テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#ロマンスファンタジー
花月夜れん
632
ひより
14,948
#王道
涙乃
1,138
柊トワ
4,223
翌朝。
「……これなら、まず気づかれないだろう」
鏡の中には、見慣れない女が映っていた。茶色い髪に、黒い瞳。服装も、街の女性が着るようなシンプルなワンピースだ。髪は動きやすいよう、低い位置で一つにまとめている。
「相変わらず、《幻装石》って便利ですわね」
以前、カイル殿下と城下町へお忍びデートをした時にも使った変装用の魔道具だ。一度使えば砕けてしまうため、今回はカイル殿下が新たに使用許可を取ってくれた。
ただし、変えられる髪や瞳の色は選べない。そして今回は――。
「なんだか、その髪と瞳の色……ギルバートそっくりですわね」
カイル殿下の黒髪は赤色へ。青い瞳は、こげ茶へ変わっていた。
「お前こそ、アンナに似ているぞ」
「確かにそうですわね」
私は肩から下げている革鞄を持ち上げた。普段使っている鞄では、いかにも貴族らしく目立ってしまう。そこで出発前、アンナが貸してくれたのが、この使い込まれた茶色の肩掛け鞄だ。アンナの方が私より少し背が低いけれど、髪色まで同じになった今、後ろ姿ならかなり似ているかもしれない。
「では、行きましょうか」
「ああ」
カイル殿下が扉へ向かいかけて、ふと振り返った。
「街では“殿下”と呼ぶなよ」
「分かっていますわ。カイ、でしょう?」
「……ああ、ソフィ」
***
ラヴィエールの街は、朝から賑わっていた。石畳の道沿いには、焼き菓子や果物を並べた店。温泉客向けの土産物屋。さらに国境が近いため、アウレリア王国の商品を扱う店も多い。この地域では、通行証さえあれば、住民が日常的に国境を越えて買い物へ行くという。
「アウレリアでは、布製品と香辛料がこちらより安いそうですわ」
「詳しいな」
「……え?」
「初めて来たのだろう?」
「え、ええ。もちろん。アンナから聞いたことがありますの」
「そうか」
カイル殿下は、それ以上追及しなかった。
「すみません」
旅行客らしき男女に声をかけられた。
「国境の検問所へ行きたいんですが、道をご存じですか?」
「ああ、それならここを右へ曲がって、真っ直ぐ進めば――」
言いかけて、横から視線を感じた。
「…………」
「何ですの?」
「ずいぶん詳しいな。検問所の位置まで知っているとはな」
まずい。私は慌てて鞄から地図を取り出した。
「じ、事前に周辺の地図を確認してきましたので!」
「そうか」
「そうですわ!」
男女が頭を下げ、去っていく。
(……何か感づかれたかしら)
いや。まだ大丈夫。
「カイ、あれ!」
誤魔化すように指さした先には、淡い紫色の花を並べた露店があった。昨日、領主夫妻の子どもたちからもらったのと同じ――リュミエラだ。ラヴィエール湖周辺に咲く花で、乾燥させても色が褪せにくいらしい。店先では、そのドライフラワーを使って、小さなリースを作ることもできるようだ。
「セレナへのお土産に、二人で作ってみません?」
「作る」
席へ着き、店員から一つ分の材料を受け取る。
「では、私が土台を押さえますから、カイはこの辺りに花を――」
「ああ」
カイル殿下が、リュミエラを一本つまんだ。
「まず、これをここへ――」
パキッ。
「…………」
指の間で、花が粉々になった。
「力を入れすぎですわよ!」
「……脆すぎないか?」
「お花ですもの! 敵じゃありませんわ!」
「分かっている」
「本当に?」
私は新しい一本を手渡した。
「今度は優しくですわよ」
「ああ」
そーっと。そーっと。
「カイ?」
「今話しかけるな」
「そこまで集中します!?」
ようやく一本、無事に差し込まれる。
「できた。次はどこだ?」
「では、こちらに二輪。その反対側にも同じくらい――」
「分かった」
その後は、私が配置を考え、カイル殿下が花を差し込んでいく。しばらくして。
「…………」
彼が出来上がりかけたリースを持ち上げた。
「左右の布陣が均等にならん」
「リースに軍事陣形を持ち込まないでくださる!?」
「だが、こちら側だけ三輪多いぞ」
「わざわざ花の数を数えたんですの!?」
至極真面目な顔だった。
「……やはりバランスが悪い。一度すべて外して、最初からやり直すか」
「絶対にやめてください!!」
リースを解こうとする彼の手を掴んだ。
「十分かわいくできていますわ!」
「しかし、やはり少しいびつな気が――」
「手作りなんですから、多少いびつなくらいでいいんです!」
「そういうものなのか?」
「そういうものですわ!」
カイル殿下が、不安そうにリースを見つめた。
「……セレナは気にしないだろうか」
「気にしませんわ」
「本当か?」
「本当ですわ!」
私は出来上がりかけたリースを指さした。
「『パパとママが、セレナのために一生懸命作った』って渡せば、きっと大喜びしてくれますわ」
「……そうか」
カイル殿下の口元が綻んだ。
「ならば、もう少し花を増やすか。セレナは紫の花が好きだからな」
一本。二本。三本。さらにもう一本。
「ちょ、ちょっと! もう十分ですわよ!」
「いや。せっかく二人で作るんだ。もっと華やかな方が喜ぶだろう」
「だからって――」
「ソフィ。そっちの花も取ってくれ」
「まだ増やすんですの!?」
結局。カイルは次々とリュミエラを差し込んでいった。そして――。
「…………」
小さなリースは、淡い紫色の花でほとんど埋め尽くされていた。もはやリースというより、花冠だ。
「これなら、セレナも喜ぶだろう」
カイル殿下は満足そうに完成品を眺めている。
(まったく)
(親馬鹿なのは相変わらずだけど――)
二人で作った、花だらけのリース。セレナが頭に載せて喜んでいる姿を想像すると、頬が緩んだ。
(これはこれで、セレナが喜びそうね)
***
昼時。私たちはそのまま、宿屋や酒場が並ぶ一角へ足を運んだ。その時――。
「おい!」
突然、背後から声をかけられた。
「アンナじゃないか!」
「え?」
振り返ると、宿屋兼酒場らしい建物の前に、恰幅のいい中年男性が立っていた。
「……ん?」
私の顔を見るなり眉を寄せる。
「ああ、すまん。人違いだ」
(び、びっくりした……)
やっぱり今の後ろ姿、アンナに似ているらしい。ほっと胸を撫で下ろした。
ところが――男の視線が、私の肩へ落ちた。
「……いや。その鞄」
「え?」
「昔、アンナって娘が持ってたやつじゃねえか?」
嫌な予感しかない。
「四年くらい前だったか? アンナって娘が一人でここへ来てよ。妙な頼みをしていったんだ」
(やめて……)
「そのうち若い女を連れて来るかもしれないから、その時は泊めてくれって。前金もずいぶん置いていったな」
(お願いだから黙って!!)
「しかも、アウレリアへ渡る馬車まで手配してくれって言うから――」
隣から、カイル殿下の鋭い視線が飛んでくる。恐る恐る顔を向ける。
「……ソフィ?」
(終わった……)
「説明してもらおうか」
「え、えーっと……」
宿屋の主人は、私たちの空気などまるで気にせず続けた。
「結局、アンナもその女も来なかったけどな。てっきり訳ありの駆け落ちか何かかと思ったぜ」
「もう十分だ」
カイル殿下の声が落ちた。男はきょとんとしている。
「……?」
***
宿屋を離れ、人通りの少ない湖畔の道まで来た。カイル殿下は黙ったままだ。ついさっきまでの穏やかな空気は、完全にぶち壊しだ。
「あの……カイ?」
「いつだ」
「え?」
「アンナに、あの宿と馬車を手配させたのは」
私は小さく息を吐いた。
「……結婚して、しばらく経った頃ですわ」
カイル殿下の足が止まった。あの頃の私は、ゲームのシナリオを何より恐れていた。だから、アンナに国外へ逃げるためのルートを調べてもらっていたのだ。
「万が一の時のために、保険として用意していただけですわ。宿も馬車も、結局使いませんでしたでしょう?」
「…………」
「もう昔のことですし。そんなに気にしなくても――」
「気にする」
「…………え?」
顔を上げる。怒っているのかと思った。でも――違う。傷ついている。
「宿を押さえて、国境を越える馬車まで用意して……」
彼がぽつりと続けた。
「もしあの時、俺がお前を見つけられなかったら――そのままアウレリアまで行くつもりだったのか?」
「…………」
答えられなかった。その沈黙だけで、十分だったのだろう。
「……そうか」
「でも、それは昔のことで――」
「今、お前が俺とともにいてくれていることは分かっている」
「でしたら――」
「それでも」
カイル殿下が視線を落とした。
「傷つくものは、傷つく」
「…………」
何も告げずに姿を消そうとした事実は、変わらない。今さら言い訳をしたところで、きっと彼をもっと傷つけるだけだ。
カイル殿下は、それ以上何も言わなかった。そのまま、私より少し先を歩き始めた。
(……やばい)
ついさっきまで、二人でセレナへのお土産を作っていたのに。
新婚旅行、一日目。
(……早くも、せっかくの新婚旅行を修羅場にしちゃった!?)
コメント
1件
ああっ、第73話……! リース作りで二人でわちゃわちゃしてるの、すごくほっこりしたのに、最後の修羅場が切なすぎるよ……😢 カイル殿下の「傷つくものは、傷つく」って言葉、胸に刺さった。ソフィアの過去の決断が今の彼を傷つけてるって、なんかリアルで苦しいなあ。新婚旅行、この後どうなるんだろう? 気になってたまらないよ…!🙏