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「念のために言っておくけど、誰も殿の言葉に反論してはいけないよ」
そう、土井半助に関する出来事が片付いた後、正式にタソガレドキ忍者隊の主である黄昏甚兵衛へ報告を行う直前に、雑渡は諸泉達へ告げた。
此度の件は、表面上だけ見れば、タソガレドキ忍者隊がドクタケ忍者隊に遅れを取ったように見える。
土井半助が記憶を取り戻した後、タソガレドキ忍者隊はドクタケの本来の狙いをチャミダレアミタケ側へと伝え、黄昏甚兵衛にも情報を伝達し、チャミダレアミタケとの戦いは回避された。その上でドクタケ領地内部は兵が少ないことを伝え、タソガレドキはドクタケから領地を一部切り取った。
結果的に領地を得たが、もう少し遅ければチャミダレアミタケとの戦になっていたことだろう。
そういったことから、諸泉にも忍者隊が黄昏甚兵衛から叱責を受けるのではという予想がついていた。
しかし、黄昏甚兵衛という男は、忍者隊に極めて寛容な人物であると諸泉は感じていた。
組頭の雑渡昆奈門は、意見があれば忌憚なく主である黄昏甚兵衛に伝える。それに対し、甚兵衛は怒ることはなく「それもそうだな」と良く意見を聞き入れてさえいた。また、忍者隊が甚兵衛に報告なしに動いていたとしても、特にそれを不満に感じている節もない。そして、過去に尊奈門が経験した出来事からも、黄昏甚兵衛は優しさのある人物なのではと思っていた。
そのため、雑渡が「念のため」と告げたそれに、諸泉は胸の内で首を傾げていた。並ぶ高坂と山本の顔が、強ばったことを知らずに。
黄昏甚兵衛が待つ城の広間へと入り、皆か傅き頭を垂れる。そして、組頭の雑渡自ら事について報告を行った。
甚兵衛はいつものように報告に耳を傾ける。そう、いつも通りだった。途中までは。
甚兵衛が持つ扇子が閉じる音が嫌に広間に響いた。
「他にもまだ言っていないことがあるだろう?」
温度を失ったかのような言葉が響く。諸泉の聞いたことのない甚兵衛の声色だった。
ぐっと急激に広間の温度が下がった心地がして、諸泉は身を固まらせた。
言っていないこと――雑渡は軍師のこと、つまり土井半助のことについては全て隠して報告をした。つまり、諸泉が発端となり起こった事を全て口にせずに報告した。その内の何かを、上座に鎮座するタソガレドキ城主は把握しているというのだろうか。
雑渡が「どこまでご存じなのですか」と問えば、甚兵衛が扇子で手の平を叩くのを止め、滑らかに語る。
「どこまで? むしろどこまで知りたい。諸泉が忍術学園の土井半助に決闘を挑み、それが切っ掛けで土井半助の記憶がなくなったことか? それともドクタケ忍軍で最強の軍師と呼ばれた天鬼が、記憶を失った土井半助であったことか? それともあれか、その土井半助が記憶を取り戻して全てめでたし! 元通りになり、そのドサクサに紛れてドクタケ城が手薄であると私に知らせにきたことか?」
――全てだ。全てを知っている。
諸泉は、知らずの内に息をのんでいた。指の先から冷たくなっていく。
この城に、忍びは雑渡率いるタソガレドキ忍者隊しかいないはずであった。そして雑渡への忠誠心の高い忍び達は、組頭の許可無く甚兵衛が相手だとしても情報を漏らすことはないだろう。なら、先ほどの詳細すぎるまでの情報はどこから甚兵衛は知り得たのか。
「一ヶ月ほど雑渡と諸泉の姿が見えなかったなぁ。何をしていたんだ?」
「……忍術学園で教師のまねごとを」
もはや嘘は意味を成さないと判断したのか、雑渡が事実を答える。
僅かな沈黙が落ち、誰もが衣擦れ一つ音を立てなかった。
そうして、扇子の広がる音が鳴る。
「それは随分仲良くしていたんだなァ。お前らは優しいからな。随分と生徒達にも好かれただろう」
乾いた笑い声が広間に響く。あちこちにぶつかり反響し、諸泉達を責め立てるように鼓膜を打った。
なんと使えぬ忍びらだと、口外に嗤われている。
甚兵衛が上座から下りる気配がし、それはそのまま雑渡の元へと移動した。
諸泉は音で確認した光景が信じられず、思わず僅かに顔を上げた。そこには、組頭を腰掛けのようにして背に座す甚兵衛がいた。
内で怒りが沸くのと同時、諸泉は忍び寄る恐怖を確かに感じた。
諸泉は思った。甚兵衛が忍者隊に寛容だったのは、信頼しているからではなく、いつでも手を下せるからではないか、と。
「雑渡、お前はそれだけ確固たる情報を得ながら、私に報告しなかった。そうだな?」
雑渡は僅かに間を置いた後、肯定の意を返した。
同時に、固いものを叩いた音がする。音を発したのは扇子であろう。では叩かれたものは。
「残念だ。残念だなぁ、本当に」
心底、失望したように低い声が地を這うように響いた。
何度も叩く音が広間へと響く。諸泉は、それがなんだか分かっていた。体が震えるような気がして、歯を食いしばる。
雑渡の未だ火傷の古傷で痛む背に無遠慮に座り、その頭を扇子で何度も打ち据えている。到底、諸泉には許せることではなかった。だが同時に、この状況を作ったのが自分自身であると気づき、諸泉は口を押さえておくことが出来なかった。
「ッ、と、殿! 此度のことは私が全て――」
一層強く、扇子が雑渡の頭を打ち据える音が響く。
そうして、諸泉の声に、甚兵衛の目線が向いた。それは路頭の蟻でも見るような、無機質な目であった。そうしてようやく、諸泉はこの命は――いや、ここにいる皆の命は、ここで踏み潰されるほど、ちっぽけなものであると理解する。一言、黙れと命じられ、諸泉は青ざめ、口を噤んだ。命じられた為ではない、言葉が出なかったためであった。
「他、何か言い分の在る者は」
誰も、諸泉も、高坂も山本も、何も口に出来な往前1 / 3 頁下一頁
「念のために言っておくけど、誰も殿の言葉に反論してはいけないよ」
そう、土井半助に関する出来事が片付いた後、正式にタソガレドキ忍者隊の主である黄昏甚兵衛へ報告を行う直前に、雑渡は諸泉達へ告げた。
此度の件は、表面上だけ見れば、タソガレドキ忍者隊がドクタケ忍者隊に遅れを取ったように見える。
土井半助が記憶を取り戻した後、タソガレドキ忍者隊はドクタケの本来の狙いをチャミダレアミタケ側へと伝え、黄昏甚兵衛にも情報を伝達し、チャミダレアミタケとの戦いは回避された。その上でドクタケ領地内部は兵が少ないことを伝え、タソガレドキはドクタケから領地を一部切り取った。
結果的に領地を得たが、もう少し遅ければチャミダレアミタケとの戦になっていたことだろう。
そういったことから、諸泉にも忍者隊が黄昏甚兵衛から叱責を受けるのではという予想がついていた。
しかし、黄昏甚兵衛という男は、忍者隊に極めて寛容な人物であると諸泉は感じていた。
組頭の雑渡昆奈門は、意見があれば忌憚なく主である黄昏甚兵衛に伝える。それに対し、甚兵衛は怒ることはなく「それもそうだな」と良く意見を聞き入れてさえいた。また、忍者隊が甚兵衛に報告なしに動いていたとしても、特にそれを不満に感じている節もない。そして、過去に尊奈門が経験した出来事からも、黄昏甚兵衛は優しさのある人物なのではと思っていた。
そのため、雑渡が「念のため」と告げたそれに、諸泉は胸の内で首を傾げていた。並ぶ高坂と山本の顔が、強ばったことを知らずに。
黄昏甚兵衛が待つ城の広間へと入り、皆か傅き頭を垂れる。そして、組頭の雑渡自ら事について報告を行った。
甚兵衛はいつものように報告に耳を傾ける。そう、いつも通りだった。途中までは。
甚兵衛が持つ扇子が閉じる音が嫌に広間に響いた。
「他にもまだ言っていないことがあるだろう?」
温度を失ったかのような言葉が響く。諸泉の聞いたことのない甚兵衛の声色だった。
ぐっと急激に広間の温度が下がった心地がして、諸泉は身を固まらせた。
言っていないこと――雑渡は軍師のこと、つまり土井半助のことについては全て隠して報告をした。つまり、諸泉が発端となり起こった事を全て口にせずに報告した。その内の何かを、上座に鎮座するタソガレドキ城主は把握しているというのだろうか。
雑渡が「どこまでご存じなのですか」と問えば、甚兵衛が扇子で手の平を叩くのを止め、滑らかに語る。
「どこまで? むしろどこまで知りたい。諸泉が忍術学園の土井半助に決闘を挑み、それが切っ掛けで土井半助の記憶がなくなったことか? それともドクタケ忍軍で最強の軍師と呼ばれた天鬼が、記憶を失った土井半助であったことか? それともあれか、その土井半助が記憶を取り戻して全てめでたし! 元通りになり、そのドサクサに紛れてドクタケ城が手薄であると私に知らせにきたことか?」
――全てだ。全てを知っている。
諸泉は、知らずの内に息をのんでいた。指の先から冷たくなっていく。
この城に、忍びは雑渡率いるタソガレドキ忍者隊しかいないはずであった。そして雑渡への忠誠心の高い忍び達は、組頭の許可無く甚兵衛が相手だとしても情報を漏らすことはないだろう。なら、先ほどの詳細すぎるまでの情報はどこから甚兵衛は知り得たのか。
「一ヶ月ほど雑渡と諸泉の姿が見えなかったなぁ。何をしていたんだ?」
「……忍術学園で教師のまねごとを」
もはや嘘は意味を成さないと判断したのか、雑渡が事実を答える。
僅かな沈黙が落ち、誰もが衣擦れ一つ音を立てなかった。
そうして、扇子の広がる音が鳴る。
「それは随分仲良くしていたんだなァ。お前らは優しいからな。随分と生徒達にも好かれただろう」
乾いた笑い声が広間に響く。あちこちにぶつかり反響し、諸泉達を責め立てるように鼓膜を打った。
なんと使えぬ忍びらだと、口外に嗤われている。
甚兵衛が上座から下りる気配がし、それはそのまま雑渡の元へと移動した。
諸泉は音で確認した光景が信じられず、思わず僅かに顔を上げた。そこには、組頭を腰掛けのようにして背に座す甚兵衛がいた。
内で怒りが沸くのと同時、諸泉は忍び寄る恐怖を確かに感じた。
諸泉は思った。甚兵衛が忍者隊に寛容だったのは、信頼しているからではなく、いつでも手を下せるからではないか、と。
「雑渡、お前はそれだけ確固たる情報を得ながら、私に報告しなかった。そうだな?」
雑渡は僅かに間を置いた後、肯定の意を返した。
同時に、固いものを叩いた音がする。音を発したのは扇子であろう。では叩かれたものは。
「残念だ。残念だなぁ、本当に」
心底、失望したように低い声が地を這うように響いた。
何度も叩く音が広間へと響く。諸泉は、それがなんだか分かっていた。体が震えるような気がして、歯を食いしばる。
雑渡の未だ火傷の古傷で痛む背に無遠慮に座り、その頭を扇子で何度も打ち据えている。到底、諸泉には許せることではなかった。だが同時に、この状況を作ったのが自分自身であると気づき、諸泉は口を押さえておくことが出来なかった。
「ッ、と、殿! 此度のことは私が全て――」
一層強く、扇子が雑渡の頭を打ち据える音が響く。
そうして、諸泉の声に、甚兵衛の目線が向いた。それは路頭の蟻でも見るような、無機質な目であった。そうしてようやく、諸泉はこの命は――いや、ここにいる皆の命は、ここで踏み潰されるほど、ちっぽけなものであると理解する。一言、黙れと命じられ、諸泉は青ざめ、口を噤んだ。命じられた為ではない、言葉が出なかったためであった。
「他、何か言い分の在る者は」
誰も、諸泉も、高坂も山本も、何も口に出来なかった。このままでは不味いと理解しつつも、圧倒的な力にねじ伏せられ、口を塞がれている感覚。
しかしそこに、雑渡の声が聞こえた。「言い分」を語る許可を乞う雑渡に、甚兵衛は静かに許可を出した。
「此度の件についての判断は、全て私が行ったことです。殿に無断で、内密に事を終えようといたしました」
そんなことはない。雑渡は諸泉を庇うため、そして諸泉部下達は己が意志で雑渡と行動を共にした。
部下を庇おうとする雑渡の言葉を、しかし甚兵衛は見据えていたように一言告げた。
「だからなんだ?」
刃のような言葉であった。
「組頭の判断に皆、従っただけ。だから部下に咎はない。お前はそう言いたいのだろうが、過ちを犯した上司を諫め、止めるのも部下の役目ではないか? 私がお前達に自由に動いて良いと判断を任せているのは、雑渡だけではない。お前達全員を信頼してのことだ」
信頼、とはどのような意味合いか。
甚兵衛の信頼とは、いつでも潰せるように手筈を整えた上、己の期待通りに動くことを差しているのではないか。
そうして、タソガレドキ忍者隊は、期待を外れた。それも、大いに。
甚兵衛の手が動く。諸泉は動かすことも出来ぬ視線で、その閉じられた扇子の先が雑渡の首へ向かうのをただじっと見ていることしか出来なかった。
「もう一つ、よろしいでしょうか」
雑渡の声がその動きを止める。甚兵衛が目を細め、「言ってみろ」と虫を殺す前に甚振るように許可を出した。
雑渡が石を積むように、理路整然と、しかし極めて慎重に、言葉を紡ぐ。
「此度の情報を殿に渡せば、どのようになさるかは分かっておりました。そしてそれが、殿が望むところであると」
「しかし、殿が軍師との戦を望めば、大きな戦乱となるでしょう」
「殿の勝利は想像に固くありません。しかし、そのような大戦が起きればタソガレドキ領も疲弊し、周囲の地も痩せ細るでしょう」
「そうなれば、タソガレドキも力を失います。勝利したとしても、残るは痩せ細った領地のみ。それでは戦に関わらなかった外敵の格好の餌となります」
固めた石塁の形を、甚兵衛が一言で言い表す。
「雑渡は、我らタソガレドキを守るために私に情報を伝えなかった、と」
そうしてそれを、「だが」という言葉とともに、
「私に情報を伝えぬ理由にはならぬな?」
当然のように、打ち砕く。
軽い言葉であった。なぜ分からないのか、と問うような色さえあるように感じられた。
なぜこのように、簡単なこともこの忍びどもは分からないのかと。
使えぬ駒の首へ、ついにその扇子の先が触れる。それと同時、雑渡の面持ちが、亀のように鈍足に甚兵衛の方へと向いた。
痛むように、恨むように、しかし――同時に熱を持つような瞳で、雑渡が語る。
「貴方はそれでも止まらんでしょう」
主に対する言葉としては、あまりに砕けた言葉が口から零れ出た。
それに――黄昏甚兵衛は、噴き出すように嗤った。引き攣った、愉快そうな笑みであった。
そうして、甚兵衛はその場から――つまり雑渡の背から――立ち上がった。
まるで、何事もなかったかのように上座へと戻り、一つ咳払いをする。
「お前達に一ヶ月間の減給を言い渡す。各自、タソガレドキへ今後も尽力するように」
声から重みは消えていた。常の声色と変わらぬそれで、傅くタソガレドキ忍者達へ、此度の罰を告げていた。
一ヶ月間の減給――諸泉達は、突然の発言に理解が及ばない。会話が飛んだか、記憶が飛んだかと混乱する。
先ほどまで、命を奪うかどうかの話を目の前の主はしていたはずだ。その扇の先は、確かに刃の切っ先であったはずだ。
それが、ただの、減給。
「返事は」
再び発せられた低い声に、忍び達は一斉に声を返した。
甚兵衛はそれを聞き、話は終わったと言わんばかりに体勢を崩した。
咄嗟に、忍び達は目配せをする。本当に、これで終わりなのか。ここから去っても良いのかと。
そんな最中、甚兵衛が思い出したかのように口を開く。
「雑渡」
名を呼ばれた雑渡が「ハッ」と声を上げると、甚兵衛は弾んだ声でこう言った。
「お前って奴は、本当に情に弱いやつだな」
その声は、かつて諸泉が幼子の頃に聞いた声に似ていた。
次いで響いた笑い声に、諸泉は理解の出来ない人間というものは存在するのだと、恐怖を胸に抱きながら思った。
その場面をタソガレドキ忍軍でない者が見ていたことは忍軍は疎か、組頭の雑渡昆奈門ですら気づかなかった