母と歯切れの悪い別れ方をしてしまった月子は、つい、蔵へ向かっていた。
入り口の扉を開けたままにしていたのも気になったが、何より、一番落ち着く場所だったからだ。
母が居ないと分かっていても、蔵へ行けば、なんとかなるような安堵感もあった。それに、佐紀子含め、屋敷の者達と顔を合わすことがない。
幸先の不安があるだけに、母の面影にすがるかのよう、月子の足は動いていた。
ところが。
蔵から、下男が何人か、荷物を持って出て来た。
各々、葛籠を掲げ持ち、ひとまず、入口の脇へ置いて行く。
「ああ、使っていたものは、全部処分しろって、佐紀子お嬢様が……」
水が入ったバケツを重そうに運びながら、女中頭の千代が、立ち尽くす月子へ言った。
「これから、水拭きするから、ぼっと、突っ立てるんじゃないよ」
母が、使っていたものは、全て処分しろ、そして、使われていた場所は、水拭きしろ……。
そのあと、商売や屋敷のあれこれを記した帳簿を運び込め。
それが、佐紀子の命だと千代は言う。
月子親子が使っていた為に、本来蔵へ仕舞うはずの古い帳簿類は、屋敷の屋根裏に仕舞っているようで、これを機に、あるべき所へ戻すようにということらしい。
それは、確かに、もっともな話ではあるが……。
「あ、あの、その葛籠は!」
母が、月子へと譲ってくれた江戸小紋の着物が入った葛籠を、下男が持ち上げていた。
「そ、それは、その中身は、母の着物で……」
「着物?だったら、さっさと処分しちまわねぇと。身につけてたんだろ?病が移っちまう」
下男は、ずけずけ言ってくれた。
そうゆうことか、と、月子は、思う。母の持ち物を処分するというのは、皆、病が移るかもしれないと、恐れているからだ。
いや、佐紀子が、そう言った。……のだろう……。
確かに世の中の人間は、移る、移ると、執拗にいやな顔をする。
それを言われてしまうと、月子には、何も言い返せない。
仕方ないと、諦めるべきなのだろうが、母の思い出全てを奪われるようで、この世から、母が居なくなってしまうようで、到底、耐えられる事ではなかった。
「さあ、始めるよ!」
夕飯の支度もあるのだからと、千代が、月子を急かした。
雑巾を渡され、月子は、何も言えないまま、従うしかなかった。
月子を使えと……、佐紀子が、千代へ命じたのだろう。
全てにおいて、佐紀子の影が見え隠れする事も、月子には、耐えられなかった。
悔しさを誤魔化そうと、月子は、床に這いつくばって、雑巾掛けをする。
惨めな気持ちに押し潰されながら、佐紀子、いや、西条家の底力というべきものを見せつけられ、手も足も出ない自分に、月子は、苛立ちを覚えた。
次は、自分。追い出されるなら……いっそ、このまま、出て行こうか。
訳ありの、住む世界が異なる男爵の元へなど、嫁いだところで、今より苦しい思いをしなければならないはずだ……。
でも……。
看護婦が言っていた、母のこれからの事を月子は思い出す。
病院へ出向けば、転院という名目で、母を追い出す話になるだろう。ひょっとして、佐紀子は、そこまで仕掛けて来たのか……?
月子の中で、佐紀子と西条家への疑心が蠢いた。
余計な事は考えまい。
きっと、どうにかなる。
ただし……、訳ありの縁談話を受ければ……。
今のところ、すがれるものと言えば、その素性の知れない、男爵しかいないのかも……。
自分一人では、どうにもならない、置かれている現実に、月子は泣きそうになりながら、床を拭いた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!