🦀🏺
「そういえば成瀬さぁ、つぼ浦となんかあった?」
「なんですか急に?」
「いやほら、あれ」
青井はスマホから目線を上げず、人差し指だけで左を差した。力二が振り返ると、道路脇に止まった砂色ジャグラーが思い出したかのように発進する。すれ違いざまに見えたつぼ浦の表情はサングラスに隠れて伺えない。
「何した? プリン食べちゃったとか?」
「いや〜、なんもしてないけどね」
「じゃあ親でも殺した?」
「振れ幅エグ。知らないですよ」
「命とか狙われてんじゃないの」
「てか、そうじゃない方が怖いっすけどね。つぼ浦さんの場合」
「ろくなことしないもんね」
「マジでそう」
青井はぴょんと立ち上がって、「面白そうじゃん」とスマホを力二に向けた。フラッシュが瞬いて、可愛い紫髪ペンギンの写真が映る。
「何がっすか」
「つぼ浦と成瀬の、えー、なんだっけ衝突みたいな」
「確執?」
「それ」
「趣味悪いッスよらだおパイセーン」
「理由分からないでつぼ浦に付け回される方が気持ち悪くない?」
「まあ、それは」
「あとつぼ浦がなんか企んでるなら先回りして吠え面かかせられるよ」
「シャッやりましょどっから問い詰めます?」
「決心早すぎワロタ。手首ぐるぐるか?」
「つぼ浦さんの吠え面は撮れ高ッスから」
「それはそう」
こうして、様子のおかしいつぼ浦に吠え面をかかせる会が発足したのである。
「つぼつぼ、最近なにかあったのか?」
「なんすか、藪から棒に」
キャップはかったるそうにバイクから降りて、ロケットランチャーを手に持った。銀行強盗である。ジャグラーに寄りかかって、時折二人で「犯人まだかー」「お前は完全に包囲されているー」などでかい声を出す。
「最近やけに張り切ってるようだからな」
「気の所為じゃないっすか? 俺はいつも通りです」
「そうか。今日は何をした?」
「アー息しました」
「そうか、100点だ」
「うっす。189番です」
「そうか」
+$427。ティファールよりも早く沸騰したつぼ浦がバットを構え、キャップに振りかぶる。
瞬間、カシャンと鉄の擦れる音がした。後ろで関節を決められ流れるように確保される。狐の銀行強盗犯・ハイライトだ。
「はーいゲット~」
「ぐわあああああ何しやがる! 畜生やられましたァ!」
「つぼつぼー!」
犯人に連れられ、銀行内へ消えていくまさにその時。
力二と青井が駆けつけたのを、つぼ浦ははっきり見たのである。
様子のおかしいつぼ浦に吠え面をかかせるため集まった二人は、タイミング良く銀行内に連れ込まれたつぼ浦に「あちゃー」と頭をかいた。
「つぼ浦さん捕まったんすか」
「よりによって特殊を」
「出てきた瞬間にこれ(ロケットランチャー)で吹き飛ばすぞ」
「終わったな犯人」
「あ、そうだキャップ。つぼ浦のことなんですけど」
「どうした、また裁判か?」
「いえそうじゃなくて。裁判はまたやって欲しいけども」
和やかな一瞬のChillタイムと、青井とキャップは道路にべったり座り込んだ。力二なんか普通にロケ弁を食べ始めた。銀行強盗の待ち時間は警察の大喜利タイムでもある。
つぼ浦がいないからさほど無茶苦茶なことは起きないが、と青井は思う。
「うらぁ!」
訂正。つぼ浦が人質だからまじで無茶苦茶なことは起きる。
手錠をかけられ後ろ手に拘束されたつぼ浦は、まさかまさかで犯人に頭突きをかましガラスが割れるほどの大乱闘を繰り広げていた。
「くたばれ銀行強盗ォ゛!」
「マジかつぼ浦拘束されてんだぞお前!」
「関係ねえ警察ナメんなオラァ!」
自由になる足からスライディングが繰り出され、的確に犯人の足を狙う。犯人の銃が暴発。ドンと凄まじい音がして、銀行の防犯ガラスにヒビを入れる。つぼ浦は動物のように体幹と勢いで犯人に向き直り、まっすぐ肩からぶつかった。それより一瞬リロードの方が早い。警告も容赦もなく、つぼ浦の腹に銃弾が打ち込まれる。グラりとつぼ浦の膝から力が抜けかけるが、しかし。
「死、ね、やゴラアァア!」
「嘘だろどうなってんだお前!」
特殊刑事課渾身のタックルは止まらない。犯人に乗り上げ、頭突きをかまし狐の鼻をぐしゃりと変形させる。被り物の内側から血が滲む。ハイライトは舌打ちをして、つぼ浦の腹に拳銃を押し付けた。
「止マッ」
「止まる訳ねえだろ俺は特殊刑事課つぼ浦だァ!」
「オッケーくたばれ!」
3発。0距離の45口径がつぼ浦を貫く。11.43mmの殺意は、ザクロのように臓物を吹き飛ばした。冗談みたいな量の血がハイライトを濡らして、ベシャリとつぼ浦の身体が倒れる。
「アハハハ! やっば」
「つぼつぼー!」
「犯人逃走! らだおさんつぼ浦さんお願いします!」
キャップと力二がパトカーに飛び乗った。銃刀法違反、公務執行妨害、暴行罪、プレイヤー殺人のハッピーセットだ。人質もこのざまである、すぐに逮捕されるだろう。青井はM-1の視聴者みたいに爆笑しながらつぼ浦に駆け寄る。つぼ浦はゼイゼイ腹を抑えていたが、喋る元気はあるらしかった。
「つぼ浦大丈夫?」
「あー、まあ、なんとか。カニくんは?」
「追跡中」
「ちくしょう、いねえのか」
「なんで?」
「ちょっと痛みが和らぐんで」
「は?」
「見てると楽になるんすよ。多分ペンギンの顔面にそういう効果があるんじゃないっすか」
「なんて?」
「ストレスにも効きます」
「限界オタクみたいなこと言ってる」
「オタクゥ? 俺がオタクに見えるなら病院行った方がいいですよアオセン」
「見えないけども。けどもだよ」
「え、エルモだよ?」
「け、ど、も! お前にだけ高音ビブラートで無線するぞ」
「やってやって」
「ホウコクスルネ〜」
ハクナツメ悪意物真似早口高音ビブラートである。どちらかといえば元気な時のひのらんに似ていた。もしくは千葉のネズミだ。
「あははははっ、あいで、いでででで」
「気がついたんだけどさぁ、これお前内臓出てない?」
「言わないでください余計痛くなる!」
「鎮痛剤代わりに成瀬連れてこよっか?」
「嫌です、今のおれかっこ悪いんで」
そんなことないけどな、と青井は思った。普段愉快な男だからこそ、うずくまる姿はハッと人の心をつかむ。血にまみれて痛みに眉をしかめるつぼ浦には思わず駆け寄りたくなる魅力があった。美しさとは違う、人柄が成す渋いカッコよさだ。
まあ、駆け寄って肩を支えるか、さらに蹴り飛ばすかは人によるだろうが。
青井はかなり迷ってから、つぼ浦の傷口にジャケットを巻いてやった。「イタイイタイ」と喚かれたが応急処置である。決して嗜虐心によるものではない。見事な手際と救急隊にも感謝されたので、後輩への思いやりである。多分。
5分後。警察署にて、様子のおかしいつぼ浦に吠え面をかかせる会は膝をつき合わせた。
「サシだと割といつも通りなんだよなぁ。やっぱ成瀬関連だわ」
「何なんすかね」
「わからーん」
青井は頬杖をついて、成瀬をじっと見つめた。
「なんすか?」
「いやお前見てもストレス解消にならないなって」
「え、は? 悪口……?」
「違う違う。ちなみにペンギンのそれって最近買い替えたりは」
「してないっすね」
「だよねぇ。成瀬ちょっと俺の事殴って」
「ウス」
「いった。……いや全然頭痛いな」
「なんすかほんとに」
「つぼ浦がお前見ると全部良くなるって言うから」
「ハァ? 俺実はヤバい薬だった?」
「見るだけで効くやつね。あ痛い痛い、涙止まんない。病院行ってくるわ」
「送ります?」
「んー、いらん。いや本当は欲しいんだけど、つぼ浦が恥ずかしがるから成瀬来ちゃダメ」
「はぁーい」
青井のパトカーに手を振ったあと。力二はこめかみに拳を当ててうつむいた。喉の奥から「ンー」と音が出る。ピアノをたたくように指がそわそわと動いた。
「……やばい薬じゃないなら、さぁ」
見てるだけで癒されて、頑張れて、その人の前では格好をつけたくなる。この現象の名前を力二はよく知っていた。胸のあたりがふわふわどきどきして、シャツをこする。まさかな、いやそんな、あのつぼ浦に限って。
「いやー、だって、ねぇ」
「どうしたカニくん」
「ワ゛ァオ!」
「マリオか?」
「つ、ぼぉらさん」
「おう。隣いいか?」
「うす」
「よっと。あー、フラつくぜ」
松葉杖をついたつぼ浦が、どっかりと隣に座った。Tシャツの隙間から白い包帯が覗いている。丁度帰ってきたところなのだろう。楽し気な笑みと薄い消毒液の香りがアンバランスだ。
浮つく両手を無理やり握りしめて、力二は何とか平静を取り繕った。
「大丈夫でした?」
「なんとかな。ハラワタがレンコンみたいになってたらしい。救急隊が優秀で助かったぜ」
「怖っ。よく生きてましたね」
「特殊刑事課だからな」
胸を張ったつぼ浦は、顎をさすって「ンャ……」と呟いた。
「なんすか? 歯切れ悪い」
「いや、……上手く言葉に出来ない。それだけじゃないんだよな」
「生還の理由っすか」
「うん。なんだぁ?」
「なんすかね。えー、楽しみにしてたこととかありました?」
「まあ、あった」
「じゃそれでは?」
「そうなると、カニくんのおかげになるぜ」
「え?」
「カニくん喋るの楽しみにしてたからな」
「……」
「カニくんのおかげだ」
サングラス越し、案外丸くてかわいげのある瞳がまっすぐに力二を見る。その目は幸せそうな光に満ちていて、つぼ浦が前のめりになった分二人の距離は近づいていた。
「口説かれてます俺?」
「くどく? 口説くって何だ?」
「だって、えぇ? 好きなんですか俺の事」
「あぁ、まあ嫌いじゃねえぜ。四捨五入したら好きよりかもな」
「それはもう大好きじゃん俺の事」
「ん? まあ四捨五入したものを四捨五入したらそんな感じだな」
「埒が明かねえな」
指の股に汗がにじんでいた。力二はどきどきしながら意を決して、ゆっくりと口を開く。
「……付き合います?」
「どこにだ?」
「は?」
怒気の強い力二の声に、つぼ浦は「ウワ」と頭をのけぞらせる。まじまじペンギンの頭を見たのち、ぽんと両手を打ち鳴らした。
「恋愛とかそっち系の話か! ないぜ!」
「ないんすか」
「ない。恋愛感情がそもそも搭載されていない」
「あー、なるほど。なるほど?」
力二は自分の言葉に首をかしげて、「まじっすか?」「正気?」とつぼ浦を指さした。
「まじだぜ」
「え、じゃあ何? 欲しいもんとかあるんすか」
「まあ、あるな」
「おっ」
「カニくんの時間。気晴らしに付き合ってくれ」
つぼ浦が松葉杖をおいてくっと立ち上がる。青空を背景に、太陽が輪郭を照らす。小首をかしげて力二へ手を差し出せば、ときめくような少女漫画の一コマだ。
力二の心臓がきゅんと高鳴る。デートじゃん、と思った。話の流れ的にそれはもうデートじゃん。好きじゃん俺のこと。
脳内にCarly Rae JepsenのCall Me Maybeのサビが流れ出す。ポップすぎねえ? 純情すぎる青春だ。20過ぎた警官なのに。さっきまで血みどろだったのに。カーチェイスまでしたのに。
つぼ浦は当然のように力二がプレゼントしたDune Buggyを車庫から引っ張り出す。
「遊び行こうぜ」
「は、はいっす」
乗り込んだ車のドリンクホルダーに、魔法少女カフェの商品『惚れるかも薬』の空き瓶が詰められているのを見て。
「あっ」
力二はすべてを察したのである。
11月末の肌寒くなってきた頃だった。つぼ浦から奇肉屋のBMC(Bitter Melty Chocolate)をもらって、力二はお返しにこの薬を渡した。つぼ浦なら効かなそうだし、その上で上手く捌いてくれそうだったから。つぼ浦は見事その場で勢いよく飲み干し、小粋なジョークまで言ってみせたのだ。
その雑な振りのつけが、今の熱に浮かされたつぼ浦だった。
「どうしたカニくん」
「つぼ浦さん、あの。すいません」
「ン? なにがだ」
「つぼ浦さん今俺に惚れてますよね?」
「惚れてないぜ」
「惚れてるんすよ言動的に」
「へえ、そうなのか」
「そうなんすよ。でもそれ、あの、この薬のせいです」
「あ? あー、肩こりが治ったやつ」
「ほぐれるかもってか。惚れてんすよもう」
「へえ」
力二の罪の告白をつぼ浦はあまり聞いていなかった。かわりに肩身の狭そうな力二の頭をみて、この男にもつむじがあるという発見に浸っていた。恋特有のなんでもないことが特別に見える妙な感動である。世界の解像度が上がったような気がするアレだ。
「てかなんで空き瓶とってあるんですか?」
「捨てがたくて。カニくんがくれたもんだからな」
「恋じゃん! それはもう恋なんですよつぼ浦さん!」
「あ? そうなのか?」
「そうなんですよ」
「へえ。……なら、恋って随分いいもんだな」
「んぐ」
「毎日楽しいぜ、おかげで。ありがとな!」
「ぐ、ががご」
つぼ浦は特に表情も変えない。罪悪感やら何やらで頭を抱えた力二をよそに、アクセルを踏みこんで左に曲がる。
そのまま「恋か」とつぶやきながら、アクセルを踏み込んで街路樹に突っ込んだ。
「つ、つぼ浦さん?」
「どうした」
「大丈夫ですか?」
「全然だめだな」
「だ、だめにしちまった……」
「なっちゃったな」
つぼ浦の頬は真っ赤だった。気合で表情を取り繕っているが、茹で蟹よりも真っ赤でこめかみからは汗が流れ落ちていた。自覚した衝撃と緊張でアクセルから足を離せず、車のタイヤがギャリギャリうなりをあげている。普通に危険だ。力二がそっと手首をつかめば、小動物のように「ぴゃ」と言って体育座りになる。ほとんどリスだった。
「……カニくん」
「なんすか」
「困るか? 俺がカニくんに、その、なんだ。今のままだと」
「い、や。困りは、しないっすけど」
「そうか」
「渡したの俺だし」
「そういやそうだったな。なんで渡したんだ?」
「なんで? なん、でなんすかね」
「深い意味はないか」
つぼ浦は膝に顔を埋めようとして、パッと力二の方を見る。
「すごいな! ちょっと凹んだぞ、この俺が! 恋ってすごいな」
「うぐ」
「ワクワクしたり、悲しくなったり。なるほど、恋愛の話ばっかりする奴がいるわけだぜ」
「ぐ、ぐぐ……」
「今すごく楽しいから、このままでいたい。カニくんが良ければ、だが」
うつむいたまま、力二はしばらく黙っていた。頭の中でいろいろな言葉があふれていた。じっと自分を見つめるつぼ浦が随分静かで、みぞおちのあたりに汗をかく。焦りひねり出した言葉は随分情けない声をしていた。
「……つぼ浦さん、って。人見知りじゃないですか」
「なんだ急に」
つぼ浦が普段と同じ調子で首をさするので、ちょっと安心して力二は懺悔を続けた。
「ついでに線引きえぐくて。一見誰とでも楽しく話すけど、心の底ではビビってる」
「悪口かこれ?」
「気付いてます? つぼ浦さん、俺とらだお先輩が並んでたらどんな用件でもらだおの方行くんすよ」
「うっ、……そんなことない、ぜ」
「図星じゃねえっすか。まあ、から、身内に入れてくれねえかなって。妙な薬で、一時的にでも」
身勝手な告解だった。勝手に目の前が潤んで、ズッと力二は鼻をすする。
心の奥まで正直にした言葉だった。
「効果覿面だったみたいっすね」
恨みがましい皮肉は力二自身に向けられていた。
「カニくん」
「なんすか」
「魔女カフェ行こう。そんで、あの、な」
つぼ浦は真っ赤な顔のままだった。
「解毒剤飲んだらもっかい言ってくれ。心臓の音がうるさくて何にも聞こえねえんだ」
つぼ浦には、先ほどのすべてが告白に聞こえた。自分のために傷ついた男がいじらしくて仕方がない。それが欠点のない力二であればなおさら。表情の変わらないペンギンの仮面が、抱きしめてやりたいほど愛しい。魔法のようだった。春のように暖かい炎が、苦しくなるほど胸を焦がしている。みんなこんな激情を抱いたことがあるのか。力二も、同じことを感じるのだろうか。
首をおさえケンケン咳をした。力二の隣では呼吸さえドラマチックになる。紛れもない恋の力だった。
「く、すりのせいだとは思うから。だけど、もし、その」
「え、はい」
「解毒剤飲んでも変わんなかったらどうするか考えといてくれ」
「……付き合います?」
「変わんなかったらな」
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