テラーノベル
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窓の外には、薄い光が貼りついていた。世界のどこにも焦点が合わないまま、遥は自席でじっとしていた。
朝の喧騒が始まる前、教室はまだ湿った空気を孕んでいる。
──時間が経てば、自分の存在も溶けていくかもしれない。
そんなことを願うように、背を小さく丸めていた。
誰の気配にも反応しないようにしていたつもりだった。
けれど、あいつが教室に入ってきた瞬間、背骨の奥で神経がきしむように震えた。
息を殺す。
指先がかすかに震え、足元が冷える。
会いたくなかった。
でも、会いたいと思っていたのも自分だった。
──最低だ。どこまでも。
「……おはよう」
やめろ。
その声が、耳の奥に直接流れ込んでくる。
言葉よりも、その声の温度が痛かった。
遥はそっと顔を上げる。
ほんの一瞬。
目が、合った。
それだけで、胸の奥がぐしゃりと潰れた。
あいつの瞳が何を映しているか、見たくなかった。
それでも、そこに自分がいたらと思うと、背筋が凍った。
──汚す。
あの瞳に映った瞬間、自分があいつを汚す。
「……もう話しかけんなよ」
声が喉の奥で引きつる。
出すつもりのなかった言葉が、勝手に零れ落ちた。
あいつが何か言いかけた気配がした。
でも遥は、それを聞く前に立ち上がった。
椅子の脚が床を擦る音が、やけに大きく響く。
何人かの視線が刺さったが、視界の端にしか入ってこない。
遥は教室の戸を開け、逃げるように出ていった。
あいつに何かを言われる前に。
何かを願われる前に。
やさしさなんて、いらなかった。
やさしさを差し出されると、自分の穢れが際立つ。
その手を、切り落としたくなるほどに。
──なのに。
心の奥の奥で、また声がする。
「それでも、触れられたいって思ってるくせに」
それが、自分の声だということが、いちばん苦しかった。
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