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「とにかく! 結婚なんてしないから!」
私の怒りの否定に対して、腹立たしいことにお父さんは私を、上から申しつけてきた。今まで、そんな言い方なんてしたことがないのに。
「優香。落ち着きなさい。蘆屋《あしや》会長の何が不満なんだ」
「何がって、少ししか話したことがないし、顔もさっき初めて見たんだから!」
「まぁまぁ優香ったら、照れちゃって」
お母さんまで、嫌な感じで被せてくる。
「何で二人とも、私を結婚させたがるのよ!」
意味が分からない。私の話を聞こうとしない。
「お姉ちゃんがなおひこと結婚するのは、いいと思う。でも、このおうちに住むのは嫌。おかあさんもおとうさんも、嫌」
膝の上のユカが、自分の体をぎゅっとして縮こまってしまった。
もしかすると、ユカに酷いことをした両親と重ねているのかもしれない。
「ユカ、うちの親は、ユカに酷いことなんてしないよ? 優しいよ?」
「嫌。ぜったいに嫌」
強く首を振り、頑なに拒否の姿勢を取る様は、理屈ではない嫌悪があるらしいというのが伝わった。
「そっか……じゃあ、このおうちは、やめとこうか。ね?」
「……うん」
「それじゃあ、尚更だぞ優香。蘆屋会長のお世話になるなら、覚悟を決めなさい」
「いや、それはどういう理屈なのよ」
お父さんは、どうあっても結婚させたいのかと思うくらいに、強引だ。
いくら会社同士で取引があるからって、娘をダシに使うようなこと、絶対にしないはずなのに。しかも、振られたりしたら目も当てられないし、勝手に振られたみたいになるし。
「優香、ちょっと席を外して二人で話したい」
私がお父さんを睨んでいると、なおひこが耳打ちをした。
「……なに? いいけど」
さっきからこの人も、スマイルで表情を固めたままで煮え切らない。ハッキリ事情説明とかしてくれてもいいのに。そう思って少し、苛立ったままの声で返した。
「怒らないで。そこの廊下でいいから」
言われるままに廊下に出ると、また耳打ちをしてきた。
「たぶん、ユカが無意識に魅了を使っている。僕と君との、三人で過ごしたいみたいだね。結婚の話は適当に流して、うちの別荘に移ろう。あまり長く魅了に晒すと、そのまま刷り込まれかねない」
「ちょ……。わ、わかった」
そう言われると、全てが納得のいく流れだった。テーブルに着いた辺りから……いや、なおひこが名刺を渡した辺りから、変だったから。
そしてリビングに戻ると、私から二人に、しばらく家を離れると伝えた。
なおひこは、それをフォローするように両親に別荘の住所を教えて、心配ならいつでも来て下さいと言ってくれていた。
ユカは……まるで自覚がないようで、親の居ないところに行くよと伝えると、心底ホッとした顔をしていた。
**
なおひこの別荘にはタクシーで向かい、そこで私にも名刺をくれた。別にいらなかったけど、『蘆屋直彦』の文字を見てようやく、漢字が分かった。
……あまり、国語は得意じゃないから。というか、得意な教科なんて無かったけれど。
「なおひこのおうちには、おかあさんとか、おとうさんは、いない?」
「ああ、居ないよ。だから安心して暮らせるよ」
ユカはよっぽど、親というものが嫌いなんだろう。
その気持ちを汲んでいる直彦が、優しく対応してくれていた。彼は、私よりもユカをよく理解している気がする。
「わぁ、よかった。それで、なおひこはお姉ちゃんと結婚する? わタし、お姉ちゃんのおっぱいがのみたいから」
「ちょっと、ユカ? まだその話するの?」
あの時私の胸を吸って、それで終わったと思っていたのに。
「ハハハ。別に結婚しなくても、おっぱいは出るようになる――」
「――直彦っ! 子どもに何言おうとしてんのよ! 馬鹿なの?」
「ええっ! お姉ちゃん、やっぱりおっぱい出るの? ねぇ、もう出る? いつ出る?」
「どうしてそんなに飲みたいのよ。ミルクなら牛乳でいいじゃない!」
「だって。やさしそうにあげてるの、見たことあるから。わタし、やさしくされてのみたいから」
そう言われて、また胸の奥がキュンとなった。
でもこれは、痛みが伴うそれだった。
そういう、見て憧れたものにしか、縋れる優しさを知らないということだから。
「……おっぱいは出ないけど、いつでもおっぱい吸ってもいいよ。あ、でも、人が見てないところでね。それでもいい?」
「うーん…………。うん。いいよ。でも、いつか出るといいな。やっぱり、のんでみたいから」
「フフ。分かった。出るようになったら、ちゃんとユカに飲ませてあげる」
「やったぁ!」
見た目は、大人顔負けの綺麗な容姿なのに。中身は本当に、幼い子どもだ。
――ふと視線を感じてルームミラーを見ると、運転手のおじさんが涙を流していた。
「えっ」
「あっ、いやあ、すみません。どうしても聞こえてしまうもので。ですがその子……きっと不憫な思いをされたんでしょうなぁ。そう思うと、つい、ねぇ。世知辛い話も、沢山耳にするもんですから勝手に色々と、想像してしまいまして」
涙声でそう言った運転手のおじさんは「大変失礼しました」と、それっきり何も話さなかった。
**
なおひこの別荘は、規格外過ぎて声にならなかった。
「わ~。おっきい壁だねぇ。なおひこのおうちは、この中?」
確かに、これは塀ではなくて、壁だ。城壁みたいな。
「ハハハ。まぁ、入ろうか」
一人がやっと入れる大きさの鉄の扉を、直彦が何かの認証をパスさせて入ると、もう一つ規格外の庭園が現れた。
まるでどこかヨーロッパの国の、お城の周りにある庭園だ。
「ひろ~い!」
その脇というか、庭の一画に体育館もある。巨大な倉庫かもしれないけれど。
「家はね、徒歩だと面倒だから、ちょっと車に乗って行こう」
広いお庭に、龍のシロを呼び出そうとしていたらしいユカを、どう気付いたのか直彦は「呼んじゃダメだよ」と諭してから車に向かった。鉄の扉を抜けて右手の方に、数台止まっていた。
直彦が家と言ったそれは、もちろん完全にお屋敷で、五階か六階建てくらいの、縦にも横にも広い大豪邸だった。
「これ、別荘なんだ……」
やっと声に出たのは、それだった。
「まぁね。休みの日はよく使っているよ」
この人、迷宮に住んでるっぽいことを言っていたけど、どのくらい使っているんだろうか。
ユカは広いとか大きいとかが好きらしく、終始はしゃいでいる。車を降りた玄関先でさえ、あっちを見たりこっちを見たり、つないでいる私の手を引っ張りながら、楽しそうに。
「ここに住んでもいいの? お菓子、たべれる?」
「ハハハ。きちんとゴハンを食べた後ならね」
その「ゴハン」という言葉に反応したのは、どうやら私だけらしかった。ユカは何も気に留めずに、「ゴハンはなに?」と聞き返している。
大きな観音開きの玄関扉からして、豪華な装飾が施されていて、私はこちらにも気圧されているけれど。
入ると、広いエントランスがさらにプレッシャーと、場違い感を煽ってくる。三階分くらいは吹き抜けで、かなりの解放感があるにもかかわらず、それらが全て威圧に感じてしまう。
奥にある幅広の階段も、左右に伸びる広めの通路も、どこの高級ホテルだろうかという造りだし。何なら右横手に受付けカウンターらしきものまである。
「優香、楽にしてくれ。慣れればこれも、心地良くなるさ」
……庶民にはなかなか、難しいと思うけど。
数秒が何十秒かに感じて、圧倒されていると直彦が「源三《げんぞう》さーん」と呼んだ。
すると、受付けカウンターの奥の扉から、ガッシリとした白髪の紳士が出て来た。当然、高級そうなスーツをビシッと着こなしている。
「ここは……お城か何か?」
「ハハハハ。優香は面白いな。源三さん、三人分の食事を用意してもらってもいい?」
「直彦様。その前に湯に入ってきてください。そちらのお嬢様方にもご用意してございます」
かなりのイケボに、若干のしゃがれた感じがさらに良い味を出している。まさしく執事長といった品格で、圧強めに入浴を勧めてくるとかもう、理想的過ぎて一瞬でファンになった。鋭い目つきの強面、整えられた白い口髭というのも、私好みの紳士像そのままだし。
「じゃ、この二人には三人ほど付けてあげてよ。勝手が分からないだろうから」
「もちろんでございます」
源三さんの返事と共に、本当に後ろから、三人の綺麗な、もしくは可愛いメイドさんが出て来た。
「なにこれなにこれなにこれ」
意味が分からなくて、パニックだ。本当にこんな生活してる人が、いるんだ。それでもって、このメイドさんたちにお世話されてしまうなんて……。
「優香、落ち着いて。任せておけばいいから」
お風呂ひとつで、意識が遠のいたのは初めてだった。
大浴場みたいなところに、あれよあれよとメイドさんたちに脱がされて入って、気が付いたら全身を優しく洗われて、髪も丁寧に洗ってもらって、キャッキャ言ってるユカの声を聞きながら浅くて広い湯船に浸かって……。
気が付いたら広い食堂の、長テーブルの角席に座っていた。左にはユカが。
夢見心地という言葉があるけれど、やっぱりこれは夢なのかな~と、そういう感じでホワホワとしている。
「お姉ちゃん、食べないの?」
左隣から、何かを頬張っているだろう声で聞かれて、ハッとした。ようやく目が覚めたような、起きているはずなのに奇妙な感覚だ。
「あ、うん。食べる。いただきます」
とは言ったものの……スプーンにナイフにフォークが、ワケわかんない感じに並べられていて、どれを使うのか分からない。
「優香様。オードブルを召し上がるならこちらを。でも、気にされずに食事をお楽しみいただくのが一番でございますよ」
そのメイドさんは本当にさりげなく、そっと横に来てくれて、優しく教えてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「都度、ご案内申し上げてもよろしいですか?」
「お願いします」
ユカを見ると、前菜ではなくてスープのお皿が下げられて、魚料理が運ばれてきていた。左手にはかじったであろうパンを握りしめている。すでにそれなりに、食べ進めているらしい。
無邪気に「おいしい!」と、楽しく食べている横姿を見て、私は嬉しくなった。そしたら急に、緊張よりも空腹が前に出てきて、教えてもらったフォークとナイフで前菜をひと口、口に運んだ。白身魚の切り身と、色とりどりの葉物のマリネで、オリーブオイルの香りと光沢が食欲をさらにそそる一品。
「おいひぃ」
最適な少量をまぶしてあったのだろう、胡椒の刺激が次のひと口を誘う。
「お姉ちゃん、おいしいね!」
「うん、おいしいねぇ」
こんなに平和で優雅で、幸せな時間をユカと共有できるなんて、想像もしなかった。
迷宮内や家に強盗が入った時のような、異質な殺気を放つ姿こそが、幻だったんじゃないかと思うくらいに。
「直彦様! あなたはもう少し落ち着いて食べてください!」
その声は、さっきからチラチラと視界に映っていた、モリモリ食べている正面の人に向けられていた。
「今日くらいいいじゃないか。ちまちま食べていられないよ」
「そう言って、いつもそんなじゃないですか。そのうち本当に、お作法忘れてしまわれますよ?」
「ハハハ。大丈夫大丈夫。その都度君が教えてくれ」
よっぽどお腹が減っていたのか、直彦はその完璧に整った顔からは想像もつかないくらい、豪快に食事をしていた。
直彦の周りには、すでにお肉料理が何皿も用意されていて、そしてそれらはどんどん彼の口に吸い込まれていく。お皿を下げては出すを、メイドさんが呆れた顔で繰り返している。
「もっとよく噛んでください。ほとんど丸呑みじゃないですか」
「それよりワインをいれてくれよ。意地悪してるの分かってるんだからな」
なんだか、ここに来るまでの直彦とイメージが……。
「イジワルじゃありません。もし、万が一、酔っぱらったからと言ってこちらのお嬢様に手を出したりしたら……ちゃんと責任取ってもらいますからね」
――どんな最低男だよ。
「そんなことしないって」
「優香様。直彦様は普段は完璧なのですが……酔うと最低のクズで女癖が悪いですから。お気をつけください。もちろん我々もしっかり見張りますけれど」
私に付いてくれているメイドさんが、直彦にも聞こえるように言った。
メイドさんたちは、本当にゴミを見るような目で直彦を見ている。だけど当の本人は、全く意に介していない。
「それ、本性はそういうことだってことでしょ……直彦ってクズなんだ」
私のこの言葉にも、一切動じていないのはすごいけど。
「誤解だって! 一回たまたま、誘われて部屋に行ったらトラップだったんだって!」
「へぇ~」
仮にハニトラだったとしても、誘われたら行ってしまう男ではあるらしい。
「信じてないな? ほんとに、ほんとなんだって。カメラつけておけば良かったよ」
「誰が客室にカメラなんて付けるんですか。出来ませんよそんなこと」
直彦が何を言っても、メイドさんは全くとりあう気はない。よっぽど酷いことをしたのか、よっぽど上手くハメられたのか、それは分からないけれど。
「まあ、今日でその本性が分かるわよね。私もユカも大丈夫だから、飲んでもらってもいいですよ」
たぶん、ユカと一緒に寝るだろうし、二人でかかれば直彦が強いと言っても……撃退できるだろう。
それに――責任を取ってくれるなら、万が一そういう関係になったとしても――それならそれで、ユカにおっぱいを飲ませてあげられるかもしれないし。
「……あれ?」
「お姉ちゃん、おにく、おいしい!」
「うんうん、おいしいねぇ」
あれ、私今……なんでそう思ったのかな。
とにかく、お料理が本当に美味しくて、甘辛く味付けされたお肉は、直彦が何皿も食べていたのが頷けるくらいだった。もしも私が大食い出来たなら、絶対におかわりをお願いしている。
お酒は未成年だから飲まなかったけど。直彦が欲しがるくらいだから、かなりの高級品だろう。少し舐めるくらいなら、頼んでみれば良かったかもしれない。
そうして豪華な食事を堪能した後は、一時間くらい、直彦の話をした。どうやら、直彦が会社を大きく出来たのは、迷宮で貴重な素材を集められたから、ということらしい。それを、個人ではなく会社として販売し、そのうち他の会社を買収したり提携したりと、あれよあれよと大きく出来たのだという。
迷宮に潜っている期間が長くなるので、早い頃から社長職は人に任せて、会長として時折、重要会議に参加するという形に収まったのだとか。
直彦はあまり話したがらなかったけれど、私が興味で聞いたら、しぶしぶと教えてくれた。
**
「優香。起きているか?」
スイートルームのような部屋に案内されて、ユカとひとしきりはしゃいだ後、クイーンサイズのベッドに二人並んで眠りについた。そしてそのまま、朝までぐっすりと眠る。はずだったのだけど……直彦がベッドサイドに立って、私を覗き込んでいた。
「ど、どうやって入ったのよ」
気配で起きたわけではなく、体を揺すられたから起きたのだ。
意外と慌てなかったのは、その声がとても穏やかだったから、かもしれない。
「……ここは、僕の家だからね」
「いや、まあ、そうだろうけどそういうことじゃな――」
口を塞がれてしまった。口で、ではなくて、手でだったけれど。
「ユカは眠ったままだ。少し外で話したい」
私はコクコクと頷いて、そっとベッドから降りて、静かに直彦と部屋から出た。
「何よ、一体」
「君、ユカの魅了に掛かりかけているよ?」
「え……でも、私も覚醒者だから、効かないだろうって言ったじゃない」
「あの子の願望が、それだけ強いんだろう。僕も油断すると、掛かってしまいそうになる」
「や、やめてよ。あんたとそういう関係になんか……」
――なんか、と言いながら、まんざらでもない気持ちが、かなり強いのが分かる。
助けてもらった時の恩もあるし、お金持ちだし、優しいし。しかもとびきりイケメンの金髪青眼王子様風だし。
この人を断る女性が居るだろうかという、最高の男性であることは間違いない。
「分かっている。でも、刷り込まれきったら、何の疑いもなく結婚まで話が進むだろう」
それで構わないけどな。と、心がざわつく。
ユカの魅了なんて、関係ないような気がする。
「どうしたらいいの?」
「ユカから離れるか、君と僕が、もっと強くなるか…………」
それで、この気持ちが変わらなかったら?
誰がどうやって、この想いが魅了のせいだと実証できるの?
「……私は別に、魅了なんて掛かってないと思うけど」
「優香。しっかりしろ。僕があの子を連れてきたのは、あの子を封じるか、倒すためなんだ。弱点を知りたい」
「は? そんな理由だったの? あの子の心の傷を、少しでも癒してあげたいからじゃないの?」
直彦がそんなに無情だったなんて。ユカが心の温もりを知れたら、人を襲わなくなるかもなのに。
「落ち着いてくれ。ユカの覚醒を、封じられればそれで済むんだ。殺すわけじゃない」
「さっき、倒すって言ったわ」
「それは、最悪の場合だ。でも今なら、君に油断している」
「酷い。私に気を許してくれてるのに、それを裏切るというの? 裏切れって言うの?」
「…………すまない。聞かなかったことにしてくれ。そんなことは、もうしないから」
「私……ユカは何も悪くないと思う。あの子を襲った奴が悪いのよ。私もユカに助けられた。私のお母さんも護ってくれた。悪人を殺しただけ。何も悪くないわ」
「優香。分かったから。落ち着いて。僕もそう思う。今日はもう寝よう。起こして悪かった」
何なの。こんな嫌な気分にさせるなんて。
でも……まぁ、私を心配してくれて、それでそう言っただけかもしれないわね。
「うん。直彦は、考え過ぎよ。三人で、楽しく過ごせたら……いいと思うし」
「ああ。そうだね。しばらくゆっくりと過ごそう。三人でね」
「うん。お世話になっちゃうけど、よろしくね、直彦」
――良かった。
直彦は、話せばちゃんと分かってくれる。
話し合いが出来る人じゃないと、仲良く過ごせないけど……彼なら話を聞いてくれるし、理解もしてくれる。
良い人で、よかった。