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庭でキャスリンが散歩をしている。時折日傘をくるくる回し花を眺めているようだ。久しぶりに彼女を見る。具合が良くなく寝込んでいると聞いていたが回復したんだな。ちゃんとキャスリンに謝って僕のことを話して普通の夫婦になりたい。僕達を煩わせる者はもういないんだ。
母上との記憶を多く占めるのは、寝台に腰掛け横になり僕へと語り続ける母の声と顔。乳母は幼い僕を少しでも母親と共に過ごした方が良いと度々母上の部屋に連れていった。部屋の中には母上と年老いたメイドだけ。乳母は時間が来たら迎えにくると言って僕を置いていった。それは母上が死ぬまで続く習慣の様になってしまった。寝台からは父上への呪いの言葉が紡がれる。婚約者だと顔合わせがありその日から顔が怖く無愛想な父上が好きにはなれなかったと話す。幼い僕にお伽噺を聞かせるように父上との結婚生活を語る。
ある日お姫様は恐ろしい怪物と結婚しなくてはなりませんでした。お父様に嫌だと頼んでも聞いてもらえず泣く泣く結婚したのです。怪物はお姫様が痛いと言っても閨を止めず、嫌だと言っても無理矢理お姫様を襲いました。子ができるまで何度も何度も襲いました。お姫様は怪物に似た子供など欲しくなかったけれどとうとうお姫様のお腹には怪物の子ができたのです。子ができると怪物はお姫様の所には来なくなりましたがお姫様はお腹に小さな怪物がいると毎日不安で泣きました。お腹が膨らみすごい痛みに襲われとうとう子供が生まれました。怪物にそっくりな小さな男の怪物でした。
このお伽噺を何度聞いたか、はじめはただのお伽噺と思いアンダルにも教えた。時が経つとお姫様がセシリスに怪物はハンクに変わって生まれた怪物はカイランになった。アンダルはさすがにおかしいと心配してくれた、でもただのお伽噺。幼い僕でも母上は頭がおかしいと理解していた。部屋にいた老いたメイドは、セシリス様はお心が弱いのです、忘れてくださいと僕に告げるが忘れることは無理な話だった。閨は痛いのにお父様は子が宿るまで止めてくれなかった。お祖父様に言っても無駄だった。お父様の顔は怖くて嫌い。楽しく話もできない。一緒にいてもつまらない。優しくない。貴方はお父様のようにはならないで。あんな怖い顔にならないで。あのお方はとても優しくて素敵なのにお父様は大きくて嫌だ。夜会でしかあのお方に会えないのにお父様は夜会が嫌いだから会えないと息子の僕に愚痴る。あのお方が王太子殿下に、それからドイル様になっていった。母上は陛下に恋をして諦めきれず父上を憎んだ。最期が近くなると僕も飽きてほとんど聞いてなかった。父上は貴族の義務を果たしていただけ。子が宿ると母上の元には通わなくなったのだから。普通は嫡男が亡くなると困ると男女どちらでもいいから子を作るが母上があんなに閨を嫌がったのだから父上も嫌になったのだろう。こんな女は嫌だと子供の僕でも理解していた。
キャスリンは母上のように弱くない。婚姻するにはちょうどいい家柄、会話をしていても我が儘は言わず傲慢な態度もない、顔見せの場でもしっかり僕を見て怖がる様子なんてなかった。学園でリリアンと出会い輝く金毛に大きな瞳、王子のアンダルにも親しく接しよく笑い甘え愛らしくて僕は恋に落ちたがリリアンはアンダルを愛した。それでよかった、僕にはキャスリンがいる。リリアンと親しくなどなれないしアンダルもリリアンに恋をしていた。それは僕が思っていたよりも真剣だった。婚約者がいるのにリリアンと閨を共にし衆人環視の中、愛を叫ぶ。頭がおかしくなったと思うほど異常な行動だった。リリアンを任せられても困ったが、不安そうに涙を溜め僕に縋る大きな瞳を放って置けず急いで御者にスノー邸まで行くよう命じた。あの時御者は僕に確認したんだ、いいのですかと。それを僕は早く出せと言い付けた。馬車の中でリリアンは僕の胸で泣きながらアンダルを呼び続けていた。送り届けて馬車に戻り初めてキャスリンを思い出した。急いで戻ったが片道半時、会場はすでに人はまばらで、僕の馬車を見た騎士が近寄り、キャスリンに馬車を用意したと告げた。その目は軽蔑に塗られていた。僕は御者に自ら報告すると言い含め、翌日ディーターへ謝罪に行ったがキャスリンは許すと言ってはくれなかった。それでも彼女は以前と同じように接してくれた。学園を卒業してからは家の仕事や領地の勉強をはじめて忙しくなりキャスリンの卒業まであまり会えなかった。それから少しずつ婚姻の日が迫ると悪夢を見るようになった。寝台に横たわる母上が閨は痛い、貴方は嫌い、怪物よ。そこで目が覚める。そこまでならよかった、母上がキャスリンに変わった。それが続き眠れなくなった。アンダルとトニーは僕の疲弊した姿に気付き心配してくれた。その時はじめてトニーに母上の話をして悪夢を見ると告げた。トニーは眠りの深くなる薬を裏で用意してくれ、それからは朝まで夢も見ずに眠れるようになったが婚姻式の後、夫婦の寝室へ向かう僕の足が震え、体が閨を拒否していた。母上の呪いが僕を蝕み、弱くしてしまった。なんとかこの場は乗りきろうとキャスリンには他に愛する人がいるから抱けないと伝え、子供は養子をとると言ってしまった。直ぐに後悔が襲ってきたが、翌日泣きもせず怒りもしない、いつもと変わらないキャスリンに安堵した。閨をしなくても夫婦になれる。キャスリンは体が小さいが僕は大きい。きっと痛いと泣かれる、嫌われる…それは僕にはとても耐えられない。共に生活するなかキャスリンは嫌な顔をすることもなく僕の妻を勤めていた。夜会の前、初めてキャスリンの寝室に入って眠った。キャスリンが子守唄を歌ってくれて優しく起こしてくれた。目を開けると空色の瞳が僕を見つめている、その目は僕を忌み嫌ってはいなかった。小さな顔に触れたいと手を伸ばしたけれど届かなかった。キャスリンと閨を共にしたいと思いはじめた。それなのに夜会での軽率な行動のせいでキャスリンを怒らせ、リリアンのせいで関係が悪化してしまった。それからは夕食も共にしていない。邸の中ですれ違いもしない。ただ庭にいるキャスリンを盗み見るだけ、これで夫婦と言えるのか、少しでも顔を見て会話をしたい。キャスリンが夕食を共にとってくれるようになった。会話はない、目も合わせてくれない、でも顔を見ることができた。それだけで気持ちが高ぶる。
初夜の日に正直に話していたら僕を理解してくれたろうか。母上の呪いが失くなるまで傍にいてくれたろうか。ゾルダークの後継がこんなに弱いことをキャスリンに知られたくないと思ってしまった僕は過ちを犯していたんだ。キャスリンは母上とは違うと早く気がつくべきだった。