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ruruha
第八話【飛ばしの行き先】
黒いケースの中に並ぶスマートフォンは、すべて同じ機種だった。
新品に近い状態。
フィルムもついたままのものが多い。
電源は落ちている。
「……これ、全部使えるんですか」
北松誉が呟くと、相良が頷いた。
「おそらく。SIMが入っているかは確認が必要ですが」
「こんな数……何に使うんですか」
「“普通の用途”ではありません」
誉は黙り込む。
普通じゃない。
それはもう分かっている。
でも、どれくらい“普通じゃない”のかが分からないのが一番怖かった。
シオンが一つのスマホを手に取る。
「電源、入れる?」
「待ってください」と相良。
「不用意に触らないでください。位置情報や通信履歴が残る可能性があります」
「なるほど」
シオンはあっさり戻した。
「じゃあ見た目だけ」
「それも最低限で」
誉はケースを覗き込む。
同じ形、同じ色、同じ重さ。
それがずらっと並んでいる。
「……気持ち悪い」
「分かる」とシオン。
「なんか、“人の代わり”みたい」
「人の代わり?」
「だって、これ一台一台が誰かの連絡手段になるんでしょう」
「うん」
「じゃあ、人の数だけあるみたいなもんじゃないですか」
シオンは少しだけ目を細めた。
「北松、いいこと言うね」
「褒めてます?」
「うん。半分」
「また半分か……」
相良が低く言う。
「飛ばし携帯。匿名で使い捨てるための通信端末です。犯罪組織がよく使う」
誉は思わず顔を上げた。
「……組織?」
「可能性は高い。これだけの数を一度に管理するには、個人では難しい」
「じゃあ、高瀬って人は」
「個人ではない、どこかのラインに繋がっている」
誉の胃が重くなる。
ただのストーカーでも、バンドの揉め事でもなかった。
もっと広い、もっと見えないところで動いている何か。
「……俺、帰っていいですか」
「だめです」とシオン。
「まだ何もしてないのに」
「もう十分してる」
「したくてしたんじゃないです」
「でもやってる」
「やめてほしいその言い方」
詩織が不安そうにケースを見つめる。
「秋山、これを追ってたってこと?」
「可能性はある」と相良。
「ただし——」
相良はケースの中を見渡した。
「“もう空だ”と言っていた割には、残っている量が多い」
「たしかに」と誉。
「じゃあ、もっとあった?」
「ええ。大半はすでに運び出されていると考えるのが自然です」
「どこに」
「それをこれから探します」
誉はため息をつきそうになるのをこらえた。
「まだ続くんですね」
「ここがスタート地点かもしれません」
「地獄」
シオンがくすっと笑う。
「いいじゃん、やっと面白くなってきた」
「俺の人生をエンタメにしないでください」
倉庫の外では、すでに応援の警察官が数人来ていた。
ケースは証拠として運び出されることになり、周囲の確認も進められる。
その間、誉たちは少し離れた場所で待機していた。
朝の住宅街。
犬の散歩をする人。
ゴミ出しをする住人。
日常が普通に流れているのが、逆に現実感を失わせる。
「……ねえ」
詩織が小さく言う。
「秋山、なんでこんなことに関わったのかな」
誰もすぐには答えなかった。
シオンが壁にもたれて、空を見上げる。
「たぶん、最初はただの好奇心」
「好奇心?」
「うん。秋山、そういうやつだった。面白そうなこと見つけると首突っ込む」
「それ、あなたもじゃないですか」と誉。
「俺は引き際分かるタイプ」
「本当ですか?」
「半分」
「また半分か」
詩織が苦笑する。
「でも秋山は、引き際なかった」
シオンの声は少しだけ低くなった。
「だから、どんどん深いとこまで行った」
「で、戻れなくなった」と誉。
「そう」
詩織が目を伏せる。
「私、止められなかった」
「止めても止まらなかったと思うよ」とシオン。
「……そうかもしれないけど」
誉はそのやり取りを聞きながら、ふと考える。
秋山は“面白そうだから”でここまで来た。
シオンは“面倒だけど面白い”で動いている。
じゃあ自分は何なんだろう。
巻き込まれただけ。
でも、ただそれだけでここにいるのか。
「……北松?」
シオンの声で我に返る。
「何ぼーっとしてる」
「いや……」
誉は倉庫のほうを見た。
ケースが運び出されていく。
その光景を見ながら、胸の奥に小さな引っかかりが残っていた。
「……変なんです」
「何が」
「さっきのスマホ」
「うん」
「全部同じ機種だったじゃないですか」
「そうだね」
「それって、普通ですか?」
シオンが少し考える。
「まあ、まとめて仕入れたならあり得る」
「でも」
「でも?」
「全部“新品すぎる”気がして」
「新品でしょ」
「いや、そうじゃなくて……」
誉は言葉を探す。
「なんか、“使われてない”っていうより、“まだ使われてない”感じが強いというか」
「同じじゃない?」
「ニュアンスです!」
シオンは少し笑った。
「北松のニュアンス論、出た」
「真面目に聞いてください」
「聞いてるよ」
シオンは倉庫の中をもう一度見た。
「……たしかに、全部が“これから使う用”って感じだった」
「ですよね」
「つまり?」
「つまり……」
誉は一度言葉を区切る。
「まだ“大きい動き”が来る前だったんじゃないですか」
シオンの目が細くなる。
「準備段階」
「はい」
「で、秋山はそれに気づいた」
「だから“確認”してた」
「でも途中で潰された」
誉は自分の考えに、少しだけ寒気を覚えた。
「……じゃあ」
詩織が言う。
「これから何か起きるってこと?」
誰もすぐには否定できなかった。
その時、相良が戻ってきた。
「一通りの回収は終わりました」
「何か分かりましたか」と誉。
「いくつか」
相良はメモ帳を開く。
「まず、この倉庫は正式な契約ではなく、名義を偽装して借りられていた」
「やっぱり」とシオン。
「次に、近隣の防犯カメラを確認したところ、昨夜から今朝にかけて数回、大きめの車両が出入りしている」
「運び出し?」と誉。
「その可能性が高い」
「じゃあ本命はもう別の場所に」
「ええ」
誉は頭を抱えたくなる。
「じゃあここ来た意味……」
「あります」
相良ははっきり言った。
「“規模”が分かった」
「規模?」
「個人ではなく、複数人、もしくは組織単位で動いているという確証です」
それはたしかに大きい。
でも同時に、逃げ場がなくなる情報でもあった。
「あともう一つ」
相良は続ける。
「倉庫の外に、足跡がいくつか残っていました」
「足跡?」
「ええ。複数人分。ただしその中に、特徴的なものが一つある」
「特徴的?」
「片足だけ、わずかに引きずるような歩き方の跡」
誉は息を止める。
シオンも同時に反応した。
「……それ」
「心当たりがありますか」と相良。
シオンはゆっくり頷いた。
「高瀬」
「え」
誉が思わず声を上げる。
「歩き方?」
「昔からちょっと癖ある。ライブ中に怪我して、それが残ってる」
「じゃあ」
「ここにいた」
シオンの声は低かった。
「しかも、最近」
誉は喉を鳴らす。
さっきのコートの男。
今朝の足跡。
全部が繋がる。
「……近い」
ぽつりと呟く。
「めちゃくちゃ近いじゃないですか」
「うん」とシオン。
「たぶん、まだこの辺にいる」
詩織が小さく震える。
「そんな……」
相良が周囲を見回した。
「警戒を強めます。ただし」
「ただし?」
「相手もこちらの動きを見ている。完全に後手です」
誉は思わず言った。
「じゃあどうするんですか」
相良は一度だけ、シオンを見た。
「こちらから動きます」
「動く?」
「ええ。受け身では埒があきません」
「具体的には」
相良は短く言った。
「“行き先”を読む」
「行き先?」
「このスマホが、どこで使われる予定だったのか」
誉は目を瞬く。
「それ、分かるんですか」
「完全には無理です。ただし」
相良は少しだけ口角を上げた。
「ヒントはある」
「どこに」
相良は誉を見た。
「あなたが見た“最初の場所”です」
誉は固まる。
「……ホーム?」
「ええ。終電前の新宿駅」
シオンがすぐに言う。
「戻るのか」
「戻ります」
誉は思わず叫んだ。
「また新宿!?」
「ええ」
「昨日あんなことあったのに!?」
「だからこそです」
相良は言い切る。
「始点に戻って、流れをもう一度なぞる。そうすれば、“どこに運ばれたか”の輪郭が見える可能性がある」
誉は天を仰いだ。
「……休ませてほしい」
「あと少しです」と相良。
「その“あと少し”が長いやつですよね」
「否定はしません」
シオンが軽く笑った。
「いいじゃん、北松」
「よくない」
「スタート地点に戻るの、ワクワクしない?」
「しません」
「するでしょ」
「しません!」
詩織が小さく笑った。
ほんの一瞬だけ、空気が軽くなる。
でもそのすぐあとに、現実が戻ってくる。
追われていること。
見られていること。
そしてこれから、また“最初の場所”に戻ること。
誉は深く息を吸った。
「……分かりましたよ」
「何が」とシオン。
「行くんでしょう、どうせ」
「うん」
「じゃあ行きます」
「いいね」
「その代わり」
「何」
「帰れたら、ちゃんと寝ます」
「それは大事」
シオンが軽く頷く。
その横顔を見て、誉は思った。
この男は、本当に厄介だ。
でも、ここまで来たら一人で帰るほうがもっと怖い。
だったら——
「……最後まで付き合いますよ」
小さく言うと、シオンは少しだけ笑った。
「最初からその顔してた」
「してません」
「してた」
「してませんって」
そのやり取りを見ながら、相良は短く言った。
「では、移動します。新宿へ」
再び、始まりの場所へ。
終電間際のホームで始まった違和感は、
今度は意図的に辿られることになる。
誉は歩き出しながら、胸の奥で思った。
これはもう、ただの巻き込まれじゃない。
自分も、もう“この流れの中”にいる。
逃げ場はない。
でも、逃げる気も少しだけ、なくなっていた。
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