コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
アメイギです!
ではどうぞ
耳鳴りがするほど静かな部屋に、からからという音だけが響く。右手に握るガラスの瓶はひんやりと手の温度を奪い、左手は手のひらに零れたいくつもの錠剤に温度を分けていた。棚にしまい込まれた全く同じ姿をしたいくつかの瓶が、正規の使われ方をして貰えないのかとため息を付いている感覚がする。いつものティーカップはまたかと呆れ返っているように見えた。中の紅茶は机の上の申し訳程度の淡いオレンジ色の光できらきら光を透かしている。
「はぁ…」
わたしの胃のあたりに渦巻くどうにも取れない黒ずんだものをどうにか誤魔化そうとため息を吐く。何も変わらないことを分かっていながら。さっさと楽になろうと手のひらの妙にぬるくなってしまった錠剤たちを口まで運びかけた。ようやく一息つける時間が来るはずだったのに、ドアのノックによって邪魔が入る。薬を瓶に戻して返事をするはずで、錠剤を瓶に入れさえしたらいつも通りに振る舞えるはずだった。ちゃんと頭の中で計画が立っていたのに。
「Hey、親父、夜遅くに悪い……」
返事をする隙を与えず、ノックから間髪空けずに扉が開く。零れた声が重なり合った。私は片手に瓶、片手に山ずみの錠剤を持ったまま、アメリカは片手に書類、片手は挨拶として手を上げたままお互い動かなくなる。彼の手にあるあの書類は彼が嫌だ嫌だとごねていた書類だろうか。そんなふうに冷静に分析してみたところで、1歩遅れた焦りや絶望感が濁流のように流れ込む。
「…なんだ、それ」
アメリカは上げたままだった手をそっと書類へ戻し、足音を潜めるようにゆっくりと私に歩を進める。彼の声は震えていた。私は彼の痛いくらいにまっすぐな瞳を見ていられなくなって目を逸らした。瓶を持つ手に冷や汗が滲む。
「…勘違いでもしてるんですか?ただ薬瓶を傾けたら沢山出てしまっただけですよ」
声が震えずに言えた自信が無い。こうは言ったものの、観察眼だけは鋭い彼に誤魔化せる気は到底しなかった。
「…なあ」
とうとう彼は私のすぐ側まで来てしまった。彼ら私の手のひらの錠剤を穴が開きそうなほど見つめる。あぁ、隠せない。隠しようがないといやでも分かった。その次、彼と目が合う。アメリカの瞳には薄い水の膜が張っていた。淡い光できらきら光る。奥にはまだ幼いあの頃の彼の面影が残っていて、ほんのりと不安と正義感が滲んでいるように見えた。
「…っだから、本当にちが__」
「分かってんだろ、ごまかせないこと。」
私が焦り絞り出した声は呆気なく彼のひたすらに真っ直ぐな言葉にかき消された。は、と息とも声ともつかないような音を吐き出し、かこんと音を立てて瓶を机に置く。手は冷や汗でベタついて気持ち悪かった。
「薬、置け。」
彼の有無を言わせないまっすぐで圧のある言葉に、大人しく机に錠剤を転がす。からからと放たれた錠剤が散らばる。薬瓶が錠剤を見下ろし、哀れんでいるようだった。
「薬は俺が預かるから。」
思わず声が漏れる。これがなくては、私はどう楽になればいいのか分からない。周りの仲良さげな声の喧騒から遠く離れ、宇宙に1人浮かぶような優しい時間が彼によってかき消されてなくなってしまう。そんな私を置いて、彼は机の錠剤を集めて瓶に戻して蓋をきつく閉める。それから分かりきったように私の棚を開け、過剰摂取するつもりで無かった薬さえも全て彼の手に収まってしまった。返してください、と彼へ宛てた言葉は思いのほか震えた声だった。
「なんで、」
「なんで薬なんかに…っ」
んですよ」
本当は、泣かないでと言いたかった。なのにどうにも天邪鬼な口は自分勝手にそんな言葉を並べていく。飲み込んで消化したことにするはずだった言葉があふれていってしまう。
「わたしが一体どんな罪を背負っているか、どんな目で見られているか、とか。世界のヒーローって崇められて、今が全盛期なあなたには世界一から落ちぶれたわたしの気持ちなんか分かるわけ無いですよね…!」
声がひどく震えていると思えば、ぐちゃぐちゃの感情が詰まったものがわたしの頬を勢いよく滑るのが分かった。ぐらぐら歪んでいる視界に、悲しそうに顔を歪めるアメリカが写る。ごめん、そんな顔しないで、そんな顔して欲しくない、と心の中でだけ何度も唱える。どうにも言葉にすることは出来なかった。
「お願いします、返して…少しだけでいいから、楽になりたいんです」
自分が犯した罪なのに、罪から少しでも逃れたくて薬を飲むなんて、なんて卑怯なんだろうか。分かっていながらもいつまでも辞められない自分がどうにも気持ち悪かった。
「…じゃあ」
「次飲む時は、俺の前で飲んで」
彼は少し黙ってからそう言った。なんかあった時すぐ助けられるから、と付け加えるように言う。彼の目もとは赤くなっていた。なんでそんなことを、と心の中で悪態をつく。次やる時は絶対にバレないようにしよう、と心の中でこっそり誓った。そう考えながらも、口では分かりましたと真面目な返答をする。早く終わらせて、薬の代わりに腕に罰を記したい。赦されなくても、自分のために。じゃあ、はい、と手を差し出す。私はてっきり薬は返してもらえるものだと思っていたのに、彼は目を丸くして首を傾げた。
「…?あ、薬?いやいや、返さない。どうせ飲む時は俺の前なんだし変わらないだろ?」
彼の手の中に収まった瓶はそこから動かない。彼は動かさないと宣言するように瓶を握る。渦巻く真っ黒な感情が顔に出ないように得意技の貼り付けた笑顔で抑え込んだ。そのあとで、私は腕時計に目を向ける。過去の躾のおかげで意図を汲み取ったのか、私の姿をみた彼も自分の腕時計に目をやった。
「あっ、じゃあ俺この書類終わらせないとだから、また!」
子供のときから変わらない、分かりやすいぎこちない愛想笑いを浮かべてから、慌ただしい足音をたてて私の部屋のドアをくぐる。その背中がたしかに見えなくなったのを確認してから、私は大きなため息をついた。
「…面倒なことになりましたね…」
独り言を呟いてから、机の端にある小さな紙切れとペンを取り出す。それから、私は買うものリストに新たなもの書き加えた。
いつもの薬、とペンを走らせる私の手は、自分でも驚くほど手馴れている。私の為に頬を濡らした彼の姿は、とっくに頭の外だった。