次の日。目を覚ますとミアは、いつの間にか俺のベッドで寝ていた。
朝食を頂いた後、ネストに連れられアンカース家の屋敷へ戻ると、ただならぬ気配を感じ取る。
「セバス!」
どこからか急ぎ駆け寄ってきたセバスは、ネストに手紙のようなものを手渡した。
その表情は不安に溢れ、酷く頼りない。
「お嬢様。これを……」
さすがに手紙の内容を覗くことは憚れるので遠目に見ているのだが、ネストの表情にはあまり変化がなく、ものの数秒で読み終えた手紙を片手でつまむように持ち上げると、それをヒラヒラと泳がせた。
それだけで大事な物ではないことが窺えるが、その割にはセバスは至って真剣そのもの。
「バカバカしい。九条、気になるなら読んでみる?」
そう言って見せてくれた手紙には、『退位せよ』と殴り書きかと思うほど汚い字で書かれていただけ。
手紙とは名ばかりのいたずらのようにも見える。
「まあいつもの嫌がらせよ。こっちに来る分にはまだマシだわ」
セバスと違い、ネストは気にも留めていないといった様子。
所謂アンチの仕業といったところか……。華やかにも思える貴族という身分ではあるが、色々と闇が深そうである。
「九条は自由にしてていいわ。私はこれから王宮に用事があるから」
着替えるからと自分の部屋へと向かうネストを見送り、俺たちも借りている部屋で一息つく。
ミアは荷物の中からブラシを取り出し、昨日できなかったカガリのブラッシングを始めた。
俺はテーブルの上の水差しから水をカップに移し、それを一口。窓から外を見ていると、ネストが馬車に乗り込み屋敷を出て行く姿。
しばらくすると、弱々しくノックされた扉から小さな声が聞こえてきた。
「九条様。セバスでございます……」
「どうぞ」
セバスの表情は曇ったままで、以前ほどの覇気はない。何か言いたそうではあるが、こちらの顔色を窺っているかのように揺れる視線。
俺は一瞬にして悟った。これは、面倒臭いヤツであると。
元の世界でもそうだった。困ったような顔をして近づいて来る奴は、大半が詐欺まがいの話だ。
やれ壺を買えだ、やれ宗教の勧誘だ、やれ絶対に儲かる投資の話だと怪しい事この上ない。
実家が寺の俺に別の宗教を奨めてくる奴は、なにがしたいんだよと……。
……話がずれてしまったが、今のセバスの顔はそれである。
正直言うと話を聞くのもお断りしたいのだが、お世話になっている手前、断り辛いのも確かだ。
「少々、お時間よろしいでしょうか?」
「ダメだ」というのは簡単なのだが、それが出来たら苦労はしない。
「ええ。なにか?」
話は先程の嫌がらせに対しての事だった。
長いので要約すると、ネストを助けてやってほしいとのこと。
話によると、ネストの父親は現在、アンカース領内のノーピークスという町に滞在しており、王都を留守にしているという。
その理由は、ならず者たちから町を防衛するため軍を率いているからだ。
本来なら王宮へ出向くのは父親の役目だが、代わりにネストがその任を果たしている。
セバスは、そのならず者騒ぎも先程の手紙同様、嫌がらせの一環だと見ており――父親の不在を狙って人為的な失敗を誘い、責任をネストに押し付けようとしているのではないかと懸念していた。
「一ヵ月後に開催される王宮の|曝涼《ばくりょう》式典にて魔法書の返還を予定しております。その日までで結構ですので、どうかお嬢様を助けていただけませんでしょうか?」
勘弁してくれ――というのが、率直な答え。少なくとも一週間もすれば王都を出て行くつもり。
その時には、すでに冒険者を辞めているかもしれないのに……。
「何故、俺に? カッパーの冒険者が役に立つと思いますか?」
ギルドで渡されたプラチナプレートはまだポケットの中である。故にセバスは俺をカッパーだと思っているはずだ。
「理由は三つございます。一つはバイス様と共に魔法書の捜索を手伝ってくださった方だという事で、信用に足りると判断した為」
「……」
「……」
「え? 終わり? 残り二つは?」
「ぶふっ……」
吹き出してしまったのはミアである。
カガリのブラッシングをしていて、こちらの話なんて聞いてないと思っていたのだが、しっかりと聞き耳を立てていた。
三十秒ほど待っていたのだが、セバスはジッと俺を見つめているだけだったのだ。
「あっ、申し訳ない。どちらを先に言おうかと迷ってしまいまして……」
別にどっちだっていいだろ……。と、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「二つ目は九条様が貴族ではないからでございます。貴族の方であれば他の方の領地内で自由に動くことが出来ません。なので貴族ではない味方になりうる九条様が適任だと判断致しました」
言いたいことはわかる。可能性として、相手側の領地に赴くこともあるかもしれないということだろう。
とはいえ、やはりカッパーの実力で任せるには荷が重いとは考えないのか……。
「三つ目は九条様に底知れぬ力を感じたからでございます。私の勘違いで九条様に挑んでしまったにも関わらず、私を行動不能にして見せた……。カッパーとは思えぬ力量。感服した次第でございます」
「……」
「そして四つ目は……」
「うぉい! 三つって言ったよね? 四つ目あるの?」
さすがの俺もツッコまずにはいられなかった。
ミアはカガリのブラッシングも忘れてゲラゲラと笑い転げる始末。
調子の狂うおっさんである……。
「四つ目は、お嬢様から九条様がプラチナプレートだったと聞かされたので……」
「知ってんのかよ! なら三つ目いらんくない?」
ミアは笑いすぎて息が出来てなさそうだが大丈夫だろうか?
うずくまりながらもバシバシと床を叩いていて、それをジッと見つめるカガリは微動だにしない。
なんというか絵面がシュールだ……。
そんな状況にもかかわらず、セバスは眉一つ動かさなかった。
「申し訳ないですがセバスさん。俺には事情があり、一週間後にはこの街にはいないかもしれないんです」
「もちろん存じております。お嬢様から仰せつかりました。ギルドに圧力をかけよとのことでございますので全力でやらせていただきます。しかし、それとこれとは別です。私は個人的に九条様にお願いしております。もちろん報酬も出させていただきますので、ご検討のほど……」
「報酬を出すならギルドに頼めばいいじゃないか」
「それは出来かねます。周囲から認知される程度の実力をお持ちの冒険者様は、他の貴族の息がかかっている可能性がありますので……」
「なら……」
「わかっています。出来れば自分がお守りできれば良いのですが、私は屋敷を任される身。付いて回ることは出来ません。事情を知り、バイス様に次いで信用のおける九条様をおいて頼める者は他にはいないのです」
セバスはおもむろにテーブルの上に置いてあったハンドベルを手に取った。
「――それも全てはお嬢様のため……」
ガランガランと屋敷中に鳴り響くハンドベル。
商店街の抽選会で特賞でも当たったのかと思うほど豪快に鳴らす。
それを聞きつけメイドたちが部屋に駆け込んでくると、セバスを含めた全員が俺の前で土下座した。
「お願いです九条様! どうか! どうかお嬢様を助けてください!」
「「よろしくお願いしますッ!」」
「――ッ!?」
驚いたなんてもんじゃない。目の前で土下座されることなぞ人生で初めてのこと。頭の中は真っ白だ。
とにかく土下座を止めさせなければと、慌ててその手を取った。
「やめてください、セバスさん!」
「やめるわけにはまいりません! 九条様が受けて下さるまではッ!!」
セバスが本気でネストを心配しているのだということはよくわかった。
しかし、俺がこの街に連れてこられたのは、プレートが偽装されていた可能性があったからというだけである。
長年連れ添った仲間がピンチだと言うなら助けもするが、二人がそうかと言われると、そうじゃない。
元々はダンジョンに侵入してきた敵同士。魔法書の存在がきっかけで、少しの間利害が一致しただけ。
俺は正義の味方ではない。――しかし、恩知らずと思われるのも心外だ。
家に泊めてもらっている恩。ミアの事についても、二人がいなければ解決していなかっただろう。
『知恩報恩』それは恩を知り、恩に報いるという仏教由来の言葉。
受けた恩は返すのが筋。ならば、それに報いるだけの働きをするのも、また義というものだろう。
それこそが、人としての礼であり誇りでもある。
「わかりました。その話、お受けします。……なので頭を上げてください」
それを聞いたセバスは顔を上げ、ニヤリと不敵な笑みを浮かべたのであった。







