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金曜日――。

例によって織田おりた課長に思いっ切りこき使われて、ヘトヘトのヘロヘロ。


そう言えば今日はランチもまともに食べられなかったなぁ。


唯一口にしたのは、朝、出勤途中で会社近くにある赤い屋根がトレードマークのカフェで買った、カフェラテ一杯だけだ。


全国チェーンまではいかないまでも、県内に幾つかの支店を出す、美味しい珈琲と軽食が売りのお店。

大通りに面していて、駐車場も広くて立ち寄りやすいからかな。いつ行ってもお客さんで賑わっている。


「お腹すいた……」


定時の17時を過ぎること約3時間。

いつもなら18時までには帰れるところ、今日は週末だからかな?

20時前になってやっと解放されて。

ようやく帰宅のにつける!と思った私は、帰りに何か買って家で食べよう、とお腹の虫をなだめに掛かる。


土日はお休みだし、少しアルコールを飲むのも悪くないかも?と腑抜ふぬけた状態であれこれ考えを巡らせながらエレベーターホールへ向かった。


たった3階分の距離を階段で降りるのも億劫おっくうになってしまうぐらいの倦怠感に、我ながら驚く。

大学を卒業して、社会に出てほんの数日。

厳密に言うとたったの5日。

なのに心身の疲弊具合はぶっ続けで10日以上砂漠を走り切ったぐらいの惨憺さんたんたる有様で。


初めてやってくる週末に気が抜けてしまったのかしら。

後ちょっと――。せめてアパートに帰り着くまではしっかり気を張っていないと、ふらりと倒れてしまいそう。



手にしたカバンの中で、携帯がブーブーとバイブ音を立てているけれど、それを取り出すのも億劫で。

ごめんなさい、あとでちゃんと折り返します。


「つかれた……。なんか食べたい……」


やって来た箱内に誰もいなかったのをいいことに、溜め息混じりにそう吐き出して、壁に背中を預ける。


と、ドアが閉まり切る直前にヌッ!と隙間に大きな手が差し入れられて。


「きゅぁっ」


完全にだらけモードで無防備になっていたところへの思わぬ奇襲に、カエルがつぶれたみたいな、はたまたRPGなどの回復魔法みたいな、恥ずかしい悲鳴が漏れた。



「開ボタンくらい押してくれてもいいのに……」


心臓バクバクでそんなゆとりなんてなかったけれど、言われてみればその通り。


挟まれた手に、安全装置が働いて再度口を開けた扉から箱内なかに入ってくるなり、手の主から非難がましい声で溜め息をつかれて、ほんの少し申し訳ない気持ちになる。


「す、すみません」


謝りはしたものの、もしも私、操作パネルに手を伸ばしていたら、間違いなく「閉」の方を連打しまくっていた自信があります!


だって手が差し込まれた瞬間、何かホラーチックで本ッ当にっ! 怖かったんですもの!


なんて思ったけれど、口に出すわけにはいかない。


何故なら乗り込んできた相手が、一応直属の上司だったから。

歯向かうなんて、滅相もございません。


***


「お、お疲れ様です……。織田おりた課長も今日はもう帰られるんですか?」


一緒になるなんて珍しいなって思ってから、「あ、今日はいつもより遅いんだった」と思い至る。


「もう20時はちじですもんね。いくら織田おりた課長でも帰られますよね」


あはは、と乾いた声で笑いながらそう言ったら、「いや、まだ帰るつもりはなかったんだけどね、キミに渡すものがあるのを思い出して追いかけてきました」

とか。


確かに、見ればいつも通りの作業服姿に、何の荷物も持っておられない。

さすがに車で行き来しているにしても財布のひとつぐらいは手荷物であるだろうし、何より私、織田課長が黒いリュックサックを背負って通勤しているの、見かけたことある。


となると、今しがた彼が口走った私を追いかけてきた云々うんぬんは、紛れもなく真実なんだと思う。



「な、な、な、何の御用でしょうっ!?」


そう実感した途端、思わず声がどもってしまった。


「ま、さかっ、持ち帰りのお仕事とかじゃ……ない、です、よね?」


ないとは言い切れない怖さが、この人にはある。


見た目と美声以外の〝良いところ〟を、神様はこの人から全て剥奪はくだつしてしまったんじゃないかと思うぐらいの暴君ぶりを、私はこの数日でみっちり身体に叩き込まれている。


今日だって、笑顔で「これもお願いしますね。あとはこれも」と次々に仕事の山を積み上げられたことを思い出して、半ば条件反射でビクビクしてしまう。


けれど、私の心配をよそに、織田おりた課長は「僕もそこまで鬼じゃないつもりなんですけどね」とクスッと笑って。


いやいや十分鬼ですよ!?と思う反面、不覚にもその笑顔にキュン、としてしまう。


ダメダメ、春凪はな! この人の笑顔コレに騙されたら、ろくな目に遭わないっ。


そのことはこの5日間で嫌と言うほど思い知ったはずなのに。


どうしても好みの顔というのは、私の判断能力をちょいちょい狂わせて困ります。


今日も結局くだんのキラースマイルのせいで、「かしこまりました。お任せくださいっ!」とか無意識で嬉しげに返してしまって。結果、この時間まで残業する羽目になったのだ。


きっとこの人は「すみません、難しいです」と言えば、無理に仕事を押し付けたりはしないと思う。

思うのに、織田おりた課長に失望されたくなくて、自ら望んで押しつけられにいっている気さえするのは、気のせいじゃないと思う。


私、自覚はないけれど、ひょっとするとM気質なのかしら。


「じゃ、じゃあ、何……です、か?」


気持ちを切り替えるようにそう言ったところで、エレベーターが1階に着いて、一瞬だけふわっとした浮遊感がしてから扉が開く。


まだ話が終わっていないけど、降りてもいいのかな?

そう思って迷っていたら「降りないんですか?」とうながされた。


「お、降りますっ」


ソワソワしながら箱を降りると、織田おりた課長も当然のように降りていらして。



私、あとはポツポツと街灯に照らされた道を、会社が用意してくれている駐車場まで5分ぐらい歩くだけ。


まだ帰るつもりはないと言った織田おりた課長なのに、一体どこまでついていらっしゃる気なのかしら?

帰宅予定じゃないのなら、離れた駐車場まで来ていただくのは申し訳ない。


植え込みの横を歩き始めた私の背後を、当然のようについて来る織田おりた課長に、私はどうにも落ち着かない心持ちになる。


さっきの用事がまだ明かされていないし、緊張の余りそれが切り出されるのを待たずに歩き始めてしまったのがいけなかったのかな。


「あ、あの……織田おりた課長」


仕方なく立ち止まって作業服姿の彼を見上げたら、「車まで見送って、そこで話すことにします。もう暗いし人気ひとけもないですからね。女性を1人で歩かせるのは危ないでしょう?」とか。


こんなに暗くなるまで残業させてしまったことに、少なからず罪悪感を覚えておられるのかしら?


そうは思ったものの、仕事が終わったのに織田おりた課長と一緒とかすごく緊張しますし、できれば私、今すぐお話をうかがってひとりになりたいのですっ。


「あ、えっと、わ、私、ひとりでも全然大丈夫なのでっ。よ、用件だけここで」


ソワソワと織田おりた課長を見上げなから何とか角が立たない言葉を模索してしどろもどにそう言ったら、「本当に大丈夫だと思ってるとしたら、キミは大馬鹿者だね」って言われて。


大馬鹿者とかさすがに暴言ですよねっ?


仕事時間も過ぎているし、こんなことを言われて我慢する必要ないんじゃ?と思ってしまった。

それで、「ひどいです!」と力強く反論してキッと睨んだら、いきなり腕を掴まれた。


「ちょっ、な――」

……んのつもりですか!?


言おうと思うのに、突然ぐいっと引き寄せられて、すぐそこの木に押し付けられて――。


そのまま木と腕とに閉じ込めるようにされて間近で見下ろされたら、不覚にも余りのかっこよさにドキドキして動けなくなってしまった。


言おうと思った言葉も中途半端に止められて、口が虚しくパクパクと動く。


悔しいけど……やっぱり織田おりた課長、本当にすごくいい男! 好み過ぎて困っちゃう!


「あ、あのっ」


それでもそのままかがみ込むように顔を近付けてこられては、さすがにヤバイと自覚する。


「お、りた……かちょっ、悪い冗談、はっ」


握られて押さえ付けられたままの手を必死に取り戻そうともがいてみたけれど、びくともしなくて。


と、覗き込むようにして近づけられた唇が、今にもブラウスから覗く首筋に触れてしまう!という距離になって、織田おりた課長の動きがピタリと止まった。


「ほら、ね? キミは僕がちょっとその気になっただけでこんな風に簡単に自由を奪われてしまうんです。僕が暴漢や強姦魔だったらどうなってたでしょうね?」


言われて、「なっ!」んてこと言うんですか!?と反論したいのに出来なくて、またしても口がいたずらに開閉するばかり。


「もう異性の前では服を脱がないんじゃなかったですか? 若い身空みそらでそんなの。もったいなくて僕は賛成しかねますけど。でも、覚えておいた方がいいですよ? 自分の意思とは関係なく脱がされてしまう場合があるかもしれないってこと」


ここに至っても未だ私は織田おりた課長に腕を掴まれたまま。

でも、その腕に抱かれていなかっただけセーフかもしれない。

だってそんなことになっていたら、このうるさいぐらいの鼓動、バレてしまうに違いないもの。


「わ、わか、ったので……も、離してくださっ」


超絶好みの顔なんですっ!

触れられて心臓壊れそうなんですけど、察して頂けませんかね!?


心の中、口には出来ないあれやこれやを付け加えつつ、涙目で見上げて離して欲しいと訴えたけれど、何故かクスッと笑われてしまった。


「そんな潤んだ目で男を見上げてくるとか。誘ってるようにしか見えませんね、って言ったら……キミはどうしますか?」

とか。


そんなわけないでしょう!


「せ、セクハラで訴えますよ!?」


さすがに悪ふざけが過ぎると思います。


キッと織田おりた課長を睨む目に力を込めたら、「それは困りますね」とさして困った風もなく返ってきて。


だったら早く手を、と掴まれたままの腕にギュッと力を込めてみたけれど、離してもらえない。


「あのっ!」


そんなに力を入れられているようには思えないのに、いっかな振り解けそうにないのが悔しくて。


さっき織田おりた課長から言われた、「僕がちょっとその気になっただけで〜」という言葉が頭の中をぐるぐる回って、情けなさに涙が滲む。


せめてもの抵抗で掴まれた手にもう一方の手をかけて引き剥がしにかかってみたけれど、そんな私に動じた様子もなく、織田おりた課長が続けるの。


「本当は駐車場で出すつもりだったんですが、やむを得ませんね」


はぁっと溜め息混じりにそう告げて、作業服の胸ポケットから何かを取り出すと、手を抜き取ろうと必死な私の前でヒラヒラと散らつかせる。


「――?」


寸の、手を取り戻すのも忘れてそれを見つめたら、どうやら白色の小さな封筒に入れられた、どこかのギフトカードのようで。


「ねぇ、柴田しばた春凪はなさん。で僕に買収されませんか?」


言われて再度目を凝らせば、目の前で揺れる封筒には私が毎日のように利用する、赤い屋根がトレードマークのお気に入りカフェ『Red Roof』(考えたらそのままの名前だね)のロゴが入っていた。


「コーヒーはもちろん、あのお店の商品にならば何にでも使えるギフトカードです。会社ここからも割と近いので、キミもよく利用していますよね? ――そういえば今朝も」


ぐっ。

よくご存知ですねっ。


私、そこのカフェラテが大好きで、朝、出勤途中で買って来たり、お昼休みなんかにランチを調達しに行ったついでに買って帰ったりしてる。


今朝も会社に来てから始業時間までの、デスクでの朝の一杯はここのだった。


それっきり何も口にできなかったのは誤算だけど。


私のことなんて興味ないと思っていたのに、見られていたんだと思うとぶわりと顔が熱くなった。



「先日知人からもらったんですけど、僕は柴田さんほどあのカフェを利用していないので」


スッとカード大の封筒を差し出されて、私は受け取るべきか否か戸惑って。


「でも……」


つぶやいたきり手を出すのを躊躇ためらう私に、


「1週間、僕のにしっかりついてきたご褒美です。今まで同じように仕事を頼んでみて、逃げ出さなかったアシスタントは老若男女ろうにゃくなんにょ問わずキミが初めてです」


にっこり微笑まれて、手を離されないままにカードを手にした方の手で頭を撫でられる。


「特にキミには期待していましたので、ついいつも以上にスパルタになりました」


伸ばされた作業服の袖口そでぐちからふわりと香ったマリン系の芳香にドキッとして、私、織田おりた課長からの不穏な言葉を聞き逃してしまった。


仕事中にも、ふとした時にこの匂いが漂ってきてはソワソワさせられていたけれど、今日は手を握られていることもあって一層その思いが強まる。


間近に迫る織田おりた課長の顔、薄暗がりであまり見えなくてよかった。

これが明るいところだったりしたら、私、舞い上がり過ぎて気絶していたかもしれないもの。



それにしても。

無理難題をふっかけている自覚はおありだったんですね。

私が新人で出来ることが少ないから、仕事が遅くてしんどいんだとばかり思っていました!



「私を……試していらしたんですか?」


恐る恐る問いかけたら「はい、少し。、ね」と意味深な発言をされて。


「えっ? どういう――」


意味ですか?と聞こうとしたら、まるでそれをさまたげるみたいに、「ところであのカフェのモーニング、食べたことありますか?」と急に話題を変えられた。


「い、いえっ、まだ」


朝食は大抵家で摂ってくるから。ランチは食べたことがあるけれど、モーニングは気になりつつも食べたことがない。


「11時までなら頼めるみたいですし、ちょうど明日はお休みです。せっかくですし、を使って食べに行ってみられたらいかがですか?」


その声とともに、私は掴まれたままだった手首を裏返されて、例のギフトカードを握らされた。



「あ、あのっ」


急いでそれをお返ししようとしたら、「僕は一度さしあげたものを取り戻す趣味はありませんので」と突っぱねられて。


「でもっ!」


困ります、とゴニョゴニョなりながら告げたら、


「さっき言ったでしょう? 僕はそれで先程の無礼を水に流してもらいたいんです。逆に受け取ってもらえないと、こちらが困ります」


そこで初めて手をほどかれて、まるで降参しています、と言う風に両手を小さく挙げられてしまった。


何、その計算し尽くした仕草。


かっこいい人が可愛いことするとかズルくないですか?



「わ、分かりました。じゃあ、お言葉に甘えて」


その仕草に不覚にもキュンとさせられて、私はギフトカードを受け取ってしまっていた。



額面も確認しないままに。

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