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『ご飯終わったんだけど、今からでも行っていい?』
若井の部屋から出て、僕は元貴にメッセージを送る。さっきまで若井に抱きしめられていたのに、ズルいな、僕は。すぐにスマホが光る。
『うん、来て。』
僕は、元貴がまだ自分を待ってくれてたことにホッとしつつ、きちんと話し合えるか、緊張していた。
タクシーを降り、エントランスを抜けて元貴の家のドア前に着くと、すぐに玄関まで出迎えに来てくれた。今日は、元貴の機嫌は良さそうだ。そんなふうに恋人を観察してしまう自分が、何だか悲しかった。
「お風呂沸いてるよ。」
元貴が笑顔で言う。ドキッとして、今はいいかな、と言葉を濁す。
「…ご飯食べてきたんだよね?」
「う、うん。」
「じゃあ、念入りにトイレも行かないとね。」
そう言って、僕に抱きついてきた。そのまま身体でも触られるかと思っていたが、そこで元貴の動きが止まる。
「…元貴。」
「…なに?」
「ちょっと、話がしたいんだけど…。」
「話?」
元貴の声が低く響く。
「最近、あんまりゆっくり話せてないな〜と思って、…だめ?」
「…ううん、ダメじゃないよ。」
元貴がゆるく笑う。僕はホッとして、ソファーに腰掛ける。元貴も隣に座った。
「…何話す?」
「なにって…。」
確かに、改めて話そうとすると、いつも一緒に仕事をしているだけに、特にお互い目新しい話題も、ない。
「あ、今日の収録、若井と一緒だったんだ。」
「うん、そうだね。」
「えっとね、結構体力使ったし、僕はなかなかうまく出来なかったけど、若井も面白いシーンいっぱい撮れてね、すごく楽しかったよ。」
「そう、収録は慣れた?」
「いやー、慣れはしないかな、すごく緊張するよ。」
そう言ってから、あ、しまった、と思った。ますます僕の信用が落ちちゃう、訂正しなきゃ。
「あ、でも、なんかもっとやれそうな気がする。」
「もっとって?」
「元貴はさ、一人の仕事いっぱい頑張ってるじゃん?若井も今度ソロの仕事決まったって言ってたし…。だから僕も、もっと…やれるかなって、一人でも。」
元貴がじーっと見つめてくる。
「涼ちゃんは、いいよ。」
元貴が優しく笑う。僕は、若井の言葉を思い出していた。
『元貴が、涼ちゃんのソロ仕事、止めてんじゃない?』
心臓がドキドキしてきて、一生懸命に、言葉を選ぶ。
「…僕って、やっぱソロ向いてないかな…。」
「いや…そんなことはないと思うけど…。まだ無理しなくていいんじゃない?」
「…もしかして、カゲヤマ…さんの事、言ってる?」
「………。」
元貴が黙って視線を逸らす。
「それなら、大丈夫だよ、僕。もう、マネージャーとか元貴を通してしか仕事しないし、あの人がたまたま変な人だっただけで…。」
「なに?涼ちゃんどうしたの?めっちゃ必死じゃん。」
元貴が怪訝な顔で見てきた。僕は、視線を下に落とす。
「…なんか、僕だけ、役に立ってない気がして。」
「また始まった…。」
元貴が呆れた声を出す。僕は心が折れそうだったけど、頑張って話し合うって決めただろ、と自分を鼓舞する。
「元貴も、若井も、それぞれ頑張ってるじゃん。僕だってって思うでしょ、そりゃ。」
「…涼ちゃんは、今はとりあえずミセスにいて、俺の傍にいてくれたらそれで充分なんだって。」
元貴が肩を抱こうとして、僕はそれをそっと制止する。
「…元貴ばっかり、ズルいよ。」
「…は?」
「自分だけいろんな現場に行って、いろんな人と交流広げて。…傍にいればいいって言いながら、僕なんてほったらかしじゃん。」
あ、だめだ、言葉を選ばなきゃ。
「誰とご飯行ったって、誰と遊びに行ったって、誰と連絡取り合ったって、いいよ。僕にもちゃんとそれをしてくれてたら、別にいい。だけど、してくれないじゃん、僕には。最近、僕を呼ぶのなんて、えっちしたい時だけじゃん。」
頭ではヤバいと分かってるのに、どんどん口から言葉が出てきて止まらない。脳が熱くなる。涙も零れてくる。
「今日だって、着いた瞬間にお風呂だ、トイレだ、って、僕の気持ちは?お構いなし?僕は、僕は…もっと…元貴と普通に付き合いたい…。」
鼻を啜って、涙を拭く。視線はずっと下に向けて、元貴の顔が見られない。黙って聞いている元貴が、この静かな空気が、怖かった。
「…普通って、なに?」
元貴の低い声が響く。
「俺、言ったはずだけど、最初に。俺仕事ばっかだよって。涼ちゃんのこと振り回しちゃうかもって。それでも良いって、思ってくれたんじゃなかったの?」
「それは…だって、他の人と遊ぶのは、違うじゃん。仕事じゃないじゃん。」
「仕事だよ。人脈広げてんのだって、ミセスのためにってやってる、俺は仕事の一環だと思ってるよ。」
「でも、友達だって言ってるじゃん。」
「友達だよ?友達だけど、仕事上でもあるでしょ。てかさっきから何子どもみたいな事言ってんの。」
元貴は、小さく、めんどくさ、と言った。心臓が、冷える。心が、冷える。黙ったまま下を向いてぼたぼたと涙を流す僕を、多分元貴はイラついた顔で見ている。
「…涼ちゃんさ、今日若井ん家行ってたんじゃないの?」
心臓が跳ね上がる。
「やっぱり…。若井の匂いするよ、身体中から。」
うそ…どうしよう…。これ、多分最悪なタイミングでバレてるよね…。あれ、でも別に悪いことはしてなくない…?してない…くもない…か…。僕は視線を彷徨わせて、何も言えなかった。
小さく、言い訳を始める。
「…若井は、相談に乗ってくれてただけだよ…。」
「なんの?」
「…元貴との…こと…。」
「…もしかしてセックスのこと?」
…これは、いわゆる、墓穴というものか…。
「ふーん、そんなに嫌だったんだ、俺とセックスすんの。若井に相談する程。」
「ち、ちが」
「違くないでしょ、さっきそう言ってたじゃん。」
元貴は立ち上がり、床に置いてある僕の鞄を引っ掴んでこちらに投げて寄こした。
「はい、涼ちゃんがしたかった『お話し』もできたし、セックスもしたくないなら、今日はもう帰んなよ。これからは『フツーのお付き合い』しよ。ね。」
僕は、鞄を握りしめて、力無く立ち上がる。
「…もういい。」
僕は、最後まで元貴の顔を見ることなく、部屋を出て行った。
外でタクシーを待っていると、スマホに通知が来る。
『今戻ってこないと、俺たち終わるよ』
僕は、力の入らない指先で、メッセージを送る。
『ごめん、疲れた。しばらく距離置きたい。仕事ではちゃんとするから。』
それだけを送って、僕は電源を落とした。十年の恋をやっと実らせたと思ったのに、もう喧嘩だ。まだ、2ヶ月程しか経っていないのに…。どうして、こう上手くいかないのかな。どうしたら、普通に付き合えるんだろう。僕は、空に向かって、大きく息を吐いた。
あの後すぐに、ミセスの現場があった。そりゃそうだ、僕たちには休みというものはほとんどないんだから。
結局、あの日、朝になってスマホの電源をつけても、元貴の既読が付いていただけで、向こうからのメッセージも着信も何もなかった。
元貴はあの日、『俺たち終わるよ』と送ってきていた。この沈黙は、つまりそういう事なのだろうか。
今、現場で一緒にいる元貴は、ビックリするほど普段通りで、僕にもちょっかいをかけたり、若井にも絡みに行ったり、真剣に仕事の話もしてくる。
僕らの仕事には、広報のための映像撮りがよく付いている。それに向けて、仲良しミセスのアピールも兼ねているんだろう。元貴はどこまでも、仕事人間なんだ。
僕も、何だか意地になって、いつも通りの、ふわふわ涼ちゃんを演じ続けた。
いつもより、長く感じた仕事が、ようやっと終わった。元貴は何だか忙しそうに、スタッフと打ち合わせを続けている。僕は、サッと帰り支度を終えて、挨拶を交わしながら現場を後にした。
「涼ちゃん!」
後ろから、若井が追いかけてきた。
「…この前、どうだったの?あの後、元貴と話しに行ったんでしょ?」
僕は、まだ『涼ちゃん』を貼り付けたまま、笑顔を向ける。
「うん、大丈夫だったよ、わかってもらえた。」
「ほんと?」
「うん、僕のソロ仕事については、まあいきなりは無理だけど、僕との付き合い方については、元貴もちゃんと考えてくれるって。」
自分で言っていて、虚しい。あの話し合いで、本当にそうなってくれたら良かったのにな。
「そっか、よかった。」
若井が、ホッとした顔で笑う。ごめん、ごめんね、若井。でも、もう甘えたくないんだ。若井の優しさを、これ以上利用したくない。
「じゃあ、またね。」
「うん、おつかれ。」
若井から見えないところまで歩くと、涙が溢れた。
僕は、恐らく元貴と終わってしまったのだろう…。
自分で、なんとか立ち直らないと。これは、僕が招いた結果なんだから。
しばらくすると、僕もそんなに踏ん張らなくても元貴との仕事をこなせるようになっていた。なんのことはない、元に戻っただけだから。ミセスのボーカルと、キーボード。十年以上一緒にいる、仲良しバンド。
僕のややこしい恋心を抜けば、とてもシンプルな最高のバンドだ。
まるで、僕と元貴の恋なんてなかったかのように、いい形に収まっている。本当に、僕の夢だったのかも、なんて最近は思い始めていた。
気付けば、季節はすっかり真冬になっていた。その内に、僕たちはあれよあれよという間に、FCツアーを始め、なんと、レコード大賞を受賞し、初の紅白への出場も果たした。どのメディアの前でも、感動的な、仲良しな、互いを思いやる、そんなバンドの姿を見せていた。
僕の心は、いちいち傷つく事は少なくなっていて、変なところで大人になったな、と渇いた笑いを自分に向ける。
そして気付けば、新しい年を迎えていた。
年始から間もないある日、自分の部屋で、キーボードの練習をしていると、チャイムが鳴った。
インターホンを確認すると、若井が立っている。なんの連絡もなしに来るなんて、珍しいな。
「はい、若井?」
『うん、いきなりごめん。』
「いいよ、ちょっと待ってね。」
ボタンを操作して、エントランスを開ける。玄関へ向かい、鍵を開けて待っていると、若井がドアを開けた。
「ごめんね、いきなり。」
「ううん、珍しいね、どうしたの?」
ドアが閉まるか閉まらないかの瞬間、若井が僕を抱きしめた。
「…なんで、言わないの。」
「………。」
「ずっと、黙ってたの?俺に。」
「若井…。」
「元貴に、聞いた。」
「別れたって。」
その言葉を聞いた途端に、涙が溢れた。ああ、そうだね、やっぱり、僕、元貴と別れたんだ。もう恋人じゃないんだ。距離を置きたい、なんて言ったのは僕だ。終わりだよって言ったのは、元貴だ。
十年、恋焦がれて、やっと手に入れた幸せを、手放したのは、自分だ。僕は、元貴が大好きで、憧れて、でも、恋人にはなれなかった。自分勝手に、元貴を傷つけただけに終わってしまった。
突然目の前に突きつけられた現実に何も言えず、嗚咽を漏らして泣くだけの僕を、若井はずっと抱きしめてくれた。
「上がっていい?…その顔、拭かないと。」
若井が、涙でぐしゃぐしゃになった僕を見て、困ったように笑った。僕は頷いて、若井に手を引かれながらソファーに座る。
「もう、なんで隠すんだよ。」
若井が、ちょっと怒ったような顔をする。
「…ごめん、甘えたくなくて…若井は優しいから…。」
「なんでやねん!甘えてよ。俺、優し損じゃん、そんなの。」
「なにそれ。」
僕は、プッと笑う。若井は、僕を優しい笑顔で見つめながら、頭を撫でてくれた。
僕は、鼻を啜りながら、若井に訊く。
「…元貴に、言われたの?」
「んーん…なんか、最近の二人の様子が、普通なんだけど、変なところ普通すぎるっていうか、カメラないところでは全然二人きりで話そうとしないし。」
「はは…バレバレか…。」
「さっき、ゲームしよって誘われたから、オンラインでゲームしてて。元貴に、涼ちゃんとまたケンカ中?って聞いたら…。もうとっくに別れた、とか言われて。」
「…そっか…。」
もうとっくに、か。元貴の中では既に過去のことなんだな。バカみたいに引きずってるのは、僕だけか。
また涙がじわっと出てきて、慌ててティッシュで押さえる。
若井が、僕の頭を撫でていた手を、頭の後ろに添えて、グッと自分の方へ寄せた。あ、と思う間もなく、若井と唇が重なる。
僕が、目を丸くしたまま固まっていると、若井がそっと顔を離した。
「…俺、前言ったよね、次は口にするって。」
熱を帯びた目で、若井に見つめられる。僕の目から、また涙が零れるのを、若井が指で拭う。僕の顔に手を触れたまま、また、若井の顔が近づいてくる。
僕は、今度はそっと目を閉じて、それを受け入れた。
僕は、僕が思っているよりも、ずいぶんとズルい人間のようだった。
コメント
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わー!!めっちゃいい!!今までこの作品に気づかなかった過去の自分をビンタしてくる…
もう3人で付き合っちゃえよ!!