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杏奈に佐々木からの招待状を見せて、夫婦で出席して欲しいと言われたことを話した。
俺の大学の同期で杏奈の知らない奴だと知ると、行きたくないようなことを言っていたけれど、佐々木が杏奈に会いたいと強く言っていたので、そう伝えたら渋々納得してくれた。
佐々木は、“俺のことを少しも疑わずに家庭を守ってくれる杏奈というデキた妻”に会いたいらしい。
そして自分の妻《舞花》にも杏奈のような妻になって欲しいから、引き合わせておきたいらしいのだ。
_____ここで杏奈と佐々木を引き合わせておけば、俺も何かあった時に佐々木を口実にできるだろうし
お互い口裏を合わせておけば、浮気もバレないだろう。
ところで、浮気と不倫と女遊びと、どこがどう違うんだ?
そこに金と気持ちがどれくらい絡んでくるかってことか?
◇◇◇◇◇
それからしばらくは、仕事の忙しさに追われていた。
アルバイトで人件費を多少浮かせたとしても、原材料費の高騰で売上のわりに利益が出ない。
店舗周りをして、無駄なものがないか仕入れの伝票を確認したり、店員の動きをチェックする日が続いた。
「岡崎さん、今日もですか?お疲れ様です」
あまりにも俺が店に来るからか、店長はいい顔をしない。
内申点を付けられているようなもんだから、それも仕方ないだろう。
開店前の客席に座って、伝票をチェックしている俺の前に、烏龍茶が置かれた。
「あー、ありがとう、仲道さん」
アルバイトで専門学校生の仲道京香だった。
「どういたしまして。あの、ちょっとお聞きしたいことがあるんですが」
「はい、なんですか?」
手にしていた伝票を置いて、目を合わせた。
「あ、あの、たとえばですけど。働きの悪いアルバイトだとクビを切られたりするんですか?」
「特に問題がなければ、いきなりクビにすることはないよ。出来ていないところはまず指導する、それからその後の働きを見せてもらう。けれど、仲道さんはそんな心配をする必要はないでしょ?店長から聞いてるよ、お客様の対応がよくて、リピーターが増えつつあるって」
実際、京香を目当てにやってくる客がちらほらいるらしい。
若くて人当たりもよく、おしゃべりも上手いとくれば、人気も出るだろう。
「よかった、少し安心しました。これからも頑張りますね」
「うん、頑張ってね」
その後もシフト表や伝票を眺めていたら、手元に視線を感じた。
「ん?何か?」
「岡崎さん、結婚されてるのにあんまり生活感がないですね」
仲道京香は、烏龍茶を運んできたトレイを胸に抱えたまま、視線は俺の手元にあった。
「ほら、ちゃんと指輪してるよ、結婚してる証拠。子どももいるよ、可愛い盛りの」
ポケットからスマホを出すと、待ち受けにしている圭太の写真を見せた。
「えー、奥様は写ってないんですか?見たかったな」
「妻はあまり写真を撮らせてくれないからね」
ホントは、俺の妻としての杏奈の顔をあまり知られたくないからだけど。
「でも、子どもの写真を待ち受けにしてるってことは、きっとお子さん思いのお父さんなんですね。ここで見てる岡崎さんからは、子供のお世話をしているとこなんて、想像できないけど」
「イクメンとしては普通のことしかしてないけどね。たとえばミルクの温度は手首で測るとかさ、離乳食のにんじんやジャガイモを潰すとか俺の役だったし。早く帰れた日はお風呂も入れてるよ」
「ホントにイクメンなんですね、いいなぁ、奥さん、幸せですね」
「まあ、それくらいはね。育児って奥さんだけに任せるものじゃないし」
ミルクは杏奈が作ってたし、にんじんもじゃがいもも茹でて置いてあるものを潰しただけなんだが、この仲道京香の中で俺は確実にイクメンとしての点数を上げたはずだ。
「私も結婚するなら岡崎さんみたいな人がいいです」
「おいおい、もっと若いヤツにしとけよ。俺みたいなおじさんは、やめておきなさい」
「ダメですよ、同年代の男なんて今を楽しむことしか考えてないんですよ?子どもなんて持てるわけないです。岡崎さんくらいの落ち着いた男性に憧れます」
京香のような女の子からそんなふうに言われてニヤケそうになったけど、奥から強い視線を感じて『ん、んっ!』と咳払いでごまかした。
「ほら、そろそろ持ち場に戻って」
「はい、お邪魔でしたね、すみません」
京香は、ペコリと頭を下げて厨房へと入って行った。
代わりに視線の主の小寺郁美が、テーブルを拭きながら近づいてきた。
「ちょっと待ってね、すぐおわらせるから」
「あー、あとでやるのでどうぞ、続けてください」
「すまない」
「いえ……」
郁美が、何か言いたそうに見えた。
「何か?」
「ホントのイクメンは、それがやって当たり前だから、自分からイクメンだとわざわざ公言したりしないもんですよ」
「そ、そうか」
口調が杏奈と似ていて、ドキリとした。
背後から、はぁーっ!とあからさまなため息が聞こえた。
テーブルを拭きながらの小寺郁美のため息だ。
_____俺が何かしたか?
振り返って“何か?”と問いただそうかとも思ったが、下手なことを口走ったらパワハラだセクハラだと言われかねないから、聞こえないふりをした。
_____これもある意味パワハラじゃないのか?部下からの逆パワハラってやつ
まだ郁美の視線を感じたので、トントンと強めに書類をまとめて、席を立った。
「じゃあ、今日はこれで」
伝票やシフト表をまとめて店長に返却して、店を出た。
なんとなく、まだ郁美に見られているような気がしてしまう。
杏奈と年も近く、子どもが1人いる母親というところも似ているからか、うっかりすると敬遠しそうになる。
立場上、そんなことではいけないのだが。
その点、京香は若いからか素直でいい子だし、俺みたいな男に憧れを持っていると言ったから、親しみを感じた。
駐車場まで来た時、名前を呼ばれて振り返ったら京香が追いかけてきてきた。
「あの、これ、忘れ物です」
その手にあったのは、俺の名刺入れだった。
さっきポケットの中身を出したから、そのままテーブルに置き忘れていたらしい。
「ありがとう、助かるよ」
「どういたしまして。あの、一枚もらっておきましたので」
そう言うとまるでマジシャンのトランプのように一枚、指先でひらひらとしてみせた。
「あー、別にかまわないよ、仕事で使うものだから」
「これって、用事があったらかけてもいい番号ですか?」
名刺の電話番号を指差している。
「いいけど?シフトの要望なら店長じゃないと、俺には権限はないよ」
「違いますよ、もっと個人的なことです」
「ん?個人的な?」
「別に気にしないでください。じゃ、お疲れ様でした」
ペコリを頭を下げてまた店内に戻って行った。
_____個人的なこと?それはもしかして?
甘い妄想が頭に浮かんだ。
◇◇◇◇◇
が、しかし。
妄想は妄想で終わったようで、京香からはなんの連絡もなく時間は過ぎた。
今日は佐々木の結婚式だ。
罠にハマった男の、新たな旅立ちと罠を仕掛けた女のハレの舞台だ。