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ruruha
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第九話 【終電前の再現】
新宿駅は、昼でも人が多い。
夜の終電前の張りつめた空気とは違って、昼はただひたすら雑多だった。
人の流れが途切れない。
スーツ、買い物袋、学生、旅行者、ベビーカー。
誰が誰を見ていても不自然じゃない。
「……昨日ここで死にかけるほど疲れてたんですよ、俺」
北松誉が改札を抜けながら言うと、シオンが横で笑う。
「今も似たような顔してる」
「やめてください」
「でも今日は昨日よりマシ」
「どこがですか」
「ちゃんと前見てる」
誉は返しかけて、やめた。
実際その通りだった。
昨日までは、ただ巻き込まれて、ただ流されていた。
でも今日は、“見るために”ここへ来ている。
相良は数歩前を歩き、時折立ち止まって周囲を確認していた。
私服の警官が何人か距離を取って配置についている。
詩織は相良の近くにいて、必要以上に目立たないようにしている。
「まず、あの夜と同じ導線をたどります」と相良。
「北松さん、どこで最初にコートの男を見ましたか」
誉はホームへ向かうエスカレーターの方を見る。
「たしか……あっちから降りて」
「急がなくていい。順番に思い出してください」
「……はい」
誉は深呼吸した。
あの夜。
仕事帰り。
終電間際。
疲れて、視界も狭くなっていた。
でも、見た。確かに見た。
「エスカレーター降りたあと、端のベンチのほうに行きました」
「そこにシオンがいた」と相良。
「いえ、その時はまだいなかったです。……あ、違う、いた。いました。でも先に、ケース落とす音がして」
「うん」とシオン。
「俺がベース落とした」
「そこは誇らしげに言わないでください」
シオンが少し笑う。
その軽さに救われる部分もあるのが癪だった。
「で、その前に」
誉はホームを見回した。
昼間のホームは明るすぎて、あの夜と重ならない。
でも、柱の位置は同じだ。
「あの柱」
誉が指さす。
「向こう側の影に、コートの男がいた」
相良はすぐにその位置へ向かった。
シオンも続く。
誉も歩きながら、胸の奥がざわつくのを感じていた。
その柱は、ホーム端から少し離れた位置にあった。
立ってみると分かる。
ここはホーム全体を見渡せるのに、少し身を引けば人の流れに紛れられる。
「……見やすい」
誉が呟く。
「何が」とシオン。
「シオンのいたベンチも、俺のいた位置も、改札から来る人の流れも、全部見える」
「監視位置としては優秀だな」と相良。
「でも」と誉。
「でも?」
「ここで“待ってた”なら、誰かを探してたってことですよね」
「ええ」
「じゃあ、シオンを追ってたというより……」
「最初は別の相手を待っていた可能性もある」と相良。
シオンが眉をひそめる。
「北松、それ以外に見たものない?」
「えっと……」
誉は柱の足元を見た。
もちろん今は何もない。
だが、昨夜見た印象をたぐり寄せる。
「紙袋、みたいなのがありました」
「どのへん」
「このへん」
誉が指で示す。
柱の裏側、視界から半分外れる位置。
「もしここに荷物があったなら」と相良。
「コートの男は“受け取り側”だった可能性がある」
「受け取り?」
誉が聞く。
「受け取り役は荷物を待つ。確認役は少し離れて見る。秋山さんは後者だったのかもしれません」
「じゃあコートの男は、本命の荷物を受け取る役」
「ええ」
「でもその場で受け取ってない」とシオン。
「そう。北松が見た時点でまだ荷物は足元にあった」
誉は眉を寄せた。
「……じゃあ、誰が持ってくる予定だったんですか」
「そこです」と相良。
相良はホームの反対側、エスカレーターと階段の合流点を見る。
「この位置からだと、どの導線が一番自然に“受け渡し”できるか」
シオンが歩き出す。
「階段側は人の流れが早い。立ち止まると目立つ」
「エスカレーターは?」と誉。
「遅いけど、流れが一定。ぶつかる感じで渡すならあり」
「渡す?」
「紙袋とかなら、手渡しでも不自然じゃない」
誉はその言葉を聞きながら、ホームの風景を頭の中で組み立てていく。
終電前。
疲れた人間たち。
誰も他人をちゃんと見ていない時間帯。
その中で、紙袋を持った誰かが流れに紛れて近づき、コートの男が受け取る。
それだけなら、たしかに違和感は少ない。
「でも」と誉。
「俺、受け渡してるところ見てないです」
「だから途中で何か狂った」とシオン。
「秋山が動いたとか?」と詩織。
「ある」
相良が頷く。
「秋山さんが確認を急ぎ、接触しようとして流れが崩れた。その結果、受け渡しが中断された可能性があります」
「で、路地で揉めた」と誉。
「動画の内容とも一致する」
誉は唇を噛んだ。
線はだいぶ見えてきた。
でも、まだひとつ足りない。
「……相手」
「何が」
「荷物を持ってくる側」
誉はホームをもう一度見回す。
どこから来るのが自然か。
どこなら怪しまれないか。
どこなら、流れを切らずに接触できるか。
そして、その瞬間だった。
「あ」
誉が足を止める。
「何」とシオン。
「売店」
「え?」
誉はホーム中央付近の、小さな売店跡の方を指さした。
今は別の簡易店舗になっているが、位置は変わっていない。
「俺、あの夜……コートの男、そっちを何回か見てた気がします」
「売店を?」
「いや、売店の“向こう”」
相良がその方向に視線を向ける。
ホームとホームの間をつなぐ細い通路。
乗り換え客が多く通る場所。
「……流れてくる相手を待ってた?」
誉が言うと、相良が頷く。
「あり得ます」
シオンが歩いて位置を確認する。
「ここなら、柱から見える。しかも、接触したらすぐ別方向に散れる」
「散れる?」と誉。
「受け取り役はそのまま電車へ。渡す側は乗り換え通路へ抜けるとか」
「……賢い」
「嫌な意味でね」
誉はぞくりとした。
誰も気づかないように、たった数秒で荷物が動く。
そしてその荷物の先には、阿佐ヶ谷の倉庫や大量のスマホが繋がっている。
その時、相良のイヤホンに小さく音が入った。
私服警官からの連絡らしい。
相良の表情がわずかに変わる。
「……どうしたんですか」
「駅構内の反対ホームに、不審な男がいるそうです」
誉の喉が詰まる。
「コート?」
「いえ。今日は帽子なし。ただ、片足をわずかに引きずっている」
シオンの目が鋭くなる。
「高瀬」
空気が変わる。
「どこですか」とシオン。
「落ち着いてください」
「落ち着いてる」
「嘘つくとき、声が低くなりますね」と誉。
シオンが一瞬だけ誉を見る。
今そんな観察しなくていい、と言いたげな目だった。
「こちらです」と相良。
「ただし、絶対に先走らないでください」
四人は人の流れに紛れながら、ホーム端から階段へ向かった。
反対ホームが見える位置まで来る。
誉は息を止める。
いた。
背の高い男。
黒っぽいジャケット。
髪は少し長め。
そして、たしかに歩き方にわずかな癖がある。
男はホームの柱にもたれ、スマホを見ていた。
こちらには気づいていないように見える。
「……あれが」
「高瀬」とシオンが低く言う。
誉は横目でシオンを見る。
その顔から、いつもの軽薄さがごっそり消えていた。
「行くなよ」と誉が小声で言う。
「分かってる」
「ほんとに?」
「……たぶん」
「たぶんやめてください」
相良が短く指示を出す。
私服警官が別方向から回り込む。
高瀬を挟む形だ。
だが、その時。
高瀬の視線が、ふっとこちらを向いた。
シオンと目が合う。
たった一瞬。
なのに、誉にも分かった。
あれは、知っている相手を見る目だ。
高瀬は驚かなかった。
むしろ、少しだけ笑った。
「……まずい」
誉が呟いた直後、高瀬はスマホをポケットに入れ、何でもない風を装って歩き出した。
「待て!」と私服警官。
高瀬は走った。
「最悪!」と誉。
人の流れが乱れる。
ホームで追跡は危険だ。
相良がすぐに怒鳴る。
「一般客を巻き込むな! 外へ誘導しろ!」
高瀬は階段へ向かう。
片足を少し引きずりながら、それでも速い。
シオンが飛び出しかける。
「シオン!」
誉は反射でその腕を掴んだ。
「離せ、北松!」
「だめです!」
「今行かないと!」
「分かってるけどだめ!」
一瞬、シオンが本気で振りほどこうとする。
その力の強さに誉は驚いた。
でも、手を離さなかった。
「ここで走ったら終わりです!」
誉が叫ぶと、シオンの動きがぴたりと止まった。
高瀬の姿はすでに階段の向こうへ消えている。
私服警官たちが追うが、人の波に阻まれてすぐには届かない。
数秒後。
駅構内のざわめきが一気に大きくなる。
「……逃がしたか」
相良が低く言った。
誉は掴んでいたシオンの腕をゆっくり離した。
心臓が痛いくらい鳴っている。
「……すみません」
「……いや」
シオンは息を荒くしながら、階段の方を見つめていた。
「合ってる」
「何が」
「高瀬だ」
その声は少し震えていた。
「間違いない」
詩織が不安そうに言う。
「でも顔、ちゃんと見えた?」
「見えたよ」
シオンは短く答えた。
「昔とあんまり変わってない。最悪なとこだけそのままだ」
相良が戻ってくる。
表情は厳しい。
「見失いました。ただ」
「ただ?」
「高瀬がいた位置の近くに、落とし物がありました」
小さな透明袋。
中には、紙切れが一枚。
誉の背中がぞくりとする。
また紙だ。
相良が慎重に開く。
書かれていたのは、短い文字。
『今夜、動く』
「……は?」
誉が声を漏らす。
「宣戦布告みたいなことするじゃん」とシオン。
「感想が軽い」
「でも事実」
相良が紙を見つめる。
「こちらに見せるために落とした可能性が高い」
「わざと?」と誉。
「ええ。高瀬は、自分が追われていることを理解した上で、あえて接触してきた」
「なんでそんなこと」
「自信があるか、誘っているかです」
誉は乾いた笑いが出そうになった。
「どっちにしても最悪ですね」
「ええ」
詩織が唇を噛む。
「“今夜動く”って、何を」
相良はすぐには答えない。
代わりに、ホーム全体をもう一度見回した。
「飛ばし端末の大量移動。未完了の受け渡し。高瀬の再出現」
「……全部つながってる」
誉が呟く。
「はい」と相良。
「そして、タイミングは今夜」
シオンが、紙を見ながら小さく笑った。
「性格悪」
「誰がですか」と誉。
「高瀬。昔から、わざわざ人が嫌がるやり方選ぶ」
「そういう元仲間持ちたくないな……」
「俺も今は持ちたくない」
誉はため息をついた。
ただし、今回はそのため息の奥に、別の感覚もあった。
高瀬は逃げた。
でも、顔を見せた。
しかも紙を残した。
それはつまり——
「……北松」
シオンが言う。
「はい」
「たぶん、挑発されてる」
「知ってます」
「腹立つね」
「あなたが言うとちょっと怖いです」
「でも」
シオンは紙から目を離さずに続けた。
「今夜、絶対なんかある」
相良が頷く。
「ええ。準備を急ぎます」
「準備?」と誉。
「高瀬が動くなら、こちらも待ち構える」
「待ち構えるって」
「張り込みです」
誉は思わず天を仰いだ。
「……とうとう刑事ドラマみたいになってきた」
「現実ですよ」と相良。
「現実なのが一番嫌です」
その時、誉の目にふと、ホームの反対側のデジタル掲示板が入った。
電車の時刻。行き先。乗り換え案内。
その下に、コンビニの広告映像が流れている。
そしてその一瞬後、別の映像。
「……あれ」
「何」とシオン。
「いや、関係ないかもですけど」
誉は掲示板を見る。
「さっき、高瀬がいた位置」
「うん」
「広告モニターが見えるんですよ」
「それが?」
「もし、誰かが“時刻”じゃなくて“モニター切り替わり”を合図にしてたら」
相良がすぐに反応した。
「……合図?」
「だって、人が多い中で、時計見るのもスマホ見るのも自然すぎるけど、同じ広告が切り替わるタイミングを共有してたら、“何分何秒”より曖昧に合わせられる」
シオンが目を見開いた。
「北松、それ」
「変ですか?」
「変じゃない。むしろかなりある」
相良もすでにメモを取っている。
「駅のモニター切り替えログ、確認できるかもしれません」
「もし高瀬側がそれを合図にしてたなら」と誉。
「“今夜動く”場所も、同じ仕組みを使う可能性がある」
ホームの空気がまた張りつめる。
誉は自分で言ってから、自分の中で少しだけ確信に近いものが芽生えるのを感じた。
見てしまう。
気づいてしまう。
それは嫌な性質だと思っていた。
でも今、この流れの中では、それがたしかに意味を持っていた。
「……すご」と詩織が小さく言った。
「え」
「北松さん」
「いや、たまたまです」
「たまたまでも気づかない人は気づかない」
誉は返事に困った。
隣でシオンが、少しだけ楽しそうな顔をしていた。
「だから言ったでしょ」
「何を」
「北松は見ちゃうタイプ」
「そこ、今はそんなに嬉しくないです」
「でも助かる」
またその言い方だ。
誉は少しだけ視線を逸らし、ホームの風を吸い込んだ。
今夜、何かが動く。
高瀬はそれを見せつけるつもりでいる。
だったら——
こちらも、見逃さない。