている。
Fragment B。
オメガから分かれた、
直径120メートルの“第二の刃”。
「――TCM-1 シミュレーション、
最終ラン完了。」
オペレーターが報告する。
「結果、
ΔV+3.4cm/s を
予定時刻に与えた場合、」
「Day26 時点での
相対位置誤差は
“半径50メートル以内”に収束。」
アンナ・ロウエルは、
その数字を見て
小さく息を吐いた。
「“当たるところまで
持っていける”ってことね。」
「少なくとも、
今の観測精度の中では。」
隣の解析担当が頷く。
「もちろん、
Fragment B 側の軌道誤差も
残っていますが、」
「美星スペースガードセンターと
JPL/CNEOS の追加データが
かなり効いてます。」
別のスタッフが
画面を切り替える。
そこには、
IAWN や SMPAG に送るための
ブリーフィング資料案が映っていた。
『Day27:TSUKUYOMI TCM-1
・目的:Fragment B に対する
迎撃軌道の最終調整
・想定結果:
120m級天体への直接衝突を目標
・リスク:
Fragment B 軌道誤差に依存』
アンナは、
しばらく黙って眺めたあと、
一つだけペンを入れる。
『・想定結果』の行に、
短い一文を足した。
『※成功した場合、
Fragment B の落下コリドーは
“地球を外れる可能性”が
初めて現実的になる』
新人スタッフが、
思わずこぼす。
「……“初めて”なんですね。」
アンナは
表情を変えずに答えた。
「ええ。」
「今まではずっと、
“どこかに当たる地球”の中で
場所を探していただけ。」
「明日ハンドルを切って、
初めて“外れるかもしれない地球”が
選択肢に入る。」
彼女は、
スクリーンの端に映る
ツクヨミのテレメトリを見上げた。
「だからこそ、
明日のTCM-1は
“人類の手で初めて
現実的に世界線を分ける日”よ。」
「……大げさに聞こえるかもしれないけどね。」
誰も笑わなかった。
冗談にするには、
あまりにも数字が重すぎた。
《JAXA/ISAS 相模原キャンパス/プラネタリーディフェンス管制室》
壁のホワイトボードには、
太い字でこう書かれていた。
『Day27:TSUKUYOMI TCM-1
※日本時間 明日深夜』
その下に、
チェック項目のリスト。
『・スラスタ事前点検ログ確認
・姿勢制御シミュレーション
・通信遅延+誤差見積もり再確認
・Fragment B 最新軌道解インポート』
白鳥レイナは、
椅子に座る若手たちを
ぐるりと見渡した。
「――明日は“本番”だけど、
今日が一番大事な日よ。」
「“明日やることを
今日全部頭の中で歩く日”だから。」
モニターには、
ツクヨミの機体を模したCGが
くるくると姿勢を変えている。
「スラスタの噴射時間は
わずか数十秒。」
「でも、
そのスタートボタンを押すまでに
何時間もかけて
確認を積み上げる。」
「“間違える余地”を
できるだけ削るために。」
若手のひとりが、
遠慮がちに手を挙げた。
「……もし、
TCM-1を“やらない”って
選択肢はないんですか?」
レイナは、
少しだけ考えてから首を振る。
「理論上はある。」
「“今のコースのまま
Fragment B の近くを通過させて、
被害予測だけをより精密にする”
って選択肢ね。」
「でもそれは、
“観察のために矢を飛ばした”
ことになる。」
「私たちがツクヨミに
託したのは、
“観察”じゃなくて“偏向”。」
「だから、
GO/NO-GO は
政治と国際枠組みの判断だけど、」
「科学者としては
“GO以外の選択肢”は
最初からないと思ってる。」
誰かが
小さく息を吐いた。
(“怖いから撃たない”わけにはいかない、か。)
モニターの隅に、
ニュースサイトのテロップが流れる。
〈ツクヨミ、明日深夜“軌道修正”へ〉
〈世界初、“本格的な天体偏向”なるか〉
隣の席のエンジニアが
ぼそっと漏らす。
「……こういう見出し、
ちょっとやめてほしいですね。」
「“失敗したら世界が終わるスイッチ”
押すみたいじゃないですか。」
レイナは、
肩をすくめた。
「“世界が終わるスイッチ”なんて、
私たちの机の上にはないわよ。」
「あるのはせいぜい、
“終わり方を少しずらせるかもしれない
ハンドル”くらい。」
「でも、
そのハンドルを握れるのは
今のところ私たちだけ。」
「だったら、
手を離さないでいましょう。」
《総理官邸・食堂》
珍しく、
サクラは官邸内の小さな食堂にいた。
トレーの上には、
質素な定食。
味噌汁から立ち上る湯気が、
少しだけ目に沁みる。
テーブルの向かいには、
内閣広報官の中園が座っていた。
「総理、
明日のTCM-1、
どう扱いますか。」
「“世界線を分けるハンドル”だと
レイナさんはおっしゃってましたが。」
サクラは、
箸を置いて
少しだけ考える。
「……難しいわね。」
「“世界線を分ける”って言葉は
正しいと思う。」
「でもそれをそのまま
国民に出したら、」
「“明日世界が決まる日だ”って
パニックになる。」
「ですよね。」
中園は
メモ帳を開いた。
「候補としては――」
「①『第二の矢ツクヨミの
進路を微調整する作業』」
「②『Fragment B に
より正確に向かうための
軌道修正』」
「③『将来の落下リスクを
少しでも減らすための
一歩』」
サクラは、
③の言葉に指を置いた。
「これがいい。」
「“一発逆転の必殺技”じゃなくて、
“リスクを少し減らすための一歩”。」
「そのイメージは、
最初から最後まで
崩さないでおきたい。」
(私たちは今、
“奇跡”に賭けているんじゃない。)
(“少しでもマシな未来”に
しがみつこうとしているだけ。)
「明日は、
私から大きな会見はしません。」
「でも、
官房長官談話か
危機管理監からのブリーフィングを
出してもらいましょう。」
「“今日は大きな花火の日ではなく、
静かにハンドルを切る日です”って。」
中園は
そのフレーズを
そのままメモした。
「“静かにハンドルを切る日”。」
「……いいですね。」
サクラは、
少しだけ笑った。
「私たちが騒いだら、
世界がもっと騒ぐからね。」
「騒ぐのは――
Day26の結果を見てからで
十分よ。」
《首都圏・普通のリビング》
リビングのテレビには、
ニュース番組の特集が流れていた。
『ツクヨミ、明日軌道修正へ
“地球のどの空を守るのか”』
画面には、
素朴なCGが映る。
青い地球と、
赤い線で描かれたFragment B のコリドー。
そこへ、
小さな白い矢印が
横から突っ込んでいく。
中学生の息子が
ソファに寝転がりながら
ポテトチップスをつまんだ。
「……ゲームのイベントみたいだな。」
「“Day27:ツクヨミ・イベント”
“成功したら報酬:地球生存”みたいな。」
父親が、
苦笑ともため息ともつかない声を出す。
「報酬デカすぎるわ。」
母親は台所から顔を出した。
「宿題は?」
「やってるよ、
ほら“オメガの自由研究”。」
テーブルの上には、
プリントアウトされた
“今どこツクヨミ”のグラフと、
オメガの設定をまとめたノート。
『オメガ:直径220m
Fragment B:120m
ツクヨミ:第二のキネティックインパクター』
「……ほんとに
テストに出るかもね。」
母親がぼそっと言う。
「“ツクヨミが成功した場合の
社会への影響を述べよ”とか。」
父親が
テレビを見つめながらつぶやく。
「成功しても失敗しても、
“元の世界”には戻れないだろうな。」
「少なくとも、
“隕石なんて映画の中の話”って
笑ってた頃には。」
誰も反論しなかった。
(でも、
“笑い飛ばせた頃”に戻れないなら、)
(せめて“生きて悩める世界”で
悩み続けたい――)
誰も言葉にしなかったが、
家族の中で
なんとなく共有されている
感覚だった。
《黎明教団・オンライン掲示板》
スレッドのタイトルが
次々と増えていく。
〈【Day27】ツクヨミ軌道修正を前に
私たちにできること〉
〈ハンドルを切らせないための“静かな行動”〉
〈セラ様の最新メッセージを読んで〉
匿名の信者たちが、
それぞれの“決意”を書き込む。
〈明日は仕事が休みだから、
ツクヨミのことを知らない人に
“オメガの本当の意味”を
話して回ります〉
〈うちの学校では
オメガ特集の授業が始まった。
“新しい世界”のことも
話していいのかな〉
〈種子島には行けないけど、
近所のJAXA関連施設の前で
“祈りのスタンディング”をするつもり〉
その中に、
少し危うい投稿も紛れ込む。
〈“静かな祈り”だけで
本当に矢のハンドルが止まるのか〉
〈“魂の向き”を示すなら、
もっとはっきりした行動が必要では?〉
モデレーターが
すぐに警告を出す。
〈※暴力や違法行為の促進は禁止です〉
だが、
文字だけの警告が
どこまでブレーキになるのかは
誰にも分からなかった。
Day28。
オメガ予測落下日まで28日。
宇宙では、
第二の矢ツクヨミが
120メートルのFragment B に向けて
静かなクルーズを続け、
明日の軌道修正(TCM-1)で
“本当に当てに行く”ための
最後の確認が行われていた。
地上では、
IAWNとSMPAGが文書を更新し、
JAXAとNASAが
見えないハンドルの角度を
何度もシミュレーションする。
祈る者、
備える者、
世界の終わりを望む者。
そのすべての感情を乗せたまま、
“前夜の前夜”は静かに更けていった。
本作はフィクションであり、実在の団体・施設名は物語上の演出として登場します。実在の団体等が本作を推奨・保証するものではありません。
This is a work of fiction. Names of real organizations and facilities are used for realism only and do not imply endorsement.
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