口は禍の元。うっかり余計なことを喋れば、取り返しのつかないことになる。けれども、時として無言でいるのは、状況を更に悪くする。
現在、ベルが置かれている状況は後者だ。
「もう一度聞くが、あんたは会ったことも見たこともない男と結婚できるのか?ちっとは悩んだりしないのか?」
唸るような口調と軍人特有の鋭い視線に耐え切れず、ベルはそっとレンブラントから目を逸らして口を開いた。
「……け、結婚なんて、所詮は契約。相手がどんな人かわからずに婚約するなんて……ざらにあることじゃないですか」
「ほう」
すかさず、ぞっとするような声が返ってきて、ベルは首がぐぎぎっと軋むほど捻った。
でも強い視線は、ベルを逃がしてはくれず、どこまでも追いかけてくる。
「ガキのくせに、いっぱしの口を利くじゃねえか」
「なっ」
嘲りを含んだ低い声は、ベルを憤らせるには十分なものだった。
ベルはこれが挑発だと気付かず、背けていた顔を元に戻し──びくりと、身体が震えた。
レンブラントは、静かに怒っていた。
黄色とオレンジ色の間のような瞳は、まるで刃物のように冴え冴えとしている。
「あんたはさぁ」
「……はい」
「男と女が結婚するっていうのが、どういうことか知っているのか?」
「知っていますよ、それくらい」
「じゃあ、言ってみろよ。男女が結婚したらどうなるのか」
顎でしゃくるように続きを促したレンブラントを、ベルはキッと睨み返した。
(なんなのよ、このおっさん。馬鹿にするのも大概にしてよね)
見た目は栄養不足のせいで幼く見えるかもしれないが、もう18だ。領地の危機を回避するため、単身で王都に乗り込めるくらいには成長している。
その自己評価が、それだけが、今のベルを支えている。
「結婚とは、新しい家庭を築き、社会的な立場や地位を確立することです」
「はっ」
100点満点だと思っていた答えだったのに、あろうことかレンブラントは鼻で笑いやがった。
しかも大仰に拍手まで追加する。完璧な煽り行為だ。
これ以上ない程屈辱を受けたベルは、文句の一つでも言おうとしたが、レンブラントの方が早かった。
「あんたは何にもわかっていない」
「わかっていますよ」
「いや。教会が無料配布している教本に出てくるような答えしか言えないようじゃ、まだまだガキだ」
「なっ」
我慢の限界を超えたベルは、思わず立ち上がってしまう。
でも、すぐに車輪が小石を蹴ったせいで馬車が大きく揺れ、ベルの身体はバランスを失い、ぐらりと傾いた。
それを予期していたのだろう。レンブラントは慌てることなく、無言でベルの腰に手を回すと、強い力で自分の方へと引き寄せた。
「なぁ……お嬢ちゃん、良く聞け」
成り行き上仕方なく、レンブラントの膝に着席したベルの耳に、そんな言葉が落とされる。
驚いて顔を上げれば、唇が触れそうな程近くに、レンブラントの顔があった。彼は今まで見たことも無い表情をしていた。
「結婚ってのは、男が女を好きなだけ抱けるってことなんだ」
「な……っ!?」
耳に注ぎこまれるように囁かれた言葉に、ベルは飛び上がらんばかりに驚いた。
いや、本当に飛び上がろうとした。
しかしレンブラントの腕は、がっちりとベルを捕まえている。苦しくはないが、逃れることはできない、そんな絶妙な力加減で。
この体勢では、レンブラントの囁きから、逃れることができない。
「つまりさぁ、あんたは」
「……ひぃ」
「知らない男とでもヤレる女ってことなのか?」
「……ち、ち」
──違う!絶対に嫌だ!!
そう叫ぼうと思った。
けれど、状況が状況だけにアワアワしてしまい、上手く言葉が出ない。
そんなベルを見たレンブラントは、ふーっと深く息を吐いて前髪をかき上げた。大きな手のひらがレンブラントの顔を隠す。
次に前髪が額に降りて来た時には、レンブラントは別人のようだった。
瞳は先ほどまで刃物のように尖っていたのに、今は違う意味で、危険な色に変わっていた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!