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第二十二話:交代する快楽と、最初の略奪者
朧月館の庭に降り立った伝説の大妖怪たち。彼女たちが放つ、天を裂くような妖気の衝突は、宿の防壁を紙細工のように無力化していた。
玉藻が必死に結界を維持しようとするが、その九つの尾さえも強者の圧力に押され、黄金の輝きを失い始めている。
「……っ、玉藻、もういい。これ以上抗っても無駄だ」
僕の声に、玉藻が悔しげに唇を噛んで結界を解いた。その瞬間、宿の空気は一変した。暴力的なまでの濃厚な女たちの香りと、肌を刺すような高密度の霊力が、一花とお凛、そして僕を包囲する。
「あら、ようやく話がわかるようになったのね」
天空から舞い降りた漆黒の羽が、僕の頬を優しく撫でる。一番乗りを果たしたのは、天狗の長・紅羽だった。
彼女は、縋り付く一花とお凛を、まるで道端の小石でも見るかのような涼やかな、しかし圧倒的な余裕を感じさせる瞳で見下ろした。
「一花ちゃんにお凛ちゃんだったかしら? 悪いけれど、そこはあなたたちの居場所じゃないわ。……少し、お姉さんに譲ってくれる?」
彼女が八手団扇を静かに振るうと、逆らえないほど心地よい、けれど抗いようのない烈風が吹き荒れた。二人は僕から引き剥がされ、玉藻の元へと転がされる。
「さて、坊や……いえ、あるじ様」
紅羽が僕の目の前に立ち、その熟れた身体から発せられる熱量で僕を圧倒した。
30代ほどの落ち着いた美貌。その瞳は、人生の酸いも甘いも知り尽くした大人の余裕を湛えつつも、奥底では獲物をいたぶる捕食者の愉悦に満ちている。
彼女は僕の顎を指先で掬い上げると、顔を近づけた。吐息が、僕の唇に触れるほどに近い。
「あんな神龍を屈服させるなんて、相当な自信家なのね。でも、本当の『もてなし』を、あなたはまだ何も知らない。……今夜は、私がその高い鼻をへし折って、空の高さに眩暈を覚えさせてあげるわ」
紅羽は僕を抱きかかえると、翼を一閃させ、一気に宿の屋根裏……かつて僕が星を眺めた特等席へと飛び上がった。
屋根裏の狭い空間に、紅羽と二人きり。
彼女が座るだけで、そこは宿の一部ではなく、天狗が支配する異界の玉座と化した。
「……くっ、何をするつもりだ」
僕が三色の角を輝かせ、抵抗の意思を示すと、紅羽はくすりと艶やかに笑った。
彼女が懐から取り出したのは、目も眩むような輝きを放つ、白銀の腕輪だった。
それは古びた骨董品などではなかった。天狗一族が数千年の歳月をかけて手入れし、磨き抜いてきた家宝――『神天の纏』
その表面は鏡面のように美しく、屋根裏の微かな光を反射して、神々しいまでの白銀の光を放っている。だが、そこに刻まれた緻密な紋様からは、見る者の理性を吸い込むような、底知れない魔力が脈動していた。
「見て、綺麗でしょう? 私の一族が代々守り、磨き上げてきた至宝よ。……これに相応しい腕を見つけるのに、随分と時間がかかってしまったわ」
「なんだ、それは……っ。そんなもの、着けるつもりはない!」
「いいえ、着けてもらうわ。これは、あなたが私だけのものだという、解けない誓いなの」
僕が腕を引こうとしたが、紅羽の動きは流麗で、一切の無駄がなかった。彼女の白く柔らかな指が僕の手首を掴む。その力は、逆らうことなど最初から許されていないかのように絶対的だった。
「暴れないで。大丈夫……すぐに、何も考えなくてよくなってしまうから」
カチリ、と清冽な金属音が響き、僕の左手首に真新しい銀の腕輪が嵌められた。
その瞬間、腕輪から溢れ出したのは、暴力的なまでの「甘い支配」の波だった。
「っ……あ……ッ!?」
脳髄を直接、熱い蜜で塗りつぶされるような感覚。三色の角がこれまでにないほど激しく明滅し、異物を排除しようと霊力を爆発させるが、腕輪はその反動すらも「快感」へと変換し、僕の全身へと突き返してくる。
「ふふ、よく似合っているわ。……もう、私の声以外、何も欲しくなくなっているでしょう?」
紅羽は僕を膝の上に抱き寄せ、耳元で静かに囁いた。腕輪に込められた魅了の呪いが、彼女の声というトリガーによって僕の全感覚をハックしていく。背筋を這い上がるような甘美な痺れが、僕のあるじとしての意志を、砂の城のように崩していく。
「見てごらんなさい。庭で待っている他の子たちの姿を。瑞稀も、霰も、伊吹も……みんな、あなたが私のものになっていくのを、悔しそうに眺めているわよ」
下を見れば、不気味なほど鮮明に彼女たちの姿が見える。瑞稀はキセルを噛み締め、霰は周囲の空気を氷結させ、伊吹は金棒で地面を砕いている。
彼女たちが飢えた目で僕を凝視すればするほど、腕輪の呪いが深まり、僕の心は紅羽という「唯一の保護者」へと急速に傾いていく。
「みんなの目の前で、私に心を預けてしまう……。あなたは今、世界で一番惨めで、そして一番愛されている獲物なのよ」
紅羽の香りが理性を焼き、彼女の豊かな肢体が僕の身体に隙間なく押し付けられる。
接吻も、交わりもない。ただ、天狗の家宝がもたらす完璧な魅了と、彼女の円熟した色香が、僕の三色の角を、そして誇りを、内側から甘く溶かし尽くしていく。
「……は……ぁ……。僕は……っ……」
「いいのよ、何も言わなくて。……さあ、今夜はたっぷり時間をかけて、あなたのすべてを私色に染めてあげる」
屋根裏から漏れ出す、あるじの苦しげな、けれど抗えぬ陶酔を含んだ呻き。
地上で待つ大妖怪たちは、自分たちの「順番」が来た時に、その輝く腕輪をどうやって自分の色に塗り替えてやろうかと、独占欲を極限まで滾らせていた。