オルドレイ国の第一王子と、ウィリスタリア国の第四王女の婚姻は、遡ること3か月前、本人達の意志など確認せず、両国の国王間で一方的に決められた。
婚約者同士が初めて言葉を交わしたのは、両国が婚姻に同意したことを正式に示す為にトゥレムヴァニエール城で開かれた調印式後のお茶会だった。
トゥレムヴァニエール城の中庭は、庭師が腕によりをかけて整えたバラの花が咲き乱れ、生垣代わりに植えられたプリペットが春の陽気を受け、瑞々しく枝を伸ばし始めていた。
そんな中、ディモルトとアジェ―リアは、中庭にある大きなヤマボウシの木の下に用意されたテーブルで向き合っていた。
敵国同士である王族の婚姻は和睦であり、相手がどんな人間であれ互いに拒否権はない。
だから顔合わせといっても互いの性格を知るためのものではなく、挙式時にうっかり間違えて別の人間に声を掛けないようにするための確認のようなもの。
けれどディモルトは、きちんとアジェーリアと向き合おうとしていた。
お茶を一口飲んだ後、ディモルトはおもむろにアジェーリアに向かって『あなたはこの国が好きですか?』と問うた。突然の問いかけにアジェーリアは、目を丸くしたけれど、すかさず是と頷いた。
そうすれば、ディモルトは再び問うた。『愛する国を戦火で焼いたオルドレイ国を憎んでいますか?』と。
この質問は、禁句だ。少し離れた場所に控えている両国の側近たちの耳に届き、ざわざわと、不穏な空気になる。
そんな中、アジェーリアは凛とした口調で答えた。
『そなたの国を憎んだことは一度もない。憎むべきは戦争そのものじゃ』
ざわめきがピタリと止んだと同時に、ディモルは再び問うた。『では一緒に、両国が平穏なものになるよう手伝ってもらえますか?』と。
はにかみながら頷くアジェーリアを目にして、ディモルトは自分の伴侶に迎えるのに相応しいと女性だ評価を下し、一人の男として恋に落ちた。
誰よりも大切にしたいと思った。この女性を妻にできることが、これ以上にない幸福なことだと感極まったディモルトは、立ち上がってアジェーリアを抱きしめてしまった。
そういった事情から、ディモルトが、この場に駆けつけてしまったのは、ひとえに愛する婚約者の身を案じてのことだった。
……などという、甘ったるい恋物語は、両国の騎士達は知るはずもない。
ディモルトとて、そんなのろけ話を披露する気はないので、アジェーリアから一旦離れると、オルドレイ国の騎士達に、元反逆者達と馬を引き渡すよう指示を出す。
「実はね、アジェがいると思って馬車を停めてもらおうと思ったんだ。でも、急に剣を向けられるんだもんだからさ、びっくりしちゃって、思わず殴っちゃった……ごめんね」
テヘッと両手をぱんっと合わせた王子様に、グレンシスは苦い顔をする。
「……いえ、お怪我がなく、幸いです」
グレンシスが当たり障りのない返しをすれば、元反逆者達と馬は、無事、捕虜になることもなく、ウィリスタリア国の騎士の手に戻った。
元反逆者達は荒縄で縛られたまま、意識を失ってはいるけれど、すぐにでも止血が必要な深手は負っていない。
良く見れば、頬を腫らしている。おそらく殴られた際の衝撃で軽い脳震盪を起こしているのだろう。
ティアの母親は、オルドレイ国の人間だ。しかも、この移し身の術は、もともとオルドレイ国出生まれた秘術だから、ここで披露するのはリスクが高すぎる。
できることならもっと離れたいが、足の痛みは相変わらずで歩けない。彼らには悪いが、自然治癒で我慢してもらおう。
そう判断したティアが腰かけている岩と同化していれば、ディモルトとグレンシスの間に、年嵩の男性が割って入った。おそらくディモルのお目付け役だろう。
「グレンシス殿、此度は本当に驚かせてしまい申し訳ありませんっ。それに、王子にそのような身を案じる言葉はもったいのうございます。この御者達が不審者と思ってしまったのは、仕方がないのです」
「キバルは、なかなか手厳しいことをいうなぁ」
「お黙りください!」
一喝されたディモルトは、反省する素振りなどみせず、HA、HA、HA、HA、HA!と朗らかに笑っている。
しかしこれは、色んな意味で笑い事ではない。オルドレイ国の第一王子は、どんな手を使ったのかわからないが、騒ぎを聞きつけてここに来たのだ。
ウィリスタリア国の人間からしたら、自国の不始末を、他国に知られてしまったことになる。
うやむやの状態のまま、王子を賓客として迎え入れるべきか。追い返すべきか。それとも、この一件を包み隠さず話すべきなのか。
不測の事態が続いたグレンシスは、この度の責任者。さてどうしたものかと、眉間を揉む。
それを横目に見ながら、アジェーリアはティアに向けポツリと呟いた。
「なぁティアあのお方は、見ての通り、ふわふわとしておって掴みどころがない御仁なのじゃ。歯の浮く台詞を言ったかと思えば、ああして人をコケにするような態度を取る」
「………確かに只者ではございませんが、アジェーリア殿下のお言葉になら誠実に耳を傾けてくださると思います」
暗に、この混乱を極めた状況を収束できるのは、貴女だけだとティアが訴えれば、アジェーリアは腕を組んで口を開く。
「ディモルト殿、御足労いただいたが、すまぬ。おぬしに心配されるようなことは、なにもなかったわ」
だから、もう帰れ。というニュアンスを聞き取ったディモルトは、仕方がないなと言いたげに肩をすくめる。
未だにガミガミと小言を繰り返すお目付け役のキバルの存在は、完全に無視されていた。
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