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体感としては、割りと長いあいだ眠っていたように思う。
ハッと気がついた私は、巡らない頭をのろのろと働かせ、まずは後ろを確認した。
逆立ち女の姿はない。
速度を充分に落とした車が、山腹に設けられた待避スペースへと、ジャリジャリとタイヤを鳴らして踏み込んでゆく所だった。
「ちょっと休憩……。 みんな大丈夫?」
ハンドルから手を離し、シートにぐったりと身を沈めた慶子さんが、ルームミラー越しにそれぞれの様子を確認した。
そこで私は、車内に一人、居るべきはずの人物が見当たらないことに気づく。
「あれ、ほのっちは?」
「ここですよ?」
「うわ!?」
サンルーフからニュッと顔を覗かせた友人に、たまらず肝を潰した。
なんでそんなトコに………。
そう思う間に、「穂葉ちゃん、ちょっと降りなさい」と、慶子さんが硬い口調で言った。
とにかく、私も一度外に出ようと、シートベルトに手をかけたものの、これがなかなか外れてくれない。
どうやら指が震えているらしい。
なんだか、身体の節々も痛いというか、重い気がする。
極度のストレスに晒されたまま、慣れない車内で寝落ちした所為だろうか。
「あんな危ないことしちゃダメでしょ?」
「はい………。ごめんなさい」
「穂葉さま、次は此方もお供します!」
「ゆらちゃん?」
「ひぇ………?」
まごついていると、外からそんな声が聞こえてきた。
何となく、状況を飲み込めた気がする。
悪戦苦闘の末、ようやく自由になった私の身体は、なかば転がり出るようにして車外へ。
辺りを見ると、待避スペースと言うよりは、ちょっとした休憩所のようだった。
奥のほうは見晴らし台になっており、木組みの屋根が備えつけてある。
昼間は眺めの良さそうな観望地も、いまはひっそりと静まり返っており、虫の声が細やかに響くのみだった。
眼下には、疎らな町の灯りが点々としている。
それらをぼんやりと瞳に収めるうち、次第に頭がまわり始めた。
「ホントだよ穂葉! もう絶対あんな危ないマネ──」
「まぁ……、ほら、ケガも無かったわけだし。な?」
こちらは精一杯の怒り肩で説教に加わるタマちゃんと、それを宥める幸介の姿が目に留まった。
「史さんと琴親さんは?」
「お? あ、そうだ! 兄やんたちは」
首を傾げた幸介は、お誂え向きとばかりに、しゅんとする友人に話を振った。
彼女の行動が私の予想通りなら、それは叱られても仕方がない。
しかし幸介にしてみれば、自分の友達が実姉にお説教を食らう様は、なかなかに居たたまれないものがあったのだろう。
「あ、帰りましたよ? 先に」
程なく簡潔な応答があった。
風のように現れて、風のように立ち去るとは、まるでどこぞのヒーローみたいじゃないか。
そんな事を考えていると、彼女の手に、妙なものがぶら下げられている事に気づいた。
「ほのっち、それなに?」
「これ? これですか?」
「うん……」
ちょうど、畑から引き抜いたばかりの大根など見せつけるように、片手をぐいと持ち上げて示す。
古びた木の根っ子のようだ。
「逆立ち女ですよ、さっきの」
「え?」
彼女は自慢げな様子で、事もなげに言った。
さすがに頭が追いつかない。
「それ、逆立ち女?」
「うん。 やっぱり何かしらの、お呪いの産物みたいですね」
よくよく見ると、人間の五体を思わせる形をした、歪な根っ子だ。
人型とか、そういう類のものだろうか。
とにかくその形状に、さっきの逆立ち女がダブって見え、背筋に冷たいものが過った。
間もなく、ほのっちと結桜ちゃんは当の根っ子について議論を始め、頭数をさっと数えた慶子さんは、近くの自販機へと向かった。
私たち三人は、先ほどの体験をあれこれと語り合い、“ヤバかったね?” という、シンプルかつ茫洋とした感想に行き着いた。
その後、みんなで相談した結果、本日は近隣に宿を求めることになった。
さっきの道を戻るのは、さすがにドライバーの慶子さんに多大な負荷を与えてしまう。
一同、そう慮ってのことだったが、これが殊のほか楽しい小旅行となった。
そして明くる日、尾羽出の山道を避け、少しばかり遠回りをして帰路についた私たちは、夕方ごろだったろうか。
それぞれの家に、無事にたどり着いたという顛末である。
この出来事は、あの夏の思い出として、安閑な心の内に、本日までそっと留めてきたのだが
「………………」
ひとまずペンを置き、窓の外を見る。
静かな夜。
折しも、世間は夏休み真っ直中だ。
寝静まる町並みは、きっと明日も起こるだろう楽しい出来事に備えて、粛々と英気を養っているようだった。
「………………」
眼鏡を正し、遠景を見る。
件の山々は、今でも健在に連なっており、天気の良い日なら、この場所からでもはっきりと望むことができる。
もちろん、現在は夜のため、おおよその概貌を掴むことすら叶わないが。
かの逆立ち女が何者だったのか、いまだに判っていない。
かつて、あの山で行われた何かしらのお呪いに起因する、何かしらの怪異。
太古の儀式によって産み落とされたモノが、何かの拍子に脱走し、そのまま野生化したものではなかろうかとは、友人と結桜ちゃんによる談である。
ふと思う。
あれはやはり、人間たちの恐怖心が生み出した、一種の影絵だったのではないか。
かの化け物の正体は、枯尾花ならぬ、枯れた木の根っ子だった。
ひょっとすると、あの山道を通りかかった誰かが、道端で見かけた根っ子を、無意識のうちに人間の女と誤認したのではないか。
ただの根っ子ならまだしも、何らかの儀式に用いられた物実だ。
些細な見間違いから、あらぬモノが生じるという事も、充分にあり得る話なのではないか。
そして、結桜ちゃんが感じた敵意。
それは他ならぬ、彼女の警戒心の顕れではなかったか。
私たちは、暗闇を恐れるあまり、たびたび心の内外に暗鬼を見てしまう。
一巡の盛衰を経て、たしかに人里は明るくなった。
しかしながら、まだまだ夜の暗がりが目立つことも事実だ。
もちろん、これは世の理であって、いくら抗弁を加えようと、人間たちには覆しようのない事柄である。
昼と夜は相容れず、光と闇の共生など、
「………………」
ものを書く身として、またぞろ悪い癖が出た。
物事を誇張的に捉えようとするのは、私たち書き手の常だ。
今日はもう寝よう。
夏の夜気は、無闇に筆を走らせる。
これ以上机に向かっても、取るに足りない文面が生まれるだけ。
そう思い至った私は、のろのろと着替えを済ませ、ベッドに潜り込むことにした。
その時である。
「待っとうせ…………」
たちまち背筋が凍った。
聞きまちがいじゃない。