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終礼の挨拶が終わると同時に、教室内には解放感に満ちた喧騒が広がった。
私は手早くカバンに教科書を詰め込み、隣の席に視線をやった。
「……国見くん、部活行かないの? 金田一くん、先に行ったよ」
机に突っ伏したままの国見くんは、ピクリとも動かない。
返事がないのを「寝ている」と判断して、私は小さく息を吐いた。
「……お疲れさま。また明日ね」
そっと声をかけて、教室を抜け出し、昇降口へと向かう。
外は予報通りの雨だった。
アスファルトを叩く激しい音。私はカバンから折り畳み傘を取り出そうとして——。
「…………っ、」
背後から、制服の裾をグイ、と強く引かれた。
心臓が跳ね上がる。振り返ると、そこには眠そうな目を細めた国見くんが立っていた。
「……びっくりした、国見くん!? 起きてたの?」
「……うるさい。起きてた。……相川、どこ行くの」
「部活は? 練習始まる時間でしょ」
「……今日、休み」
「えっ、そうなの?」
「……嘘。サボり」
さらりと言ってのけた彼に、私は思わず絶句した。
あの真面目な金田一くんが置いていくはずがない。
いつも省エネな彼が、わざわざ面倒な「サボり」を選ぶなんて、何か変だ。
「ダメだよ、戻りなよ! 怒られるよ?」
「……やだ。あいつと買い物、行くんでしょ」
「あいつって……田中くん? 行かないよ、一人でノート買いに行くだけだって」
私の言葉を聞いた瞬間、国見くんの眉がわずかに動いた。
ほんの一瞬、安堵したような、でもまだ納得がいかないような、複雑な色。
「……。じゃあ、俺も行く」
「え、でも傘……国見くん持ってないでしょ」
「……持ってない。……入れて、柚」
不意に、名字ではなく「名前」で呼ばれた。
ドキリとして心臓がうるさくなる。
断る間もなく、私の手から傘が奪われた。
彼が傘を差したせいで、必然的に二人の距離はゼロになる。
濡れないようにと寄せられた肩。彼の制服から、微かに柔軟剤の清潔な匂いが漂ってくる。
「……近いってば。あと、急に名前で呼ぶのやめてよ」
「……離れたら濡れる。……それと、あいつが呼んでるのに、俺が呼んじゃダメなの?」
不機嫌そうに、でも少しだけ拗ねたような声。
顔が熱くなるのを隠したくて俯くと、頭上から「……ならいい」と、低くて心地いい声が降ってきた。
「……黙って隣にいて。外、寒いから」
そう言って彼は、空いた方の手で私のカバンの持ち手を軽く握った。
まるで、私がどこにも行かないように繋ぎ止めるみたいに。
雨の音に包まれた相合い傘の中。
肩が触れ合うほど近い距離に、私の心臓は文房具店に着くまでずっと、うるさい音を立てていた。
「……着いたよ。国見くん、濡れてない?」
「……別に。相川こそ、肩濡れてる」
彼はそう言って、無造作に私の肩を軽く払った。その指先がほんの一瞬触れただけで、また体温が上がる。
店内に逃げ込むように入り、お目当てのノート売り場へ向かう。
「えっと、B罫の……これかな。あ、あと消しゴムも新しいの買わなきゃ」
棚に手を伸ばそうとした時。
背後から、ふわりと彼の影が私を覆った。
「……それ、買わなくていい」
「え? でも、私のがないと困るし」
「……俺のが、ある」
国見くんはポケットから、第1話で私に渡した「自分の消しゴム」を取り出した。
「これ、まだ相川が持ってるでしょ。……返さなくていいから、それ使って」
「ええっ、でもこれ国見くんのでしょ? 自分の分なくなっちゃうよ」
「……いい。俺は新しいの買うから」
彼はそう言って、棚にある「新品の消しゴム」を手に取った。……それは、私がお気に入りで使っていたものと、全く同じメーカーの、色違いだった。
「……これ。お揃い」
「……っ、」
「……何、その顔。……嫌なの?」
彼は少しだけ視線を逸らし、気だるげに、でもどこか必死さを隠すように呟く。
「……あいつに借りたやつ、もう返して。……俺ので、上書きして」
田中くんに借りた「借り」を、彼はどうしても消したいらしい。
その真っ直ぐで不器用な独占欲に、胸の奥がキュッとなる。
「……わかった。じゃあ、これ使うね」
「……ん。……いい子」
満足げに目を細めた国見くんの手が、一瞬だけ私の頭に置かれた。
ポンポン、とぎこちなく叩くその感触。
レジに向かう彼の背中を見ながら、私は確信した。
この「静かな独占欲」に、私はもう、逃げ場を失いつつあるんだって。