『その日』は、突然訪れた。
必ずやって来ることと、月子は覚悟していたが、母を送り出してから、三日後というのは、余りにも早過ぎる。
母が蔵へ、追いやられる以前、与えられていた三畳間で、月子は、目を覚まし、朝の支度の手伝へむかおうとした矢先、部屋のふすまが開かれた。
千代が鬱陶しそうに月子を見ている。
「あっ、今、行こうとしていたところで……」
月子は、朝食の支度に出向くのが遅れたのだと思い、千代の機嫌を取った。
「いや、月子さん、あんたの支度をしておくれ」
「……支度ですか?」
だから、その支度の為にと月子は言いかけ、はっと息を飲む。
「……これ、佐紀子お嬢様から。ここに、行ってくれだとさ」
小さな紙切れと、封書が手渡された。
「住所と……、釣り書……だよ」
千代は、それだけ言うと、さっと踵を返す。
「……住所と、釣り書……」
月子は、手渡された物を見ながら、つい、反復していた。
これは……、つまり……。
見合いへ行けと言われているのだと、理解するのにさほど時間は、かからなかった。
住所は、相手の家なのだろう。そして、釣り書、つまり、月子の身元、経歴を記したものを、渡されたということは、そうゆうことだ。
相手に会いに行けと、言われているのだろうが、事は、見合い。縁談話なのだから、仲人なり、家長である佐紀子が共に足を運ぶものではないのか。
疑問よりも、あまりにも、おざなりな仕打ちに、月子は、身動きすら取れなかった。
自分は、どうすれば良いのだろう。
見合い、に、行くべきなのだろうが、たった一人で……。
まるで、女中奉公ではないかと、月子は思うが、ああ、そうかと、自分の縁談とやらの真意に気がついた。
つまり、相手は、結婚相手ではなく、働き手が欲しいだけなのだ。
訳ありとは、そうゆうことか。
ならば、女中を雇えば良いのにと、月子は思うが、勘当の二文字を思い出す。
確か、そのようなことを野口のおばが言っていた。
佐紀子も、それでは結納金など用意できまいと言っていた。
女中の一人も雇えないのだろうか。それで、妻をめとって、やっていけるのだろうか。
いや、その妻というのが、自分なのだと、月子は、ゾッとする。
正直なところ、母の、これからの入院代金を、嫁ぎ先に頼れまいかと考えていた。
それで、多少の仕打ちを受けたとしても、たえられる。と、月子は
思っていたのだが……。
どうも、調子良く行きそうではないと、渡された物を見て、月子は、ただただ、困惑するばかりだった。
しかし、ここには、いられない。
もう、話は先方とついているはず。何しろ、月子の釣り書まで、用意されているのだから。
出向く準備をしなければならないのだろうと、月子は諦めのような気重さに陥りながら、ひとまず、渡された物を、畳んである布団の上に置いた。
この部屋には、押入れは無い。もちろん、物置棚の様な物もない。
がらんどうの小さな部屋には、月子が使っている布団、そして、身支度に必要な、手鏡や櫛が、使い古しの葛籠の中に、着替えと共に入っている。
文字通り質素な部屋だった。
月子は、葛籠の蓋を開け、正月用の晴れ着を底から取り出した。
といっても、袖をさほど通していない、木綿の着物で、普段着とさ
ほど変わりがない物だ。
これでは、本当に女中奉公に出ると等しい。
そもそも、こんな格好で、見合いの席へ出向いても良いのだろうか。でも、これしかないのだから、どうしようもない。
礼儀知らずと、先方に断られたなら、それこそ、女中として置いてもらおう。そう自分に言い聞かせながら、月子は、身支度に取りかかった。
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